【コラム】
風と土のカルテ(79)

「カリスマ」を支え続けた功労者が遺したもの<追悼>佐久病院・松島松翠名誉院長

色平 哲郎

 10月11日午後、私が勤める佐久総合病院の松島松翠(しょうすい)名誉院長が、92歳の天寿をまっとうされた。世間的には佐久病院といえば、終戦直前に赴任した若月俊一名誉総長(1910-2006)が「農民とともに」のスローガンを掲げて地域に密着した医療を展開し、住民の支持を受けて地方では稀有な大病院に育てたことで知られている。

 確かにその通りではあるが、若月先生の理念を実体化したのは松島先生だった。本田技研工業を創業した本田宗一郎氏に藤沢武夫氏という名参謀がいたように、佐久病院も若月先生のカリスマを支える松島先生がいて発展を遂げることができたのだ。

 松島先生は、若月先生の指示を単にそのまま受けるのでなく、現実に落とし込んで、少しずつ実現させていった。松島先生は温厚な性格で知られるが、時に若月先生に直言し、言い返すこともあった。そして周囲や部下をかばったりもした……。このあたり、必ずしも一般には伝わっていない。

 松島先生は1928年生まれで、東京大学医学部卒業後の1954年、佐久病院に就職した。当初は外科医で、後に健康管理部門に転じた。1960年に健康管理部長に就任。住民と一緒になって健康づくりを進める旧南佐久郡八千穂村(現、佐久穂町)での「全村健康管理」や、長野県内全域で巡回健診を行う「集団健康スクリーニング」などを積極的に進める。文字通り「予防は治療にまさる」を牽引し、農村での病気の予防、早期発見、早期治療の仕組みを確立した。

 いつも笑顔の松島先生は、行政の保健師たちと仲良しだった。彼女たちの(彼女たちを経由して住民から届く)提言、さらには苦言や批判を素直に聞き入れて病院づくりに反映する度量があり、この点が際だっていた。1978年から15年間、南佐久郡八千穂村(当時)で衛生指導員を務めた若月賞受賞者・高見沢佳秀さん(79)は、松島先生が亡くなったことを受けた信濃毎日新聞の取材に対し「上から押しつけず、同じ目線で住民の話を聞いてくれた」とコメントしている(10月16日朝刊)。

 亡くなる直前、松島先生は「季刊佐久病院41号」(2020年秋号)に載せる「漫画になった吉野源三郎」という原稿の加筆、修正をされていた。以前、一度、執筆した原稿だったが、その中で『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎について触れながら佐久病院の「社会科学的認識」の弱まりを指摘し、克服しなくてはならないと説いていた。社会科学的認識とは、地域の実情や歴史、人と人との関係、経済状況の変化など、医療を取り巻く様々な要因をしっかり把握しておくこと、といえようか。松島先生らしい原稿なので、一部、引用しておきたい。

 「現在の働き方改革からすれば、異論を唱える人もいるかもしれないが、『社会科学的認識』を深めていくには、まず地域をよく知ることだと私は思う。病院の中に閉じこもっているだけでは、地域は分からない。地域へ出て地域がどのような社会的問題点を抱えているのか見極めることだ。そのなかで、地域の人たちと心が通じ合う仲間になることがすべての始まりである」

●住民と病院との心理的距離を縮める

 時に松島先生は、佐久病院の演劇活動の中でアコーディオンを奏で、若月先生が書いた詞に曲をつけた。住民の前で芝居を演じる「文化活動」で公衆衛生への意識を高め、住民と病院との心理的距離を縮めた。そうした地道な実践の上に、現在の佐久病院はある。

 私自身は、1995年の夏、若月先生と松島先生のお2人に東京・本郷の東京大学医学部の山上会館で講演いただいたときのことが忘れられない。

 数カ月かけて準備をした。東大医学部国際保健計画学教室の教授の招きで、2人は母校の演壇に立った。若月先生がほとんどの時間を使ってお話をされたが、「私の3つのアピール(「予防は治療にまさる」「農民とともに」「学問を討論の中から」)を、現実にして見せてくれたのは、この松島院長(当時)なんだよ」とおっしゃって紹介されたのが印象的だった。

 俳優で、反戦・脱原発の活動にも力を注いだ菅原文太氏が、2014年に亡くなる直前の講演で松島先生編著の『現代に生きる若月俊一のことば』を聴衆に向かって何度も掲げ、地域に根付く医療の大切さを強調していたことも思い出す。

 戦争をくぐり抜け、戦後日本の礎を築いた人がどんどん少なくなっていく。

 合掌

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2020年11月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202011/568031.html

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