加藤宣幸さんを偲ぶ会へのお礼 戦後社会党の終焉を思う

仲井 富

 4月16日、加藤さんを偲ぶ会には予想以上に多くの方に参加して頂き、厚くお礼申し上げます。しかも遠方の大阪などから旧い同志の方々が参加いただいたことに御礼を申し上げたい。残念なのは加藤さんと最も古い戦友で会った西風勲さん91歳が参加の予定だったが、転倒事故のため参加されなかったことだ。

 個人的感懐で言えば、私は東京の左派社会党青年部事務局長として赴任し、港区桜川町にあった本部に1955年10月1日出勤した。しかし同月13日には左右社会党統一大会が開かれた。そして配属されたのが加藤勘十さんを長とする軍基地委員会だった。以降、社会党軍事委委員書記として砂川現地に派遣された。
 そして、以降は江田三郎の構造改革論の提起以来、これを主導した加藤宣幸さんら幹部書記の下で派閥オルグとして全国を回る役割を課せられた。加藤親子二代にわたる因縁による社会党書記時代だった。星霜53年、最後まで加藤宣幸さんとのつきあいは続いた。

 いまや多くの同志はあの世に去り、あるいは病の床にある。93歳の頑健な加藤さんのお陰で、まだ若造だと思うことが多かったが、今や85歳の老兵である。戦後19歳にして社会党青年部をつくった大先達の急死によって、戦後社会党の時代は完全に終わったと自覚せざるをえない。

 加藤さんが心血を注いだメールマガジン「オルタ」は、加藤さんの志を継いだ若い世代によって新たなスタートを切ることになるだろう。今後とも変らざるご教示とご支援をお願いして、お礼の挨拶とします。

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