2014年2月〜3月

【マスコミ昨日今日】(4)

2014年2〜3月

                     大和田 三郎

【2020年東京五輪は無事開催できるのか?】

▼森喜朗がまたまた失言
 東京五輪組織委員会会長に就任したばかりの森喜朗元首相が、またまた得意の失言をしてしまった。2月20日、福岡市で開かれた「毎日・世論フォーラム」(毎日新聞社主催)の講演の中で、フィギュアスケートの浅田真央について、「あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね」と言ってしまったのである。
 全国紙では、この発言を「失言」扱いしたのは朝日だけ。発言翌日ではなく、1日おいた22日付朝刊社会面に<尊敬の念ない/期待の裏返し 浅田選手演技、森氏「必ず転ぶ」発言に波紋>という見出しの記事を掲載した。「批判の声が上がっている」という前文の後に、以下の反応を紹介した。

<浅田選手の地元・名古屋市の河村たかし市長は21日、「人生で転ぶことはたくさんある。そんなことを言っていたら挑戦する人がいなくなる」。
 大リーガーのダルビッシュ有投手は、ツイッターで「スポーツの本質何も分かってないよね」と発言した。
 スポーツ評論家の玉木正之さんも、「重圧を感じて戦う五輪選手への尊敬の念が全く感じられない」。
 陸上の元五輪代表の為末大さん(35)は、競技途中での発言だったことを重くみる。「モチベーションに影響しかねない。『選手が主役』という考え方を大事にしてほしい」>

 「悪意は感じない」とみる佐藤綾子日本大教授(パフォーマンス心理学)の声も紹介。
<森氏は21日、「私の真意は浅田選手の批判でなく、個人戦に専念させられず可哀想だったということ。大事な時に緊張感で転んだと言いたかっただけで、むしろかばった」と話した。>で末尾としている。

 記事に付されている<森氏の発言要旨>は以下のとおりだ。
<何とか頑張ってくれと思って、みんな浅田さんを見ていたが、見事にひっくり返っちゃいましたね。あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。日本は開会式の翌日の(フィギュアスケート)団体戦に出なきゃ良かった。団体戦惨敗の傷が浅田さんに残っていたとしたら、ものすごくかわいそうな話。負けると分かっている団体戦に出して、恥をかかせることはなかった。>

 読売はいまや「安倍政権翼賛新聞」の観があるし、毎日は、この発言の場となった「毎日・世論フォーラム」の主催社。批判記事を掲載しなかったのは当然だろう。

▼「大事なときには必ず失言する」指摘も
 しかし朝日だけが孤立していたのではない。発言の現場福岡市で発行するブロック紙・西日本は、22日付の1面コラム「春秋」で、転倒した翌日のフリーで、完璧ともいえる演技で魅了した浅田を賞賛し、末尾で森を登場させた。

<こちらは感性を逆なでした。東京五輪組織委会長の森喜朗元首相が浅田さんについて「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と言った。まだ後半の演技が残っているときにだ。真意は知らぬが、あまりの配慮のなさにあぜんとする▼選手やファンの心を無造作に傷つける人に東京五輪を任せていいのかと思ってしまう。もっとも「神の国」発言などで「あの人、大事なときには必ず失言する」とは知っていたが。>
と皮肉ったのである。

 中国新聞(本社・広島市)は同じ22日付朝刊綜合面のコラム「評論」に「共同編集委員」の署名入り記事を掲載した。共同通信の編集委員が執筆・配信した記事なのだろう。見出しは<森氏「浅田選手必ず転ぶ」発言 五輪担う資質に疑問>。

 本文冒頭は以下の文章。
<この人の発言を国民は支持するだろうか。無神経のそしりを受けないか。元首相の森喜朗氏、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長である。夏季であろうが冬季五輪であろうがスポーツの本質に違いはない。選手の努力、すさまじい重圧の中の必死の演技を尊敬していると受け取れないばかりか、選手を傷つけかねない発言は、五輪開催の重責を担う人物としての資質に疑問符が付く。>

 末尾は以下のように締めくくっている。
<20年東京五輪・パラリンピック組織委会長だが、スポーツ界からは人選を疑問視する見方もあったという。大学でラグビーを経験し、「スポーツ人」を自任している。だが今回の失言から、選手のデリケートな心への配慮やスポーツへのリスペクトの視線が欠けているようにみえる。役職上、今後、国際オリンピック委員会や世界のスポーツ界との接触が頻繁にあるだけに、五輪開催のリーダーとして本当に大丈夫だろうか、との懸念を抱かざるを得ない。
 ただ、浅田選手はすばらしいフリーで最後を締めくくった。それが救いだ。もちろん、一度も転ばなかった。>

▼禁句をもあえて言うサービス精神
 森は、何回も失言問題を引き起こしてきた政治家である。よく知られたものに首相在任中の「日本は神の国」があった。2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会の結成30周年記念祝賀会での発言だった。少なくともタテマエ上は、神道を大切にする人びとの会合だ。「日本は天皇を中心とした神の国」と発言することは、聴衆へのサービスとなる。そのサービス精神が失言を生んだともいえる。
 憲法99条は「天皇又は攝政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」について「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記している。首相は公務員のトップに位置するのだから「神の国」発言は、この「憲法損料擁護義務違反」ということになる。そんな難しいことを言わないでも良い。森喜朗政権もまた小渕恵三政権と同様、自公連立政権だった。公明党はもともと日蓮正宗の信徒団体である創価学会を母体にしている。神道は第2次大戦まで「国教」扱いだった。「神道国家」復活には強い警戒感を持っている。森の「神の国」発言に対しても、与党・公明党の反発は強かった。
 端的に言えば森は、目先の会合主催者や聴衆へのサービスを優先させ、首相として言ってはならないことも言ってしまう。政治のスジを通すといったことより、目先のサービスを優先させるレベルの政治家にすぎない。

 言葉の問題だけでなく、行動の次元でも、「首相だからやらなければならない」ことを実行できないという欠点を持っている。森政権の命取りになったのは、01年2月9日(現地時間=日本時間は10日)、ハワイ・オアフ島沖で米原子力潜水艦グリーンビルが愛媛県の漁業実習船えひめ丸に衝突。宇和島水産高校の実習生ら9人が行方不明になった事故だった。首相の森は休暇をとり、神奈川県内でゴルフ中だった。携帯電話で事故の一報を受けたと思われるが、その後もゴルフを続けた。ゴルフをしながらも、首相として必要な指示は続けていたとし、記者団に「これがどうして危機管理(上の問題行動)なのか。事故でしょ。私はリーダーシップをきちっと発揮したと思っている」と語ったという。
 首相は公務員のトップなのだから、その行動は模範的なものでなければならない。「必要な措置を指示していたのだから、ゴルフを続けても問題ない」という理屈は成り立たないということが、森には理解できないらしい。

▼自ら希望した東京五輪組織委員長就任
 2020年東京五輪の組織委員長に森が決まったのは1月24日。読売は硬派の解説記事「スキャナー」を掲載したが、都知事選のさ中で、都知事不在のまま組織委発足となったのは「森主導」の展開だったと断じている。森は終始、自らの会長就任を望んだ。前都知事の猪瀬直樹が「財界人会長」を模索したが、実現に至らなかった。森が安倍首相主導の流れをつくって自ら会長に就任したという筋書きだ。
 森の補佐役となる事務局長には、元大蔵事務次官・日銀副総裁の武藤敏郎が起用された。東京五輪担当省が新設され、森が大臣、武藤が事務次官になったという構図と見てもおかしくない。現在の年齢は、森が76歳、武藤は70歳。20年東京五輪は7月24日から8月9日、東京パラリンピックは8月25日から9月6日の日程だという。森も武藤も7月生まれだから、開催時は83歳と77歳になる。

 毎日1月25日付朝刊運動面の<20年東京五輪:組織委発足 森会長「強い組織作る」>という記事には、<「高齢」「密室」古い体質懸念>という見出しの解説が付いていた。以下が全文である。

<「オールジャパン」ならず、「オールドジャパン」を映し出す船出だ。中核は76歳の森会長と70歳の武藤事務総長。単に高齢を案じているのではない。発表された役員全12人が男性。密室で人事を固め、初日の会合を冒頭あいさつ以外、全て非公開で進めた手法も古い体質を露呈した。
 高齢を指摘する報道を踏まえ、記者会見で、森会長が「『五輪時に83歳で大丈夫か』と心配されるが、ギリギリのところまで挑戦していくのがスポーツの神髄」とかわしたが、疑問視されるのは高齢よりも多様性のなさだ。
 組織委の運営費は約3000億円と見積もられ、全国企業の寄付を募る必要があるため「強い組織作り」に主眼が置かれた結果、事務総長は元財務事務次官、副事務総長は元文部科学省局長と各省のメンツを立てて国の影響力を濃くした。
 骨格が定まったのは1月12日、東京・南麻布の高級料亭。森会長と下村博文文科相、79歳の堤義明・JOC最高顧問の会談だった。JOCの竹田会長も東京都の秋山副知事もその席には居合わせず、事務総長人事の経過も途中からはJOCの幹部の耳にさえ、入らなくなっていた。
 東京五輪・パラリンピックには、2度目の開催だからこそ新しい風が求められ、大会後もスポーツ界を引っ張る次代のリーダーの誕生が望まれる。今後、増員する理事には、全国から寄付よりも熱意を集められる若手や女性を起用し、開かれた場で議論を深めるべきだ。【藤野智成】>

 たぶん運動部記者が書いたから、政治家・官僚コンビに対する反感がむき出しになっていると思われる。いちばん危険なのは、森の「失言癖」が、中国・韓国の反発を招くことだろう。

▼強まる安倍路線への反発
 森も安倍も、ともに自民党の右派=町村派(かつての福田<赳夫>派)に所属する。安倍が唱える「戦後レジームからの脱却」は、森も賛同しているはずだ。3月12日付毎日朝刊オピニオン面(10ページ)に掲載されていたコラム「発信箱」は、以下が全文である。

<▽発信箱:Gゼロと日米=布施広
 ウクライナ情勢を見ていると、新冷戦というより、領土の奪い合いを含む激動の始まりを思わせる。米国の一極支配は過ぎ去り、主導的な国が存在しない「Gゼロ」の世界で、ロシアと中国が虎視眈々(たんたん)と勢力拡大を狙う。クリミア制圧の次は尖閣占領かもしれない——。
 というのは少々心配し過ぎ(だといいが)としても、この大事な時期に日米関係がうまくないのは困ったことだ。安倍晋三政権側が米国の神経を逆なでしている面もあるし、米側の対応も冷たい。特に米系メディアは安倍政権に厳しいのだ。
 3日のインターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙を開くと、「安倍氏の危険な修正主義」の社説と風刺漫画が載っていて、社説には「彼(安倍首相)と他の国家主義者は日本軍の南京大虐殺はなかったと主張している」などとある。日本政府が事実誤認として訂正を求めたのも無理はなかろう。私も、この社説は勉強不足だと思う。
 風刺漫画の方はもっと強烈だ。舞台は理髪店だろうか、椅子に座った骸骨の後ろにABEという人物が立ち、近くに髪を七三に分けた男性の頭(仮面?)が置かれている。私の誤解でなければ、理髪店の安倍さんが、醜い骸骨(日本の戦時の歴史)をイケメンに仕立てようとしているのだ。
 ビミョーである。安倍政権の歴史認識には私も首をかしげるが、漫画の設定が強引に思えて漠然たる悪意を感じてしまう。冷静な批判に悪意はいるまい。ヘイトスピーチも含めて現代は何かと言い過ぎる「不寛容の時代」なのかと考え、しかし日米はこんなことをしている場合じゃないと思い直す。ウクライナは日米の団結が試される問題だ。露中は十分、団結している。(専門編集委員)>

 「戦後レジームからの脱却」に、米国のマスコミが強く反発していることを示す文章だろう。第2次大戦=抗日戦が建国の過程そのものだった中国(=中華人民共和国)にとって「戦後レジームからの脱却」は、建国の歴史を否定する暴言であろう。韓国・北朝鮮も日本の植民地支配からの離脱こそが建国だった。「戦後レジームからの脱却」は東アジアの多くの国々にとって、「建国否定」につなかりねない。
 それに森の失言癖が加わるなら、中韓両国が「ボイコット」を叫ぶ展開になることもあり得る。東京五輪は1940年開催が決定しながら、開催を取りやめた苦い経験がある。2020年については万が一にもボイコットなど起こりえないよう、「安全運転」の姿勢が求められる。森がその要請に応える最善の人材であるかどうか? ではないか。森の失言癖だけとっても答は「ノー」だと思われる。

【「血縁社会」化! 最高裁長官まで、に驚く】

▼最高裁長官父子誕生
 第18代となる最高裁長官に寺田逸郎判事(65歳)が内定したのは3月6日。父親が第10代長官の故寺田治郎氏。親子2代での長官就任となる。
 政治家は二世、三世が増えるばかりだ。元号が平成になって以後、単なる一市民から首相になったのは海部俊樹▼村山富市▼菅直人▼野田佳彦といったところだけ。二世、三世の方がフツーの首相となってしまっている。「最高裁よ。オマエもか」と叫びたいような気がする。
 寺田逸郎は民事裁判官出身だが、裁判実務よりも法務省で民事関係の立法などにあたった期間が長いという。職業裁判官出身の長官は1979年以来、10代連続となるが、法務省勤務の長い「出向組」の就任は前例がない。
 職業裁判官出身でありながら、東京あるいは大阪の高裁長官を経験せず、さらに最高裁判所事務総長、司法研修所長、最高裁判所首席調査官の三役を一つも経験しない最高裁長官の就任も史上初だという。

▼NHK経営委員長谷川三千子の華麗な近親者たち
 首相や最高裁長官といった「三権の長」ポストではないが、安倍政権がNHK経営委員に任命した長谷川三千子(埼玉大名誉教授=66歳)は、以下のような「名門」の人である。
 「祖父は元法政大学総長・野上豊一郎(英文学者)、祖母は小説家・野上弥生子、父は元東京大学教授・野上耀三(物理学者、1918-2008)、母は市河三喜の娘で英語教育者の野上三枝子(1922-2008)、夫は東京水産大学名誉教授・長谷川晃(長谷川西涯)、伯父に元京都大学教授・野上素一(イタリア文学者)と元東京大学教授・野上茂吉郎(物理学者)」
 以上の「」内は、Web上の百科辞典「ウィキペディア」の記述。誤りはレアケースであるらしく、私自身「発見」したことはない。また「ウィキペディアに誤り」といった指摘を見聞きしたこともない。

▼団塊世代に「反抗期」はなかった?
 ウィキペディアの経歴記述によると、最高裁長官内定の寺田は都立日比谷高校から東大法学部へ、長谷川は都立新宿高校から東大文学部へ、とそれぞれ進んだ。都立の伝統校が、「東大への道」だった時代の受験秀才だったのである。
 筆者(1942年生まれ、71歳)より年少の「団塊の世代」だが、「反抗期」などなく、親が望む受験秀才コースを突っ走ったのだろうか? 
 二世、三世が幅を効かす政界の現状は、ほとんどの人が「政治の病弊」と考えていた。しかし「反抗期」もなく、受験秀才コースから知的職業へと突っ走った団塊世代の場合は、「育ち方の病弊」のような気もする。
 いずれにせよ二世、三世、血縁といった人びとが幅を効かすのは、政界だけでなく、日本社会全般の病弊であるように見える。その「構図」を解明するための企画取材、連載記事など「力作」を望みたい。

【無責任を露呈した(?)STAP細胞報道】

 3月15日付の全国紙各紙朝刊は、まさに「STAP新聞」だった。朝毎読3紙とも1、2、3面と社会面が、STAP細胞と、小保方(おぼかた)晴子が主役の記事で埋まった。STAP細胞は、新たな万能細胞であり、小保方はそれを発見したはずの理化学研究所(理研)発生・再生科学総合研究センター・ユニットリーダーだった。
 1面トップ記事の主見出しは朝日が「STAP細胞、証明できず」▼読売が「STAP論文『重大過誤』」▼毎日が「万能細胞 STAP論文『重大な過誤』」。読売と毎日は「重大な過誤」で一致しており、「な」が入るか否かの違いだけだった。
 2、3面で、ニュースと解説を織り交ぜたような記事を掲載するのも、3紙に共通した紙面づくり。そのタイトルを朝日は「時時刻刻」▼読売は「スキャナー」▼毎日は「クローズアップ2014」としているが、それがそろってSTAP関連記事。3紙とも社説のテーマとし、天声人語▼編集手帳▼余録など1面コラムのテーマも、STAPだった。社説のタイトルを並べると、朝日=STAP細胞 理研は徹底解明せよ▼読売=STAP論文 理研は疑問に正面から答えよ▼毎日=STAP問題 全容解明し説明尽くせ、となっている。
 STAPと小保方で埋め尽くされた新聞には既視感(デジャビュ)がある。今年1月30日付朝刊だった。そろって1面トップだった記事の見出しは、朝日=刺激だけで新万能細胞 理研、マウスで成功 STAP細胞▼読売=第3の万能細胞 理研チーム作製…刺激与え「初期化」▼毎日=万能細胞 マウスで初の作製 簡単、がん化せず 「STAP細胞」命名——理研など、だった。
 このときは、各社とも社会面で小保方をスター扱いした。その記事の見出しは朝日=負けん気培養、30歳大発見 STAP細胞 小保方晴子さん▼読売=リケジョ 柔軟発想 STAP細胞作製…30歳・小保方さん 先輩後押し▼毎日=万能細胞 作製の小保方さん おしゃれ好き、努力家「新星」。各紙ともかっぽう着姿の小保方の写真を付けた。
「新万能細胞」=STAP細胞の作製に成功したというノーベル賞級の大成果を賞賛してからたった1カ月半。その「研究成果」に重大な誤りがあったという逆転した大ニュースとなったわけだ。
 いまポイントとなるのは、STAP細胞の培養に成功したという1月末の理研発表は間違いだったか否かであろう。14日の理研会見でも、この点が問い詰められた。

 記者会見の一問一答(朝日新聞デジタルなどで読める)によると最初の質疑応答は、
Q(質問) 理研としてSTAP細胞はあるという主張か。
A(答) 「第三者の検証による科学的な答えを待つしかない」
だったようだ。途中、以下のやりとりもあった。

Q 小保方さんは若山照彦山梨大教授にSTAP細胞を本当に渡したのか。
A 調査委は不正があったかどうかを判定するのが任務。STAP細胞があったか、作れるかどうかは調査の範囲を大きく超えている。サイエンスコミュニティー(科学者の間)で決着すべきことだ。

 理研として、「STAP細胞の作製に成功した」とは言えない。だから言わない、と意思統一して会見に臨んだことは明らかだ。いまのところ1月30日朝刊の報道内容が間違いだった可能性が高いといえる。
 スターだった小保方がどうなっているかも話題になった。

Q 撤回を求めたとき小保方さんの反応は。
A 心身共に消耗した状態で、うなずくという感じ。それで承諾したと判断した。
Q 今の時点で、小保方さんは研究を続ける資格があるか疑わしいと思うが。
A 未熟な研究者が膨大な実験データを集積しながら、ずさんに、無責任に扱ったということはあってはならない。徹底的に教育しなおさねばならず、理研の中で氷山の一角かも知れない。倫理、教育をもう一度やり直し、指導したい。

 事態について正常な判断などできない状態に陥っているようだ。「可哀想」という印象さえ受けた。
 朝日は3ページに、「科学医療部長・桑山朗人」署名入りの「取材重ね、検証していきます STAP細胞論文」という記事を掲載している。末尾の「結論」部分は以下の文章だ。
  ×  ×  ×
 論文が撤回されれば、STAP細胞の存在は「白紙」になります。ただ、理研はまだ、再現実験などでSTAP細胞の存在が確認できれば、改めて論文として世に問いたいとしています。
 STAP細胞が本当に存在するかを見極めるためにも、私たちは再現実験の行方をしっかりとフォローしていきます。また、今回の経緯と問題点の詳細、さらに科学論文のチェック体制など、引き続き取材を重ね、検証していきます。
  ×  ×  ×
 誤報のお詫び、一歩手前の文章だと言える。
 それでも社説のタイトルは上記のとおり、「STAP細胞 理研は徹底解明せよ」であった。天声人語の末尾は以下の文章だ。
  ×  ×  ×
 「常道を逸している」。会見で語られた言葉に事態の深刻さが浮かぶ。本当に万能細胞はできたのか。それが核心とはいえ、その手前での問題が多すぎる▼以前、深く共感した解剖学者の養老孟司(ようろうたけし)さんの文章を思い出した。それぞれの職業人が真のプロ意識を持て、と説いていた。創造性とは〈要するに自分の天職を詰め切ること〉から生まれるのだ、と。実験も論文執筆も天職ではなかったのか、と考え込む。
  ×  ×  ×
 ともに理研への要求ではなく、朝日新聞がやるべきことと書き直した方が良い。1月30日の報道に携わった記者たちの中に、小保方のように「心身ともに消耗した」人物はいない。その事実が、マスコミの無責任体質を露呈しているのではないか?

 (筆者は大手メデイア・元政治部デスク・仮名)

※[お断り] 本稿は2014年3月14日までの報道を素材にしており、引用文は「」ではなく、<>で囲んでおります。


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧