【コラム】
酔生夢死

「ダンナさん」追究

岡田 充


 急いで横断歩道を渡ろうとしたら「ピーッ」という鋭い警笛音と「そこのダンナさん、信号赤ですよ!」と、スピーカーから女性の声。顔を上げると道路の向かい側の警官がこちらを睨んでいる。しばらく耳から離れなかったのが「ダンナさん」の五文字。そうかオレって、ダンナさんだったのか…
 ところがある家電量販店では「おとうさんが欲しいのはこれですよね」と、店員から言われた。口をつきそうになった「オレ、あなたの父親じゃないけど…」という言葉を思わず飲み込んだ。TVの街歩き番組で、タレントが初対面の通行人に「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけるのが伝染したのか。客との距離感を縮めるための“善意”かもしれないけれど、「お客さん」の方が誤解を招かない呼びかけだと思う。
 それに比べると「ダンナさん」は、なんとも距離感のつかめない不思議な語感がある。旅館などで客に使う「旦那さま」でもなければ、押し売りや物乞いの「ダンナ」でもない。しかもそれが、女性警官から発せられた言葉だけに意外感がある。いったいオレって何者なんだ、と考えさせてくれた一言。
 こんな話を「年末のご挨拶」としてメールで知人に送ったら、すぐ様々な反応が戻ってきた。外国人を含めその一部を紹介しよう。

 「これが日本人のお気遣い。私も買い物の時、よく“お姉さん”と呼ばれます。若く見られたい気持ちが当然あるから、最初はちょっと不満でした。おばあさんになったら“おばあさん”と呼ばれたくないですので、お母さんの方がいいかな」(30代 駐日中国特派員)

 「何がお父さんだ。旦那という言葉の意味を知っているのか、などなど。言いたくなります」(70代 元ジャカルタ特派員)
 「交通違反で止められたときも“運転手さん”とか“だんなさん”と言われますよ。警察官はできるだけニュートラルな呼び掛けを考え、そこらへんに落ち着かせているんでしょうね」(60代 元ニューヨーク特派員)
 「 “お父さん”と呼びかけられたら僕は別に気にしなく“お祖父さん”よりまだましです」(70代 ロシア人国際政治学者)
 「中高生時代に何度か“奥さん”とか呼びかけられたことがありました。当時の服装からして、確かに毛玉のついたようなカーディガンを羽織ったりしていて、所帯じみていたからか」(40歳 大学哲学教員)。
 「日本語って難しいですね。何と呼ばれているのか、どんな距離感でその呼び方をしていたのか、今度注意してみたいと思います」(50代 駐日台湾特派員)。

 風体から年齢、身分、職業までを瞬時に判断して呼びかけ言葉を選ぶ―。日本語はほんとうに難しい。

画像の説明
  高峰秀子著『ダンナの骨壺』(河出書房新社 2017年12月)の表紙から

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