2014年5月〜6月

【マスコミ昨日今日】'(7)'2014年5~6月

大和田 三郎

【中国との「戦い」を好む安倍晋三政権の危うさ】

 まずタイトルについて一言しておかなければならない。「日中両空軍機」というのは、通常日本のマスコミでは「中国空軍機と自衛隊機」と表記されている。「日中」でなく「米中」なら当然「両空軍機」と表記される。米空軍・中国空軍双方の軍事対決の下で起きている現象とすぐに分かる。

 日本がからむ場合のみに使われる「中国空軍機と自衛隊機」という表記からは、あたかも「軍事」なのは中国側だけという印象を受ける。それは事実に反する。「中国空軍機と自衛隊機」という表記よりは、「日中双方の空軍機」と表記した方が、はるかに実態に近い。

 自衛隊は日本の陸海空軍の固有名詞だと考えるべきだ。中国軍もまた「人民解放軍」という固有名詞を持つ。固有名詞にこだわるなら「中国人民解放軍空軍機と自衛隊機」と表記すべきだ。中国軍の固有名詞にこだわらないなら、日本軍の固有名詞も同じ扱いにすべきだ。「日中両空軍機」が正しい。日本軍だけを「自衛隊」と固有名詞表記し、中国軍の方は一般名詞(略称か?)の「中国空軍」とするというのは、バランスを欠く。

 いずれにせよ両空軍機が任務を帯びて飛行中に異常接近する事態が発生しているのである。私自身はNHKラジオを聴きながらパソコンに向かっているのが日常なので、第一報はいつもNHKニュースだ。NHKホームページで検索すると、6月11日17時20分に<自衛隊機に中国戦闘機が異常接近 東シナ海>というタイトルで、以下のニュースが流されている。
<11日昼前、東シナ海の日中中間線付近で、監視飛行中の自衛隊機が中国軍の戦闘機から一時、およそ30メートルまで異常に接近されました。

 中国機による自衛隊機への異常接近は、5月下旬に続いて2度目です。 防衛省によりますと、11日午前11時ごろから正午ごろにかけ、東シナ海の日中中間線付近で、航空自衛隊のYS11電子測定機と海上自衛隊のOP3C画像データ収集機が、中国軍の戦闘機から異常に接近されたということです。 接近したのは、中国軍のSu27戦闘機で、航空自衛隊機には一時、およそ30メートル、海上自衛隊機には一時、およそ45メートルまで、いずれも追い抜くようにして近づいたということです。
 写真からは、左の翼の下に白いミサイルのようなものが確認できます。
 防衛省によりますと、自衛隊機への被害はないということです。
 自衛隊の2機は通常の監視飛行中で、異常接近を受けたのは、日本と中国の防空識別圏が重なる空域だということです。
 東シナ海では先月24日にも、今回とほぼ同じ空域で、監視飛行中の自衛隊機に中国の戦闘機が一時、およそ30メートルまで異常接近し、政府は極めて危険な行為だとして中国側に抗議しています。
 一方、日中間では、不測の事態を回避する取り組みが、おととしの日本政府による尖閣諸島の国有化以降、進展していません。>

 それに<小野寺防衛相「中国軍はしっかりとしたモラルを」>という談話が付いている。
<小野寺防衛大臣は東京都内で記者団に対し、「前回も含め、中国軍機の一方的な行動は偶発的な事故につながりかねない大変危険な飛行で、決してあってはならないことと認識している。日本のパイロットが危険を感じるような、大変荒い飛行だったと報告を受けた。中国の軍当局に、しっかりとしたモラルを持っていただきたいということに尽きる」と述べました。

 そのうえで、小野寺大臣は「今後も日本の領土、領海、領空を断固として守っていくという考え方のもと、警戒監視を続けていきたい。また、日本と中国の防衛当局者が緊急時に連絡を取り合う『海上連絡メカニズム』の構築は重要だ」と述べました。>

 高速の軍用機でおよそ30メートルというのは、自転車なら30センチと同様の「接近」ではなかろうか。いつぶつかってもおかしくない距離だ。日本の自衛隊が、その名のとおり「専守防衛」のための機関なら、そのトップである防衛相の談話は、<軍用機同士が偶発的にせよ、衝突・接触したなら、開戦につながりかねない。とりあえず、中国が狙ってくるような空自機の行動は中止させた>でなければならない。しかしじっさいにはその逆に<警戒監視を続けていきたい>と言っているのである。恐ろしいことだ。

 異常接近は、中国機だけが引き起こせるものではない。中国機が追いかけてきたとき、日本機が逃げたなら、異常接近にはならない。NHKニュースが<航空自衛隊のYS11電子測定機と海上自衛隊のOP3C画像データ収集機>という機種をわざわざ明確にしているのは、両方とも足の遅いプロペラ機だと言いたいのだという気もする(私の知識では確認できないが……)。それなら、中国との間で何らかの合意が成立するまで、プロペラ機による警戒監視飛行は中止すべきだろう。
 空海両自衛隊が警戒監視飛行する場合、中国機が追尾・接近してきた場合どう行動するか? パイロットに対する指示が出ているはずだ。この防衛相談話から推察できるのは、その指示は「衝突・接触を回避するため、逃げろ」ではなく「衝突・接触を回避することはもちろん必要だが、安易に逃げるのではなく、ぎりぎりまで予定された行動を展開せよ」であるのではないか。
「3軍の司令官」は防衛相ではなく首相だから、こうした指示は安倍晋三首相の了解の下で出されているはずだ。つまり「一触即発の危機」は、日中両国の意思でつくり出されているのだ。

 中国国防省は昨年11月23日、尖閣諸島上空を含む空域に、「防空識別圏(ADIZ)」を設定したと発表した。ADIZは戦闘機が警告のため緊急発進(スクランブル)する際の基準となる。この発表によって、日中両国のADIZが重なりあうことになり、そのときから日中間の軍事的緊張が高まると予想されていた。
 斎木昭隆・外務事務次官は翌々25日、中国の程永華駐日大使と会談、ADIZ設定に抗議した。この会談で、ADIZ圏内を飛行する民間機に飛行計画(フライトプラン)を中国当局に提出するよう義務づけたことに関し「日本はこれまで通りのルールで運用していく」と述べ、日本政府としては民間の航空会社に提出させない考えを伝えた。
 中国のADIZ設定については、米国も日本と同様、「国際的に確立されたルール違反」と抗議しているが、圏内を飛行予定の民間機については、中国側の要求どおりフライトプランを提出するよう勧告した。米国が「乗客・乗員の人命最優先」の姿勢をとったのに対して、日本は中国の措置に対する抗議最優先の姿勢を表明したのだ。

 この問題は日航・全日空など日本の民間航空各社が、自主判断で中国当局にフライトプランを提出して落着となった。この民航各社の行動は当然、国交省の了解のうえで行われたもののはずだ。しかし日本政府としてはタテマエ上だけでも、中国に対しては「対立」をむき出しにすることを最優先している。
 民航機の場合なら、各社の知恵が生きる。しかし自衛隊機の場合、冒頭に書いたように軍隊なのだから、「3軍の司令官」安倍の指示に従わなければならない。安倍は著書「美しい国へ」(文春新書)の序文で、自ら「戦う政治家」を目指すと言い切っている。「国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する」というのである。安倍の「戦い」は、とりあえず「中国との戦い」であるのかもしれない。

 安倍はこの「戦い」の標的を、中国だと考えているのではないか。自民党タカ派で、祖父・岸信介を賛美する政見を隠そうとしない安倍にとって「中国と戦い」こそ、正義の戦いとなる。昨年12月26日、2回目の次政権獲得1周年の日に靖国神社を参拝したのも、それが中国との戦いになるからだったはずだ。
 「戦没者に慰霊の礼を尽くすことは、どの国のトップもやっていること」というのが安倍のタテマエである。しかし靖国は米国のアーリントン墓地ではない。現行憲法の下では、1宗教法人となった神道の宗教施設にすぎない。日本でアーリントン墓地に相当するのは、千鳥ヶ淵戦没者墓苑である。国立の慰霊施設である千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、戦没者に慰霊の礼を尽くすなら、中国の反発を招かず、戦没者慰霊の行動にもなる。それこそ大人の行動となる。
 軍事面でも世界の強国になりつつある隣国・中国に対して「子どもの喧嘩」を仕掛けている安倍を3軍の司令官としている日本は、いまや危うい国でしかない。

 日中両軍機の異常接近について「恐ろしい」と思うのは、その報道ぶりからも言える。すでに書いたが、異常接近が起きるのは「中国機のため」だけではない。中国機がいくら追いかけてきても、日本旗が逃げれば、異常接近とはならない。日本側に、是が非でも避けようという意思がないから、異常接近が実現するはずだ。
 何故異常接近が避けられないのか? その理由を解明するために、新聞各紙は2、3面に掲載する「解説雑報」のスペースを用意している。朝日は「時時刻刻」読売は「スキャナー」毎日は「クローズアップ2014」とコラムのタイトルも決まっている。しかし日中両軍機の異常接近問題について、こうしたスペースを使っての「真相報道」はないようだ。
 一方的に「中国のせい」にしたい、政府があげて妨害すれば、記事をまとめるのは難しいかもしれない。「真相報道」を妨害してまで、「中国のせいだ」と非難しながら、異常接近を発生させ続けたい……。それが3軍の司令官・安倍の真意だとすると……。「怖い」と思うのは、私が臆病だからだけではないはずだ。

【コミック「美味しんぼ」が展開した「福島の真実」報道】

 「週刊ビッグコミックスピリッツ」誌(小学館刊)の人気漫画「美味しんぼ」が展開した「福島の真実」シリーズが、マスコミで「問題」にされた。
 マスコミの大半は「風評被害を大きくする」などのマイナス評価だった。5月13日付読売社説は<「美味しんぼ」 風評助長する非科学的な描写>というタイトルで、非難一色。新聞・テレビが騒ぎ立てる論理を代表したものといえる。以下の文章がさわりだ。
<主人公が、東京電力福島第一原子力発電所の現場を視察した後に鼻血を出す場面がある。井戸川氏は、「鼻血が出たり、ひどい疲労で苦しむ人が大勢いる」と述べ、 被曝(ひばく) を原因と明言している。
 荒木田氏は、「(福島県を)人が住めるようにするなんて、できない」と断じている。 いずれも科学的知見に基づかない独善的な見解である。菅官房長官が「正確な知識をしっかり伝えることが大事だ」と述べたのは、もっともだろう。>

 井戸川氏とは、福島県双葉町前町長の井戸川克隆。荒木田氏とは福島大准教授の荒木田岳だ。2人とも「美味しんぼ」の作者・雁屋哲の取材に対して、引用文のとおり発言したことは認めている。井戸川の「鼻血が出たり、ひどい疲労で苦しむ人が大勢いる」という言葉は、3・11フクシマ事故に双葉町で接した住民の現状を話したもので、「科学的知見に基づかない独善的な見解」と断定するのは、読売の独断だろう。
 報道機関は「真実の報道」を目指すべきで、老舗の新聞こそその中核であるべきだ。私は新聞記者OBだから、「福島の真実」は新聞に語ってほしいという思いは変わらない。

 チェルノブイリ事故(1986年4月26日発生)報道の前例を見てみたい。朝日は「原発問題取材班」をつくり、何回も連載を紙面に掲載。それをまとめて「地球被曝――チェルノブイリ事故と日本」という本を刊行した。初版第1刷の刊行日は翌87年4月30日。事故発生後、丸1年経ったときには「チェルノブイリの真実」というべき本ができ上がっていたわけだ。チェルノブイリは遠い異国だが、それでも1年で本ができた。フクシマについてなら、刊行しようという意思さえあれば、「フクシマの真実」本は、2012年3月に刊行されていて良いはずだった。

 朝日の社説(5月14日付)はさすがに<美味しんぼ 「是非」争うより学ぼう>というタイトル。しかし
<実在の人物を絡めて表現されており、福島県や双葉町などが事実と異なるとして抗議や意見を表明した。
 私たちは社説で、低線量被曝の影響を軽視しないよう指摘する一方、できるだけ科学的な根拠や実測値、具体的な対策とともに議論すべきだとの立場をとってきた。漫画での描き方には疑問が残る。>
 という文章を読むと、「批判」という立場は、読売と共通している。

 毎日の社説(15日付)<美味しんぼ 「鼻血」に疑問はあるが>がかろうじて。
<その中身には疑問があり、福島の人たちから怒りの声が上がっていることは理解できる。風評被害も心配だ。>としながら
<これに便乗して、原子力発電や放射線被害についての言論まで封じようとする動きが起きかねないことを危惧する。今後、どのように福島の人々の健康不安を払拭(ふっしょく)し、被災地の復興を進めていけばいいか、議論を冷静に深めたい。>
 と、言論封殺になりかねない論議のあり方を戒めた。そして
<もともと、根拠のない「安全神話」のもと、原発政策が進められた結果が今回の事故につながった。「美味しんぼ」の中でも指摘されているが、事故後の放射性物質放出についての政府の情報公開のあり方は、厳しく批判されるべきだろう。また、汚染水はコントロール下にあるといった政府の姿勢が人々の不信感を招き、不安感につながっているのも確かだ。そして、低線量被ばくによる健康への影響については、これから長期にわたる追跡調査が必要だ。>
 と主張している。
「風評被害を招く」が全てに優先する魔術的な力を持っているのでは、被害の実態も報道できない。

 私自身、どこかの新聞がまとめることを期待していた「フクシマの真実」が、コミック誌「ビッグコミックスピリッツ」掲載の劇画「美味しんぼ」の連載という形で実現したのである。「真実の報道」を実現したのはコミック誌だった……。私にとっては驚きだったが、自分自身に「そういう世の中なのだ」と納得させなければならない時代なのだろうと考えた。
「美味しんぼ」は作・雁屋哲、画・花咲アキラとなっている。ネット百科「ウィキペディア」で、雁屋哲を調べてみた。1941年10月生まれで72歳。東京都立小山台高校を経て、東京大学に入学。教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。大学入学時は学者志望だったが、大学4年の夏に「大学に残っているより、もっと生々しい人間社会の実態を知りたい」との気持を持ち、就職先に電通を選んだ。3年9カ月間電通社員生活を送るが、組織に順応できない人間であることを痛感。電通在籍中に漫画原作者としての活動を始めた。74年退社し、フリーとなって男性向け雑誌、少年誌などで劇画をメインに原作を手掛ける生活を送った。
 当時の東大は前半2年間が教諭課程で、後半2年間が学部・学科に別れての専攻課程。進振り(しんぶり=進路振り分け)というシステムがあり、教養学部基礎科学科はかなりの難関だった。就職先の電通も、当時すでに「狭き門」となっていた。「東大卒」の中でも優秀な人であったことは間違いない。
 くぐり抜けたのが「狭き門」であればあるほど、その内側から飛び出すのは大きな決断を要する。1974年の時点で、電通社員という地位を投げ出し、フリーの劇画原作者となる選択に賛同する人は皆無に近かっただろう。それでも自分が選んだ道を迷わず進むという生き方は立派なものだ。勇気を持って自分の人生を歩んだ人物だからこそ、「美味しんぼ=福島の真実シリーズ」を実現させることができたのだろう。

 チェルノブイリ事故によって、ソ連当局は周辺住民の避難を開始し、5月までに30キロメートル以内に居住していた人びと約11万6千人が移転させられた。さらに半径350キロメートル以内でも、高濃度汚染されたホットスポットでは、農業の無期限停止と住民の移転を推進する措置が取られた。ホットスポット外に移転した人は数十万人にのぼると言われる。福島第一原発事故もレベル7で、チェルノブイリ事故と同じだ。福島県は広いから、全域で「人が住めるようにはできない」というのには無理がある。しかし浜通りの「原発銀座」周辺については、「将来も人が住めない」が原点であるはずで、「住めるようになる」と主張する方にこそ、科学的知見に基づく証明が必要だ。
 新聞・テレビといった巨大マスコミは、必ずしも「真実の報道」ができるわけではない。「福島の真実」を記事化し、あるいは番組づくりすることが不可能だった事情は分かる。しかし読売社説のように、「福島の真実」を明らかにした作品に対して、「ウソつき」呼ばわり同然の非難・批判をするのは、あまりにもひどい。
 首相・安倍晋三をはじめ、官房長官・菅義偉ら閣僚たちもそろって、「風評被害」を振り回して、美味しんぼの主張を批判した、これを「権力による言論抑圧」と批判せず、同調するのは言論機関の自殺行為だろう。

【STAP細胞報道再論=マスコミの自己批判こそ求められたのでは?】

 STAP細胞=小保方晴子報道をテーマとするのは124号(4月20日刊)に次ぎ、2回目だ。それらの活字が、1面トップだけでなく、2、3面、社会面なども埋め尽くす「小保方新聞」が作られたのは、6月13日(不吉といわれる金曜日だった)で、今年3回目だ。
 最初は1月30日付朝刊。小保方は<リケジョ(理系女子)の星>と賞賛された。1面トップの見出しは<万能細胞 マウスで初の作製 簡単、がん化せず 「STAP細胞」命名――理研>(毎日)などだった。
 3月15日付の各紙朝刊も小保方新聞。しかし内容は暗転した。1面の大見出しは<STAP論文「重大過誤」>(読売)など。この日は3紙とも社説のテーマとし、天声人語▼編集手帳▼余録など1面コラムのテーマも、STAP細胞だった。社説のタイトルは、<STAP細胞 理研は徹底解明せよ>(朝日)など。
 3回目の今月13日は、1面見出しが<理研再生研の解体、提言 改革委「構造に欠陥」 STAP問題>(朝日)など。再生研(再生科学総合研究センター=CDB)について、「改革による再生は不可能だから解体せよ」と提言されたわけだ。これほど手厳しい勧告は稀だろう。

 リケジョの星だった小保方は提言要旨の中で、<研究不正行為は重大。研究者倫理の欠如、科学に対する誠実さの欠如は、研究者としての資質に重大な疑義を投げかけるもの>という人格否定と、<極めて厳しい処分がなされるべきだ>という勧告が、活字になった。輝ける星として賞賛されていたのに、一転して犯罪者同然に非難された。
 改革委は理研自体が設置した機関で、メンバー6人は全員が外部有識者。委員長は岸輝雄・新構造材料技術研究組合理事長だ。手厳しい提言だけに、朝日・毎日両紙は14日付社説のテーマとした。朝日は<理研への提言 改革で信頼取り戻せ>毎日は<理研への提言 改革で信頼取り戻せ」というタイトルだった。両社説とも提言について<おおむね妥当な内容である>(朝日)などと評価している。しかし手厳しい提言のキーワードといえる再生研の「解体」を強調する文章にはなっていない。

 新聞の社説などの文章は「何を書いているか」だけでなく、「何が書かれていないか」をきちんと読む必要がある。首相の施政方針演説など、政治的な文書を読むとき必須とされる手法で、新聞記者経験があれば、この「書かれていないのは何か」を探る姿勢は最低限必要なものだ。社説といえどもデスクワークをする人物はいる(私が所属していた全国紙では論説副委員長が担当していた)、一読して「解体というキーワードが出て来ないね」と指摘してもおかしくない。
 そのとき執筆者がホンネを告白するなら、「理研から頼まれまして……。『解体』を強調するのだけは止してくれってネ」でなかったかどうか。
 このテーマの社説を書く論説委員は科学部(新聞社によっては「科学医療部」)OBのはず。理研の幹部とは知り合いだろう。「再生研解体」の主張だけはカンベンして、と懇願されても不思議ではない。理研にとって最善なのは、提言をきっかけにした社説がないことだ。読売はその願いを受け入れたのかもしれない。いずれにせよ、新聞社説は理研に甘すぎる。

 それだけではない。新聞がいちばん甘いのは、新聞自身に対してではないか? 1月段階で朝毎読3紙とも、STAP細胞発見を社説のテーマとした。朝日=新万能細胞 常識を突破する若い力(1月31日付)▼毎日=STAP細胞 驚きの成果を育てよう(同)▼読売=STAP細胞 理系女子の発想が常識覆した(2月1日付)である。
 タイトルからも分かるが、そろって「絶賛」トーンである。朝日の書き出しは<輝かしい新星が現れた>。中ほどに<まさに教科書を書き換えるような大発見である>。そして末尾を
<特大ホームランを放った小保方さんに限らず、きっと同じように「もう一日だけ」と頑張っている研究者がたくさんいるだろう。そう考えると、日本の科学への希望も膨らむ。教科書を学ぶ学習を卒業し、教科書を書き換える研究の道に進む。強い信念と柔らかな発想に満ちた若い世代の飛躍を、もっともっと応援したい>
 と結んでいる。
 社説の絶賛ぶりは、1月段階の紙面づくりを代表するものだ。4カ月余りしか経っていないのに、今回は掌(てのひら)を返すように小保方を犯罪者同然に扱った。こんなことでは新聞報道など誰も信じなくなる。
 理研改革委の「提言」を、報道機関の幹部が真摯な姿勢で読むなら、行間に厳しい「報道批判」が込められていることに気づくはずだ。それが読み取れないのは、読もうとする意思に欠けているからだろう。虚偽イデオロギーでしかない「客観報道」にこだわり、「マスコミはニュースソースの『発信』を記事にするだけ」と信じ込んでいるフリをしているから、自己批判に結びつくような読み方などしないのである。

 同じ124号の本稿では「袴田事件=マスコミは謝罪しないで良いのか?」もテーマとした。袴田事件で冤罪の死刑が確定し、一生を刑務所の中で過ごした袴田巌元被告について、逮捕・起訴された当時「ボクサー崩れ」などの言葉を駆使して、人格否定報道の激しさを競っていたのが、新聞・テレビなどのマスコミだった。その自己批判を促したのである。
 テーマは異なるが、STAP細胞=小保方報道でも、マスコミの自己批判が求められていることを強調したい。

 偶然だろうが、5月中旬、医事・薬事関連の大ニュースがあい次いだ。
 降圧剤バルサルタン(商品名ディオバン)の臨床試験をめぐって、京都府立医大など5大学の研究者に対して、製薬会社ノバルティスファーマ(東京)の元社員が虚偽データを提供した問題で、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出した。元社員の行為は薬事法で禁止されている虚偽広告にあたると判断したものだ。
 京都府立医大に対しては、ノバルティスファーマ社から3億円超の「奨学寄付金」の提供があったことが報道された。バルサルタンの臨床試験を行ったのは、他に東京慈恵会医大▼滋賀医大▼千葉大医学部▼名古屋大医学部。臨床試験実施が、ノバルティスファーマ社からの働きかけによるものかどうか? 各大学(医学部)への資金提供があったのかどうか? といったところが、捜査の焦点になるのだろう。

 東京新宿区にある東京女子医大病院で、麻酔薬「プロポフォール」を使用禁止の条件に反して投与した小児患者63人のうち12人が投与後に死亡していた「事件」も明るみに出た。学校法人・東京女子医大のトップ・吉岡俊正理事長が12日記者会見して明らかにした。2009年1月から昨年12月にかけて、麻酔医らが、集中治療室で人工呼吸中の0歳から14歳の小児患者63人に対して、プロポフォールを投与。うち12人が投与の数日後から3年後までに死亡していたという。
 吉岡理事長の会見から4時間後、大学としての東京女子医大トップの笠貫宏学長ら幹部10人が記者会見し、吉岡理事長ら学校法人の全理事ら約30人に退任要求の文書を送ったことを明らかにした。笠島学長はその理由として「命を軽視する事態が相次いでいる。医大を運営する立場にあって、社会正義に反した責任がある」と述べた。東京女子医大で起きている「事件」も異常なことだ。

 理研は国立(正確に言えば独立行政法人)の研究機関。医大・医学部は国公私立さまざまで、ノバルティス社との関係で問題になるのは、研究業務。東京女子医大の麻酔薬事件は付属病院の治療業務の問題だ。それぞれに相違点はあるが、新聞社で担当するのは科学部だ。
 これらの機関について一括りでいうのは乱暴かもしれない。しかし、「大学の自治」を大義名分に、世間の監視が十分でなかったと指摘できそうな気がする。新聞社では、科学部が監視すべきなのだが、監視する意思も能力も欠如しているのが現状だろう。理研の再生研と同様、新聞社の科学部もまた、「解体」を求められているのではないか。

【サッカー・ワールドカップ=狂乱の報道は「正道」なのか?】

 サッカーワールドカップ(以後略称W杯とする)が12日(日本時間13日)、ブラジルで開幕した。決勝戦は7月13日というから、1カ月以上の長期間となる。私にとっては「狂乱報道」の被害者であることに耐えるしかない、憂鬱な1カ月余となる。
 私がサッカー嫌いとなったきっかけは、仕事上で起きた事件だった。2002年ワールドカップは、日韓共催となったのだが、国際サッカー連盟が異例の「共催」を決定したのは1996年5月31日。当時私は某紙の編集委員で週1回のコラムを書くだけが仕事という優雅な暮らしだった。6月6日付の夕刊に<サッカー2002年W杯 「共催」は日本の正念場>というコラムが掲載された。
 冒頭の文章は
<日韓対立の構図が、一転して前例のない試みを成功に導くための協力が課題となる構図へと移行した。2002年のサッカー・ワールドカップ開催地問題である。共同開催はまさに国際社会が生み出した英知といえよう。
 それでもなおかつ不満がくすぶっている。「共同開催は韓国ペースだ」ということらしい。こんな反応があること自体、恥ずべきことであろう>
 だった。

 最終的には韓国が、「隣国・日本と最後まで争うのは、外交上マイナス」と判断し、共催を提案した形だった。その点については、
<共催が「韓国ペース」などという人は、票集めで不利だった韓国が「共催OK」を表明するという捨て身の勝負に出た、などと見る。あまりに手前勝手な偏見でしかない。
 同じようなケースとして、名古屋とソウルが争った88年のオリンピック開催地問題があった。81年9月旧西独のバーデンバーデンで開かれた国際オリンピック委員会総会で、52票対27票の大差で勝ったのはソウルだったのである。
 日本と韓国の争いで「どちらがアジアの代表にふさわしいか」とみると、当然韓国に軍配が上がる。日本は明治期と戦後、2度にわたって「脱亜入欧」を志した国なのだ。その成功を喜びながら、都合の良いときだけ「アジアの一員」に化ける。この身勝手な論理は国際社会では通用しない。
 しかも日本人はいつまでも韓国を「弟分」とみている。「遅れた韓国」よりも「進んだ日本」の方が開催国にふさわしいという理屈である。これも日本の奢(おご)りでしかない。>
 このコラムが掲載された日の夕刻以後、「読者の声」受付部門の電話には、ひっきりなしに電話がかかったという。「韓国の論理を認めるものでしかない」「日本が敗北したのに、それを良しとするのか」と、筆者の私をまさに非国民扱いする抗議だったという。係の方々にはご迷惑をかけたが、さすがに私の文章の意味はご理解いただいており、「サッカーファンは、韓国に勝たなければ気が済まないんですネ」という感想を伝えていただいた。

 日韓共催W杯の前年、2001年12月23日の天皇誕生日、天皇は記者会見で、「韓国との深いゆかりを感じています」と異例の発言を行った。NHKをはじめ一部の全国紙は、この発言についてまったく報道せず、ほおかむりしてしまった。しかし韓国の主要紙は翌24日付朝刊でいっせいに、この天皇発言を大きな扱いで報じた。いずれも「天皇からの友好メッセージ」という好意的な記事だった。当時の韓国外交通商相は「韓日関係で誰もが知っていた事実が天皇を通じて再確認されたことに意味がある。大変良いことだ」と高く評価した。日本のマスコミの一部は、こうしたニュースを韓国初で報じ、それに付随して天皇の発言を紹介するという苦肉の策をとった。
 朝日新聞はその部分の天皇発言について、全文を紹介した。その一部は、
<日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって様々な文化や技術が伝えられました。(中略)
 こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。(中略)
 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。(中略)
 ワールドカップが両国民の協力により、滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております>
 というものだった。
 この天皇発言もまた、韓国との関係では「勝か負けるか」しか考えられない、サッカーファン的思考パターンを沈静化しようとしたものだろう。

 月刊誌「選択」(選択出版KK刊=書店では販売していない)6月号巻末の「マスコミ業界ばなし」は、W杯の巨額放映権料をテーマとしている。日本が支払う放映権料は前回の200億円から、今回400億円へと倍増した。前回の場合、CSのスカパーJSATが半額以上を負担したため、NHKと民放各社で作るジャパンコンソーシアム(JS)の負担は100億円弱。
 今回はスカパーが早々と撤退したため、JSで400億円の丸ごと負担を強いられた。NHKの負担は200億円を超える巨額とみられるという……。NHKが「全64試合を中継」と力コブを入れる背景には、こうした「カネの力」があるというのだ。
 日本の第1戦・対コートジボアール戦は日本時間15日午前10時から。それなのにNHKラジオ第1放送では、午前6時代から特別番組を放送していた。さまざまなゲストに「勝ちます」という無責任な「予想」をさせるだけの、内容のない放送だ。国民から取り立てる視聴料を使った、有害無益な放送を展開する「公共放送」にハラが立つ。
 新聞の方も、夕刊で特別面を作るなど大騒ぎだ。毎日は6月14日付朝刊から、最終面をW杯特別面とした。通常はテレビ番組面なのだが、それを中面に移すという大胆な紙面づくりだ。それで何かの「成果」が得られるという目算なのだろうか? 反発も大きいような気がするが、結果はどうだろうか?
 「カネの力」がからんでの、こうした「狂乱の報道」の下で、集団的自衛権を閣議決定で容認するなど、解釈改憲が着々と進もうとしている。まさに日本の「戦後レジーム」が終わろうとしている時期に、狂乱のサッカーW杯報道なのである。そんな紙面づくりをやりながら、新聞は「言論機関」を名乗り続けるつもりだろうか。

 (筆者は元大手新聞社・政治部デスク・匿名)

※6月15日までの報道を対象にしており原則として敬称略です。引用は<>で囲んでいます。


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