【コラム】
あなたの近くの外国人(裏話)(29)

「カレー屋さん」たち(1)

坪野 和子


 5年ぶりにインドに行ってきました。ニューデリーのチベット人居留地域に宿泊して、地下鉄にたくさん乗って市内を移動しました。デーラドンに寝台バスに乗って行きました。初めての国内線航空機でグジャラート州のスラットへ行きました。ニューデリーの排ガスの凄さ、食堂では手洗い水がなくなってナプキン設置、トイレの水もミニシャワーになっていて、インドの都会を実感しました。滞在中、印パのカシミール問題に触れたメディアをうんざりするほど見聞しました。

 連れの婚約者のご親戚宅で家庭料理をいただき、ビリヤニ(インドのパエリア)をごちそうになりました。日本にいる息子のようなパキスタン人の男の子たちは皆ビリヤニが大好きで、なぜか日本が懐かしくなりました。帰国してすぐ、男の子のひとりに、新三郷のバングラデシュ出身経営者でコックがインド人のお店の「普通に美味しい」ビリヤニを買ってきてとおねだりされました。南アジアのみんなで同じ釜…いや大鍋のビリヤニを食べれば戦争もテロもなくなるくらい…ならいいんですけれどね。

 さて、今回は、いまや日本で「本場」の「カレー屋」。当たり前になり、インドとネパールの旗が店頭で飾られ、しかも長続きしない店も少なくない気がします。これは数年前、中国人の中国料理屋が増えた…同じ場所にすぐに代替わりをしていた…あの感覚と似てもいます。もちろん、ずっと同じ場所で続いている「カレー屋」もあります。

1.助けてください!!

 今年の春浅いころ、自転車でカレー屋さんの前を通ったら、店名が変わっていました。ああ、前の店、チェーン店で千葉県ではいろいろなところにあったけれど、松戸周辺は全部なくなって、他の店になっていたなあ。…なんて思っていたら、チラシを配るためにお店の中からコックさんが出てきました。メニューを見せてもらって、あ?ダル(豆)カレー4種類あるし、カダイ(骨付)チキンがあるし、まあ食べてもいいかな??

 「前はアサ(店名)だったよね」「アサはなくなった。社長は同じ」「ふーん。仕入れ元が一緒なのね?」「…」「中に入ってスープ飲んでみて」「あ、ありがとう」
 中に入ってスープを試飲しました。すっきりしたチキンスープで結構いけました。もうひとり別のコックさんがまかないを食べていました。「食べてみる? 辛いの大丈夫、豆のカレーだよ」
 ほんの少しいただきました。ニンニクが効いていて「普通に美味しい」…しかし、閑古鳥。

 数日後、ダルカレーの持ち帰りしに行ったらやはり閑古鳥。「お願いです! 助けてください。家賃が12万、社長はコルカタに帰っていて戻らない、ご飯作っているのに、私たちのご飯が食べられない!」
 笑ってはいけないから黙っていました。お昼1時間だけチラシ配りを1週間することにしました。時給1,000円とお昼ご飯。完全にボランティアと変わりません、いえボランティアそのもの。

 翌日インド文化圏の女性の民族衣装を着てチラシを配りました。まあ人が歩いて通らない場所だこと! 私自身もこの通りは自転車で通過するだけですし、この場所のカレー屋さんでお持ち帰りをしても店内で食べることは稀だと思います。しかも通った人に話しかけたら、隣町のブータン人の介護福祉士とか近くのネパール料理屋の店員だったりとか…お客様になりそうな人たちではありませんでした。
 翌日もまた…民族衣装を着てチラシを配りました。試食に小さく切ったカバブ(挽肉焼き)を用意してもらいました。「へぇ。こんなのもあるんだ!」お客様が入ってくださりました。

 こうやって数日間お客様が入ってきたのですが、たいていは「あまり辛いものは…」と、おっしゃり「バターチキンカレー」を注文されるのでした。ああ、一般的な日本人はこれなんだ! だからどこでも同じようなメニューになるんだ!
 メニューに書かれている内容も大事です。品数が豊富なのに、メニューがどういうものか知らない人が多いのではあまり意味がありません。カダイ・チキン(骨付きチキン)とかダール・マッカニー(甘口の豆カレー)、カタカナでわかるかどうかわかりません。日本語の説明が必要でしょう。
 またメニューの日本語が間違った使い方をしていて、「飲み放題」にまるで料理3品つくような誤解を与える書き方(3品以上の注文をお願いしている)、日替わりスープは「サービススープ」と書くべきなのに、日替わりとあるのに毎日同じ。日本語をしゃべれても読み書きができないと、お客様が次回入りにくい気持ちになるんだろうなと思いました。

 3日間、チラシ配りを手伝い、それでは無理だったので、お弁当を注文してもらうために近隣の会社に営業に行こうと提案し、2人で歩き回りました。お弁当の注文がでたかどうかはわかりませんが、回った近隣の会社の人たちがお店にいらして食事をされたり、飲み会をしてくださったりしました。またPTAのお母さまたちが女子会にいらしてくださいました。

2.工夫したけれど…。

 その後、私も本務があるので、バングラデシュ人のお坊ちゃま経営者に頼んで1か月分の家賃の金貸しをしてもらいました。ゴールデンウイークのイベントメニューや令和サービス。日本人の友達にも看板書きとか助けてもらったようです。しばらくは良かったようですが、このお店の名前は「アサ」に戻り、コックさんたちはそのままいました。
 数日前、お店の前を通ったら電気がついていませんでした。料理の味やコックさんの腕よりも、場所選びやコーディネートやマーケティングなど、インドに帰っていた社長がしっかりしていなければならないと感じました。コックさんたちはどこへ行ったのでしょうか?? インターネットからの連絡もありません。
 次回もカレー屋さんの話し。

 (高校時間講師)

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