【コラム】風と土のカルテ(12)

「フィリピンの農村医科大学」レイテ分校のいま

色平 哲郎


 12月上旬、私は台風の襲来に怯えていた。

 この時期寒気団が押し寄せる日本列島に向かっては来ないけれど、常に海水温の高い南太平洋で台風は発生し続けている。その一つ、台風22号、フィリピン名「ルビー」がレイテ島を直撃しそうだったのだ。

 昨年11月、台風30号、フィリピン名「ヨランダ」がレイテ島を襲い、風速60メートル以上の、竜巻に匹敵する暴風と、局地的な低圧部による「高潮」で壊滅的な被害を与えたことをご記憶の方は多いだろう。フィリピン全土で死者・行方不明者約8千人、負傷者約3万人の甚大な被害が生じた。

 ヨランダの猛威は、佐久総合病院が長年交流を続けてきた「フィリピン大学医学部レイテ分校(SHS)」の建物を原形をとどめないほど破壊した。SHSは、レイテ島、レイテ湾に面するパロという町にある。信州・佐久で地域密着型医療を志す医療者にとって、心のふるさと、あるいは「聖地」とも呼べる医学保健学校だ。

 SHSの学生は、フィリピン各地の自治体からの推薦で選ばれる。入学後は助産師と看護師の資格取得が義務づけられている。その後、各地の医療機関や現場で保健、医療活動の実地体験を積んだ後、「地域住民の推薦」を受けて「医学コース」に進級できる。

 入学試験の筆記テストだけで医学コースに進める日本とは対極の教育システムだ。医師を志す者も、その前段階で全員が取得する助産師、看護師の資格を生かし、町や村の保健センターに詰めて勤務、住民と関わり、地域で鍛えられる。医療とは何か、実地で学ぶのである。

 日本の医学生の中には「白衣を着るのが怖い」「何のために医者になるのかわからない」などの内的葛藤を抱えている者が少なくない。そういう学生から相談を受けると、私は迷わず「SHSに行ってごらん」と勧めた。もう200人以上、レイテ島に渡っただろう。

 SHSに足を運んだ日本の医学生、看護学生たちは、訪問前とは見違えるような生き生きとした表情になって帰ってくる。

●厳しい状況下でも前向きな学生たち

 このSHSの教育システム、実は佐久総合病院の若月俊一名誉総長(1910〜2006)の「農村医科大学」構想がベースになっている。そんなご縁もあって長年の交流が続いてきた。

 今年2月、佐久総合病院の若手・座光寺正裕ドクターら「レイテ分校交友の会」のメンバーがレイテ島を訪ねた。SHSの学生たちはタクロバン市内に仮校舎、寄宿舎の建設作業を進めていた。しかし、本格的な新校舎を建設するための予算のメドが立たず、先は見えなかった。

 「教科書やパソコン、資格取得に必要な地域研修の資料もすべて失った」「実習で使う人体模型がなくなって、困っている」
 学生たちは厳しい現状を吐露した。

 だが、少しも悲観的ではなかった。「ヨランダを生き延びた私たちに怖いものはない。1日も早く、医療現場に出て地域の人びとのために役立ちたい」と、前向きだ。

 彼らの情熱に誘われて世界各地からSHSへ支援の手が差し伸べられ、2月半ばには無事、授業が再開された。しかし、またも巨大台風ルビーがレイテ湾に近づいたのだ。

 今回、ルビーはコースを変えてレイテ島は直撃を免れた。ホッと胸をなでおろしたが、フィリピンでは21人が亡くなった。多くはサマール島東岸で高潮に巻き込まれたのだと伺った。

 堤防や道路、そして高台の造成などインフラの重要性を、つくづく思い知らされる。

 (筆者は佐久総合病院・医師)

※この記事は日経メデイカル12月19日号から著者の許諾を得て転載したものです。


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