【コラム】ロンドン通信(1)

「ポピーデー」

浦田 誠


 英国ではこの時期、赤いポピーの造花を上着やコートに着ける人を多く見かける。「リメンバランス・デー」が近いのだ。第一次世界大戦が終結した11月11日のことで、戦没者追悼記念日である。
 ポピーは、けしの花。この大戦では2千万人というおびただしい数の兵士らが命を落とした。激戦地だったベルギーのフランダース地方や北フランスでは、戦地にその後、けしの花しか育たなかった。英国の在郷軍人会が、発足の1921年から慈善活動として募金を募りポピーを配るのは、こうした背景からだ。この日は「ポピーデー」とも呼ばれてきた。

 11月11日をさかのぼる数週間、ボランティアが家庭を回ったり、街頭に立つ。職場や商店・公共施設にも募金箱が置かれる。今年は募金活動の初日にロンドンだけで1万ポンド(約150万円)を集めると主催者は意気込んでいた。全国で約50万人がこのポピーを着ける。各界の著名人はこの時期、その着用を怠らない。
 11日の午前11時11分には、家庭、街頭、職場、学校で市民が二分間の黙祷を捧げる。直近の日曜日には王室や政府要人が列席する追悼式典がある。第一次大戦に限らず、その後の戦争で犠牲になった人たちも対象だ。
 しかし、そのあり方は時代を経て大きく変貌した。

 1970年代までは第一次大戦の退役軍人が多く存命しており、「ポピーデー」は戦争の恐ろしさを語り継ぐ機会でもあった。だが、この慣習はフォークランド(マルビナス)戦争の頃から、国の戦争・侵略行為を正当化するプロパガンダにすり替えられていったと言われる。
 英米軍がイラクに進攻していた2006年、民放のベテランキャスター、ジョン・スノーが番組でポピーを着用しなかったのは不敬にあたるとバッシングされた。スノーは「公人の場で一切こうした表象を着用しないだけ。これは、ポピーファシズムだ」と反論した。
 ハリー・レズリー・スミスは第二次世界大戦の退役軍人。昨年BBCの取材を受けた際、2013年からポピーの着用をやめたと証言した。いわく「私たちの世代の思いは、国民に不評な戦争を売り込みたい政治家たちによってハイジャックされてしまった」。

 私の職場でも、「リメンバランス・デー」のあり方をめぐって論争になったことがある。数年前のことだ。軍隊に入っていたことのある若い職員が、「全員が玄関前に集まり黙祷すべき」と訴えた。彼には、北アイルランドのベルファストで駐屯中、目の前で同僚が射殺されるというつらい体験があった。
 私を含めた数人は、この呼びかけに強く反対した。あるスタッフは、「募金活動をすること自体、国の補償が不十分であるということ。一方ビッグビジネスは戦争で巨万の富を得る。おかしくないか」と反論した。現代の戦争は、第一次大戦と異なり、民間人の死傷者の方が多いのも事実だ。この騒ぎは結局、希望者が自主的にやることで収まった。後で聞いたら集まったのは数人だったらしい。
 私がポピーを着用しないのは、戦争に反対して投獄・拷問されたり、命を落としていった人たちのことを不問に付しているから。日本や欧州で、私の先輩たちはファシズムと闘った。着けたら、それこそ「不敬」にあたる。

 ところで「リメンバランス・デー」を一週間後に控えた金曜日の夜、仕事帰りに地元のパブに立ち寄って、驚いた。ポピーを着用している人がほとんどいないのだ。どこにでもあるロンドン南部の大衆酒場。40~50人の客がいただろうか。確認できたのは、二人だけだった。
 翌朝ネット検索をすると、タブロイド紙のデイリーミラーが、「25歳以下の若者の三人に一人は、強要されていると感じるので、ポピーを着けない」という世論調査の結果を伝えていた。全世代の2割が「戦争を美化しているから着けない」とも答えていた。
 ジョン・スノーが「ポピーファシズム」と叫んでから10余年。流れが少し変わってきたようだ。 <2017年11月4日 記>

 (ロンドン駐在)

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