【コラム】1960年に青春だった! (28)
「すみません」が口ぐせの人とは友だちになれる
自由が丘の金田は、東(上野)のシンスケ、西の金田と並び称される居酒屋でした。
酒は菊正、ビールはサッポロ。肴は何十年も続いたここの定番ずらりの老舗。昔日は別名、金田学校という名の座敷があったりしました。あいにく満席でも気を利かせて立つ常連がいたし、手動ドアの閉め忘れ客が出たあとはドア近くの客がさっと立って始末する。
おやじさんが勘定のとき「どーもすみません」とお辞儀する店でした。
藤が丘の浅野酒店の店主も半世紀かわらぬ笑顔で「どーもすみません」と言います。
淡路町の松栄亭のおかみさんは真顔でさもすまなかったようにそれを言いました。
新橋の大徳もガード沿いにあった時代の昼食時、若い奥さんがそれを言っていました。
「どーもすみません」は良き時代の商人言葉です。胸のうちで「どーして」と問い返してみるとその心情、浅かろうはずがない。「毎度見えていただいて…」「ご期待どおりご賞味いただけたでしょうか…」「もしや至らぬ点がありましたらお許しを…」「見慣れないお顔ですけれどわざわざおみ足を運んでくださって…」。
人は謝りながらぐだぐだと言い訳じみた言葉を加えがちです。かくれんぼの白バイに捕まった不運な人がその典型で、どう言い訳しても効き目があろうはずがない。謝っちゃえば楽になる。あれは捕獲作戦至上主義の汚ねエ網に引っかかったと諦めるしかない。
昔、某オルガン・メーカーの新聞広告に「出発進行」と書いてしまい、四国のとある小学校の教頭から社長宛にハガキがきました。これは「出発、進行」と書くべきところの誤りである、とのお叱り。犯人はまだ駆け出しコピーライターのボクでした。
当時はどちらもありの混用期でした。直ちに宣伝課とボクが相談、謝罪案を出したところ、社長の案は、①解説は無用。言い訳になる。②速やかに社長代理として四国営業所長を向かわせる。③指摘の礼に徹する。④社長からも礼状を出す。これで謝罪業務完了、なのでした。
翌年の春、営業所長から同小学校に新型オルガンが納入されたと報告がありました。
謝罪するとは、あちらを上にし、こちらを下にする、こちらには好都合この上ない関係を生み、信頼をうる最良のチャンス・メイク、と学習させてもらいました。
そういう損得計算とは別に「すみません」は深い宗教観につながりもします。
書簡の伝道師パウロが説いた「弱者であることを誇れ」は、心のうちで愛と平和と自由とを成就させるための基本姿勢です。
パウロ自身、十二使徒の一人ではなかったことのコンプレックスが心の中で宣教のエネルギーとなり、各地の教会の信徒たちへ精力的に書簡を書き綴ったのではないでしょうか。
山本周五郎の絶筆作品『おごそかな渇き』は「現代の聖書」を意図して書いたものとして知られています。一方、滑稽ものとして有名な『雨あがる』のほうも「すみません」のキリスト教宗教観が繰り返し表現されていて、高い評価を得ています。
武芸を極めた伊兵衛の名が巷間伝わり、挑戦の手を上げた天狗どもが、いざ勝負と身構えるのですが、伊兵衛は顔に戦意すら表さない。相手が焦れて出ると、それより早く伊兵衛の木刀一閃。天狗のほうは羽目板に飛ばされていて、膝をつき惘然と「まいった」。
すると伊兵衛は、いつものように「どうもすみません」とお辞儀を返します。「不快な思いをさせてすいません」なのだ。
遠藤周作『深い河』も「すみません」で紡がれます。
一章。末期癌で病床に臥している妻に、担当医の診断を聞いて戻った磯部は「四ヶ月後にはかなり良くなると言っておられる。もう一寸の辛抱だ」と下手な嘘をつく。妻は見抜いて言う、「じゃ、あと四ヶ月も、あなたに迷惑をかけるのね」。
「すみません」を「ありがとう」で伝えたい妻なのです。看護についたのが美津子。
美津子はかつてカトリック系大学仏文科の学生だった。同じクラスで美津子に弄ばれるのが野暮学生・大津。ふたこと目には「すみません」をくちばしる男です。「すみません、すみませんて、座が白けるわ」とますます美津子に蔑まされる。
大津はクリスチャン。「ねえ、その神という言葉やめてくれない。いらいらする」、すると「すみません。その言葉が嫌ならもトマトでもいい、玉ねぎでもいい」
時が経ち、登場人物たちはガンジス川の見物旅行に参加する。大津はみすぼらしい神学生となってフランスにいる。美津子は実業家と結婚、ハネムーンでフランスへ。二人は再会。
十章。ガンジス川沿い、ヒンズー教の一大聖地。大津はキリスト教宣教師の服を脱ぎ、死体運搬の仕事で飢えを凌いでいる。
十三章。テレビはガンジー首相の暗殺を伝える。沐浴の群衆のなかで騒動が起きる。
死体運搬用の担架の上に血だらけの大津がいて、「さようなら」と呟く。「あなたは馬鹿ね、玉ねぎのために一生を棒にふって」と叫ぶ美津子。
この「さようなら」は大津の最後の「すみません」であるかのように読めます。
(元コピーライター)
(2022.1.20)
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