◇「老農夫のつぶやき」(4)             栃木  富田 昌宏

―漢字は手書きで考えよう―

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 加藤編集長から「パソコンを使わないのはなぜか。根拠があったら明示せよ」
とのご下命があった。確たる理由はない。あるとすれば私がモノグサで、パソコ
ンの学習を怠っているからである。
 私は手書きにこだわっているわけではないが、手書きに限りない執着心はある。
今日は、そのことを記して責を果たしたいと思う。

◆1)手書き通信のぬくもり

 私の手元には一日に数通の手紙が届く、印刷物もあれば手書きのハガキもあ
る。時には著名な先生方――鶴見俊輔先生や画家の朝倉摂さん、放送作家の永
六輔さんなどのお手紙もある。いずれも手書きである。人肌のぬくもりという
か、ほのぼのとした人格像が行間にただよい、感銘をうける。手書きのヨサで
ある。
 年賀状もパソコン全盛であるが、追伸に一~ニ行手書きの言葉がつけ加えて
あると、いいようのない親しみを感ずる。
 この事例にみられるようにパソコン全盛時代にあって、手書きの人間味は捨
てたものではないと思う。

◆2)手書き作家の主義主張

 著名作家の中にも手書きにこだわる人がいる。渡辺淳一さんや藤本義一さん
などはその代表的なお方である。
 渡辺さんは鉛筆書きで、三菱ハイユニの2Bと決まっている、という。これ
と原稿用紙の相性が一番いいのだそうである。鉛筆を使う理由は、一番書きや
すく疲れないからで、とくに2Bくらいの柔らかいのが、最も書きやすいそう
だ。とにかく、パソコンのように、あっという間に消えてしまうと、呆気(ア
ッケ)なさすぎて、口惜しさが滲む暇がなくて面白くない、とおっしゃる。

 藤本さんは太字の万年筆に黒インキで書いていると、漢字の一字に深い意味
が宿っているのが分かったりして楽しい、という。
 例えば、現在と書いてイマとルビを振りたくなったり、今という字を書いて
今という字が組み込まれた漢字を思い泛(うかべ)かべたりする。すると“衿
り”(えり)とか“念”といった漢字がたちまち現れてきて、今という時間が
人生で大事だというのを思い知らされる。

 衿を正すというと、服の衿をきちんとする姿勢を取ることだと改めて考える。
同じ襟という字よりも、こっちの衿の方に意味が含まれているのを感じ、この
含にも今が冠になっているのがわかり、次に念という字は今の心を告げている
深い意味を宿しているのを知る、と説く、 一番楽しかったのは“化”という
字を書いて、これに草冠を乗せれば“花”になり、化けるに革という編を配す
ると“靴”という実用的なものになり、化を冠にして下に財産の貝を書くと
“貨”になり、化を編にして頁を書くと“傾”となり、これをカタムクという
より、カブクというのが正しいからカブキ(歌舞伎)という芸能の世界を表現
しているのだとわかった。花、靴、貨、傾と文化の化にはさまざまな要素が秘
められているのを知って嬉しくなった。これも自筆原稿を書いているからこそ
知る醍醐味である。
 パソコンではこの妙味は得られないだろう――と強調する。

◆3)手紙――手書きへのこだわり

 オールパソコン化した手紙での交流を想像してみる。意味はもちろん通ずる
し、細かい感情の表現も可能である。しかし、肌のぬくもりというか、全人格
の投影という点では、手書きの優位性を認めざるを得ない。私が古い型の人間
だからかもしれないが、手書きの文字の発光する人間味は捨てたものではない。
 また、藤本義一さんの云うように、漢字は手書きで考えよう――というのも
一理ある。

 例えば、幸福の幸に人が寄れば“倖”になるが、この“幸”という字の上下
の横棒一本を抜いてしまうと“辛”という字に限りなく近付いてしまう。辛と
幸とは肝腎の線一本があるかないかで定まってしまうものだと考えたりする。
この横棒とはなんだろう。すると、どうやら上の一本は思考であり、下の一本
は行動ではないかと気付く。

 思考を止め行動を止めた場合に、人間は諦め(あきらめ)という地点に立っ
て、動かなくなってしまい、ストレスが発生して前進性がなくなってしまう。
ウツ状態が生じてしまうようで、生真面目に物事を考える人が陥ち(おち)て
しまう穴だといえる。
 この“穴”という字を書いて、じっくり眺めてみる。
すると、“空”という字が現れてくる。穴に工を加えた字である。

 即ち、精神的な穴に入り込んだ場合には、その下に工事をすればいいという
ことになる、この工事とは常に土台を用意しておけばいいという解答になる。
なにも準備していないと穴の奥底に落下していくしかない。それも無限の穴底
に堕ちて立ち直りが難かしくなってしまう。精神病院では、この無限地獄に喘
いでいる人が年毎に増えているのである。

 ムゲンというのは無限、無間の他に夢幻という熟語と一致する。
 やはり夢だけを追って、いつかは抱いた夢が実現するだろうと思っているだ
けでは、すべては幻に終わってしまうと約束されたのと同じだとわかり、ここ
で、“儚い”の深い意味がわかってくることになる。わかった時には“今”が
薄くなり、年齢的に無理だとわかって、すべては消えてしまうことになる。こ
れでは人生、つまらない。

 パソコンではなかなかつかみきれない言葉の面白さを書いてみた。手書きの
味わいも捨てたものではない。希少価値として味わっていただけたら幸いであ
る。
 以上パソコン全盛時代に刃向かう“蟷螂の斧”のおそまつである。
      (筆者は元日本青年館専務理事・栃木大平農協理事)        
   

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