【コラム】海外論潮短評(101)

「アラブの春」から政治的な冬に逆戻りした中東諸国の最新事情

初岡 昌一郎


 ロンドン『エコノミスト』誌の1月9日号が、「アラブの冬」という長文の分析・解説論文を掲載した。混乱を深めるアラブ諸国の情勢を把握するのに役立つので、主要部分を抽出して紹介する。歴史に造詣の深いイギリス知識人特有の明快な切り口で、やや上から目線のきらいはあるものの、透徹した論評で問題の重要な側面を剔抉しているのはさすがだ。「アラブの春」が生み出した希望が蜃気楼のように消滅したのは、内部的諸条件と主体の弱さが失敗の主要因であることを強調している。しかし、革命は潜在化したので、終わってはいないとみている。

◆◆ 「アラブの春」から5年 — 以前にも増して混迷を深める諸国

 2011年の春、憎悪されていた支配者たちの退陣を要求する平和的なデモがアラブ6ヵ国に政権交代をもたらした。その他の蜂起はいずれもハッピーエンドを迎えることがなかった。リビアとイエメンは暴発し、アルカイダやイスラム国(IS)などの国外勢力に支援された武装集団間の内戦に突入した。エジプトとバーレインでは、抗議の始まった時よりも強権的な政権の復活で政治状況が逆行している。シリアは真っ逆さまに底なしの沼に入り込んだ。半分以上の都市が廃墟と化し、肥沃な土地の多くが耕作放棄を余儀なくされた。何十万人が死亡し、一千万人が家を失い、何百万人が難民となった。しかも、悲劇にまだ終わりが見えない。

 石油資源豊富な湾岸諸国と静かに繁栄するモロッコを除き、アラブ諸国の前途は見通しが暗い。イラクにおいては、スンニ派居住地の南部とクルド人地域の北東部は、事実上、別個の国になっている。内戦を経過したアルジェリアとスーダンでは、軍をバックにした政権が略奪的な支配を続けている。対立する政派が支配する地域に分裂したパレスチナは弱体化し、孤立を深めている。ヨルダンは恐怖の中で表面的な平穏を維持しているが、大量な難民の流入を止められず、緊張が膨れ上がっている。

 アラブ諸国の歴史はこれまでも苦難に満ちたものであったが、これほどの窮境に落ち込んだことはかつてなかった。アラブの春によって生まれた希望:参加型の政治、国民に責任を持つ統治、経済を蝕む腐敗の排除、雇用機会の拡大は、すべて淡雪のごとく消え去った。それに代わって、いまオバーフローしているのが絶望である。富裕な湾岸諸国も石油価格の崩壊によって所得が急減し、経済社会事情が激変した。アラブ近隣諸国からの労働者は、安上りなアジア人にますます取って代わられ、北アフリカや中東諸国は送金収入を大幅に失った。

 中東の人口構成は25歳以下が60%以上だ。ILO統計によると、中東と北アフリカにおける失業率は2011年にすでに25%を超えていたが、昨今では約30%に跳ね上がった。これは世界平均の倍以上である。経済成長は低迷だけでなく、降下している。階級間と部族間の対立が高まり、過激派にとって肥沃な土壌が醸成された。イスラム的ユートピアが唯一の救いと思われるのは不思議ではない。

 アラブの春は難儀と混沌しかもたらさなかったように見える。ナイーブな欧米政策担当者の失敗に責任を押し付ける、ロシアとイランが行っている批判をオウム返しに唱えるのがアラブ域内でも流行っている。西欧諸国が、もしもムバラクなど旧同盟者をあっさり見捨てなければ、リビアの叛乱者集団を支持して武器を供給しなければ、あるいはムスレム狂信集団の危険に目をつぶってこなければ等々。無知な欧米の介入がなければ、すべてがうまくいったに違いないという議論はナンセンスだ。

◆◆ 進行する軍部と治安機関の復権 — 湾岸諸国守旧派の国際的支援

 アラブの春に期待する素朴な楽観論は、以下の二つの想定に基づいていた。第一は、アラブ国家は脆弱であり、その体制は国民的支持を欠いているので、市民のデモや叛乱に耐えきれない。次に、アサドのような不人気な指導者が国土を焦土化してまで政権にしがみつくことはない。したがって、今日の事態は想定外としていた。

 アラブの春の推移に個々の国の事情以上のものが作用したことは間違いない。同時に、現下の反革命期も国際問題として把握すべきである。域内の保守派は、湾岸諸国の強力な支援を受けて政権の維持や復権を図っている。バーレインの支配者は仲間の他の王族に対し、シーア派主導の民主主義運動を鎮圧するように働きかけてきた。昨年のサウジアラビア主導の対イエメン軍事介入もこの一環である。アラブ保守派は何よりもイランの影響拡大を恐れ、現状維持を策している。

 最も国際化している紛争は、激化の一途をたどるシリア内戦だ。域内の諸勢力の対立競合と域外諸勢力の介入が縺れ合い、代理戦争の様相も呈している。しかしながら、本質を見定めれば、部族的な狭隘な基盤しか持たない政治エリートと、他方で抑圧されてきた市民の間の権力をめぐる闘争である。長い歴史を持ち、はるかに安定的な民族国家であったエジプトでは、湾岸諸国の財政支援を受けた旧体制派が勝利し、返り咲いた。過去5年間、アラブの春の弱点と欠陥を暴露するストーリーが展開されているが、蜂起を生んだ社会的緊張は解決されずに潜在化し、持続している。

 カイロ市の中心部にあるタヒール広場の占拠で口火が切られたエジプト民主革命は、ムバラク政権の無血打倒に成功した。しかし、その後の民主的選挙で政権についたムスレム政党は、トルコの回教政党が行ったような漸進的かつ着実な改革の道を選ばず、民主的な制度改革を優先するよりも、仲間の幹部を政権中枢に送り込むことに奔走した。それに対する反発を利用した軍部と治安機関によるロシア型ソフトクーデタによって、軍部代表のシシ国防相が政権を把握した。それから2年半、シシ将軍の反革命は貫徹したようにみえる。ムバラク派幹部や、2011年の衝突時期に市民多数を殺傷して投獄されていた治安機関要員はすでに無罪放免された。その代わりに、大勢のムスレム兄弟団員と市民革命活動家数千人が殺害され、あるいは投獄されている。また、数万人は国外亡命を余儀なくされた。

 シシ政権が特に目をつけ、迫害しているのがソーシャルメディアを駆使して革命を主導した若者たちだ。大学、メディア、裁判所など独立性を若干でも持ちそうな機関を統制するために、前代未聞の大掛かりな弾圧が強行されている。昨年12月の各大学にける学生評議会選挙結果が意に沿わないものであったので、政府はその無効を命じた。軍部の支配を本格化しようとして、民主的な拘束を破棄する憲法改正を行い、大統領に広範な権力を付与し、国会を無力化した。

 革命の中核勢力であったムスレム兄弟団は迫害によって機能麻痺している。もっとラジカルなグループには大衆的な基盤がないので、大規模な抗議運動が始まる見通しは今のところない。だが、恐怖の壁がエジプト市民を圧迫しており、恣意的な強圧政治を行う政府は国民の支持を受けていない。軍と政府の一貫性のない政策と巨大な権力が国外投資家を敬遠させている。エジプト政府の債務は巨額に上っており、2015年半ばには、国内外からの債務がGDPの100%以上になっている。2011年以後、政府の財政赤字は毎年10%を超えている。湾岸諸国はシシ政権を支持してこれまでに300億ドルを低利融資しているが、エジプトが過去に再三救済措置と返済延期を求めてきたこともあり、また湾岸諸国自体石油収入の急減で余裕がなくなっていることから見て、これ以上の救済を期待できない。

◆◆ 無視できないイスラム国(IS)の統治モデル — アラブ諸国にとっての教訓

 エジプトを始め、アラブの政治エリートが過去に怠ってきたのは、国民に説明責任を負うこと、参加型統治モデルを創出すること、国民の教育を促進することであった。過去60年間にわたるファシストまがいの専制下において、現実を隠蔽する宣伝と派手なパレードを繰り返すばかりで、国民にたいしては自由な言論と選挙の権利を封殺した。それらの体制は粗野かつ野蛮で、しかも将来の方向性を欠いていた。このような政治に対するバックラッシュが発生したことは驚くに足りない。

 だが、今回のアラブ革命は優れた指導者を生み出さず、国民の信頼を獲得する行動プログラムがなく、魅力ある理想を欠いていた。しかし、アラブの春は政治的イスラムの意味、アラブの世界における位置、アラブ国家と社会の力量の限界と弱点をより明確にしたので、政治的思想的に今後を熟考する基礎を国民に提供した。

 イスラム兄弟団は不名誉な政権実績というマイナスを背負うことになる前には「イスラムが解決する」という、単純かつ曖昧なスローガンで信者と大衆を惹きつけていた。今回の経験から、多くのアラブ人は「イスラムとは何か」を問うことになった。倒錯した発想ではあるが、イスラム国(IS)はそれを支持する人たち以外のイスラム教徒を否定、排撃している。いずれの宗派とも、教義の相違する主要宗派指導者が権力を掌握するのを歓迎していない。

 アラブのオピニオンリーダーは、これまで国内諸悪の根源を旧植民地支配者である西欧と覇権国アメリカの介入の所為にしてきた。ところが反面で、国家指導者たちは慣習的に欧米の保護と援助を求めてきた。この点では、欧米にも罪と責任がある。最悪かつ最大の失敗は、あきれるほどグロテスクなアメリカのイラク占領である。欧米が自ら蒔いた失策の種と、アラブの春に対する無策ぶりから見て、アラブの春の起因をアメリカ陰謀説や欧米ヘゲモニーの失敗で説明することは噴飯ものである。現在、欧米の対アラブ諸国影響力は限定的なものであり、それらが効果的に行使された例は見られない。問題の根源は、欧米にではなく、域内諸国にある。

 今に始まったことではないとしても、今回明白になったことは、アラブ連帯という繰り返されたスローガンにも拘らず、実際にはアラブ諸国間の関係が極めて貧弱なことであった。アラブ国家自体の弱点が明らかになっただけでなく、市民社会の弱さも露呈された。エジプトやチュニジアにもまして、国家機能の貧困を暴露したのがシリアだ。これらの国に乱立する治安機関の権限と役割、その担当範囲は誰にもわからない。

 非常に皮肉なことであるが、一連の革命が求めた新統治モデルを何らかの形で提供したのが、イスラム国(IS)だけであった。これまでの専制支配よりも悪名が高くなり、世界的な嫌悪と集中砲火をこの集団は一身に浴びている。他のイスラム教徒全部がそれを「非イスラム的」と否定している。だが、その醜悪視される実験がもしも生き延びるならば、少なくとも域内においては、強烈な教訓を与えずにはおかない。

 ISの法律は残酷だが、混乱の中に秩序を求める大衆にとって、迅速かつ厳格な司法の執行を強調することの持つアピールをアラブ諸国は肝に銘ずべきだ。内部の腐敗に対する厳罰、初歩的ではあるが、教育、保健、社会福祉の提供を目指す公共サービスは、他のアラブ諸国が無視、軽視してきたものである。極度に中央集権的な他のアラブ諸国とは異なり、ISは幅広い権限を地方機関に与えている。油田を国家所有とする他のアラブ諸国とは違い、ISは支配下にある油田の原油を採掘場所で売り、それを精製、運搬するものに課税している。

◆◆ 最後に — 歴史の教訓から見て

 アラブの春が無意味だったと決して断定するものではない。ヨーロッパの歴史を見ると、1848年の革命と1968年の革命は、事態の前進と思想的に何ら寄与しなかったと映るかもしれない。未遂に終わった革命の直接的な結果としては、保守反動派のバックラッシュが促進されたに過ぎなかった。イギリスの歴史家A.テイラーはこれを「歴史は転換点に到達したが、転換に失敗した」と考察している。アラブの春もこの観点から見るべきだ。

 未遂に終わった両ケースとも、革命的変化は長期的持続的な形態をとって潜行し、その数十年後に全面開花した。その潜伏時期には、街頭行動に依拠するよりも、文化的社会的経済的に静かな変容の促進と、新しく強力な組織と制度の構築によって革命的変化が準備された。将来、春の季節を甦えらせて持続的な夏を導き出すためには、まず文化的雰囲気と社会的環境の徹底した変化を目指す必要がある。

◆ コメント ◆

 エコノミスト誌としては珍しく踏み込んだこの論文に、アラブ問題の門外漢である評者は、全面的に納得してはいないものの、違和感を覚えなかった。少なくとも、アラブの春について評者がこれまで読んだ論評には、ここまで踏み込んで分析と問題点の指摘を行ったものがなかった。アラブ各国の内部的諸事情に精通した国際問題専門家は稀有なので、解説と論評は外部的な要因に重点を置かれたものになりやすい。複雑な内部要因を把握して分析するのは容易でないが、外部要因によって説明するのはより簡単である。

 くらい夜道にぽつりと立つ街灯の下で、男が探し物をしていた。通りがかりの人が尋ねると、「鍵をなくした」という。一緒にしばらく探したのが、見つからない。助っ人が「ここで失くしたの」と尋ねると、男から「どこで失くしたかわからないが、ここだけが明るいので探している」との答えが返ってきた。

 この寓話のように、自分のわかっている範囲が限られているのに、問題全体に包括的な回答を出す「専門家」は少なくない。ここでも、イギリスの歴史家、E.H.カーの名言「歴史とは過去と未来」の、そして「過去と未来の対話」が想起される。歴史観のない現状分析は浅く、目前の現象に振り回されてしまう。

 今後のアラブ世界の動向は、本論が強調しているように、各国の内部的改革勢力の成長にかかっている。だが、国際的な影響力はこれまで以上に状況を大きく左右するだろう。その意味では、近隣有力国であるトルコとイランが今後ますます重要な役割を演ずる可能性に注目したい。

 両国は共に非アラブ民族主体の国であるものの、それぞれでの政権はムスレム政党が担当しており、かなりの政治的安定性を確保している。トルコはスンニ派、イランはシーア派の代表的な拠点である。中東や中央アジアを旅行した経験のある人は、この両国の大きな歴史的存在感に気づかずにはおれない。

 現在、両国の政治と指導層はアラブ諸国に比してはるかに成熟しており、内外で改革路線を取りながら、比較的冷静かつ和解的な国際協力を追求している。両国は長い歴史を通じてアラブ世界に深くかかわってきたので、この世界を最も熟知する外部の国である。もし両国間の対話と協力が進むならば、回教世界全体に新たな協調関係を生むのを助け、世界全体において和解の雰囲気を生むのに多大な貢献ができるだろう。

 (評者はソシアルアジア研究会代表・オルタ編集委員)


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