■ 「オルタ50号」と「主婦の友」廃刊           今井 正敏

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  メールマガジン「オルタ」が50号を迎えた2月、雑誌「主婦の友」の廃刊が
報じられた。
若い人には馴染みが薄いが、「主婦の友」は100万部を超える大雑誌で大正・
昭和期には大きな影響力を誇っていた。「主婦の友」は「主婦之友」として1917
年に石川武美によって創刊されたのだが、この大正時代前期は「婦人世界」「婦
人画報」「婦人の友」「婦人公論」など婦人雑誌の全盛時代であった。とくに「婦
人」というネーミングには家事は女中(今はお手伝いさん)に任せ、観劇やデパ
ートに出かけるハイクラスというイメージがあった。これにたいして石川武美が
狙ったのは明治の中ごろに誕生し、大正に入って広がった「主婦」という言葉で
くくられる中流の下の層であった。「主婦」は「おかみさん」のニュアンスに近
く「教養の低さをしめす糠味噌臭い言葉」であったという。石川はあえてこれを
誌名に選び「読者とともに」をモットーに、ひとりよがりの内容の婦人雑誌に対
抗し、誌代前払いの読者には「ちりめんの半襟」を贈呈したり、「家計簿」や
「実物大の型紙」を付録につけるなどの新企画を連発し、創刊3年で婦人雑誌
では日本一の部数を達成し、以後王座を揺るぎないものにする。

  この「主婦之友」の躍進に刺激を受けた講談社(大日本雄弁会講談社)の野間
清冶は1919年に「婦人倶楽部」を創刊し、二大雑誌の競合時代に入るが、「主
婦之友」は1943年に163万部という最高部数を記録する。当時、100万部を超
えた雑誌は「主婦之友」のほか講談社の「キング」、産業組合(JAの前身)中
央会が出す「家の光」、(財)日本青年館発行の「青年」の三誌であった。このう
ち「キング」は「面白く為になる」を合言葉に国民雑誌を標榜して野間清冶が
1925年に創刊したもので、新聞に全面広告を打つなど創刊号の翌年には150
万部を達成し、昭和に入ると毎号100万部を超え「キング」の名を欲しいまま
にした。これにたいし「家の光」と「青年」は広告に頼る書店売りはせず、もっ
ぱら組織売りに徹した。「家の光」はそのご発行元が(社)家の光協会に変わっ
たが農家を基盤にした販売力は強く最高150万部を超えた。「青年」は「青年
団」が販売組織で、青年学校が義務教育になったり、文部省の指導もあって10
0万部を超えることになった。

  戦後は「主婦と生活」「婦人生活」などが加わり、婦人雑誌界は4誌競合時代
に入り「主婦の友」は1989年の新年号で161万部という最高を記録した。
このときが4誌の競合もピークで以後各誌とも部数が減少し、平成に入ると「婦
人生活」「主婦と生活」「婦人倶楽部」の順で姿を消し、最後に「主婦の友」だけ
が残っていた。すでに「キング」は1957年12月に「青年」は1950年に
幕を閉じ、「家の光」だけは産業組合が農業協同組合に改組され1957年に1
50万部を超えたが今は昔日の勢いはない。
  インターネット時代に身近なマンモス雑誌メデイア変遷の歴史を省みると多
くのことを教えられる。メールマガジン「オルタ」はこれらを他山の石として号
を重ねて貰いたいと思う。  
              (筆者は元日本青年団協議会本部役員)

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