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「不戦の誓い」は幻か         今井 正敏

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    「不戦の誓い」は幻で終わるのか。
                        今井 正敏
 「オルタ」30号に日本に留学し、日本をよく知り、長年にわたり日中友
好に貢献されてきた段元培氏が「中日関係発展のために」との所見を寄稿さ
れている。私は段氏と同世代で、1956年に日青協の最初の訪中代表団に
加わり中国を訪問して以来、日中友好運動に関わってきたので、段氏の主張
を深い関心を持って読んだ。
 段氏は「ここ数年来、両国関係は急速に悪化し、国交正常化以来最悪の状
態になり、中日両国の経済、政治、国民感情など、あらゆる面に損害をもた
らしているだけでなくアジアの平和と安定にもマイナスの影響を及ぼし、諸
外国の関心も呼んでいる」と率直にしてきされている。
 そして、戦後の中日関係を振り返って、中国歴代トップリーダーの発言を
紹介し、これからの新しい中日関係発展のために、何をなすべきかについて、
具体的な提案をされている。
 私たち、訪中代表団も毛沢東主席、周恩来総理、胡耀邦氏(当時は共産主
義青年団の第一書記)などに、お目にかかり、段氏が書かれているのと同じ
発言を直接お聞きしている。50年前、これら新中国建国の首脳に胸を躍ら
せてお会いした当時の状況を思い浮かべ、私個人としても感慨深いものがあ
る。
 私たちの代表団は、この始めての訪中にあたって、きわめて重要な「誓い」
を中華全国青年連合会(当時の主席は後に中国国家副主席になった知日人士
の第一人廖承志氏)と交わした。
 この「誓い」は「日中両国の青年は再び銃をとって戦わず」という「不戦
の誓い」でこれを胡耀邦共青団第一書記が中心で開かれた北京市体育館での
代表団歓迎大集会の席上、寒河江善秋代表団長(当時日青協前副会長)が提
案した。
これが中国語で紹介されると、5000名くらいの参会者が一斉に起立して
万雷の拍手をし、しばらく鳴りやまず、その反響の大きさに私たちは大変驚
いた。
 この大集会の翌日の青年連合会機関紙『青年報』では、この「不戦の誓い」
が1面トップで大きく報じられた。代表団はこのあと訪問先では必ずこの
「不戦の誓い」を話したので、日青協代表団は「不戦の誓い」の種まきの役
目を果たすことになった。
 この1956年の訪中団がきっかけとなり、日青協と中華全国青年連合会
との間で相互の交流が行われるようになったが、この「不戦の誓い」は脈々
と五十年にわたって受け継がれてきた。
 今年の二月二十一日、日本青年館で中国青年訪日代表団十五名を迎えて
「日中青年交流五十周年」を記念する「記念フォーラム・レセプシヨン」が
あった。
これを大きく報じた日青協機関紙『日本青年団新聞』は友好交流の四つのキ
ーワードを挙げたがそのトップは「不戦の誓い」であった。
 しかし、問題はこれからである。イラクに自衛隊が送られたように、銃を
持った日本の青年が海外にだされるのを決めるのは本来国会の権限である
のに、首相の意向で簡単に動かされる危険を指摘したい。今回の小泉首相の
ブッシュ詣で「世界の中の日米同盟」が強調され、日米安保が、その枠組み
をはるかに超え、国民の知らぬ間に「世界の中に」格上げされてしまってい
る。
日本の首相が米国の要請に「イエス」というか「ノー」というかで日本の青
年の命運がきまることになり、脈々と堅持してきた「不戦の誓い」も場合に
よっては無力となる可能性さえある。
「日中両国の青年は再び銃をとって戦わず」の崇高な「誓い」が幻で終わっ
てしまうのか。「誓い」を最初に提起した一人としてなんとも気になる現状
である。
                (筆者は元日本青年団協議会本部役員)

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