■ 【書評】

『中国を知るために』 篠原 令著 日本僑報社刊     1800円

                       榎 彰
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  先の尖閣列島をめぐる日中の衝突事件で、事態がこうまでこじれた一因が、前
原外相の姿勢にあることは疑いない。ことの詳細は追い追い明らかになるだろう
が、 日本と中国の間の相互理解が、とくに政治家のレベルで、こんな程度のも
のか、と驚くとともに、暗然とせざるを得ない。日本と中国との関係は、たかだ
か二百 年ちょっとの日米関係とは違って、はるかに豊かな歴史的な意味を持つ。
一つ一つの出来事が、さまざまな背景を持つ。政治家は、決断するにあたって、
歴史に 刻印を推すということを自覚しなければ成らない。

 前原外相の、最初の原理主義的な姿勢の根拠が、「国益」およびそれに基づく
「国際法秩序」にあることは間違いない。それはそれなりに筋が通っている。し
かし 十九世紀末の日本に於ける近代国民国家の成立過程を通して、日本は、中
国に対し、アジア文明の国としては、西欧文明の受容における先覚者であり、遅
れて登 場した植民地主義国としては、「遅れた中国」に対する加害者としての
位置を保持し続けてきた。

 国際政治の場で、中国の立場が逆転したことはあっても、中国 の分裂、冷戦
体制の深刻化を利用して、日本そのものは利用という自覚はないにしろ、加害者
の立場は、いままで変わらないともいえる。いま、日本の世論は、 篠原氏が言
うように、「中国脅威論」「中国崩壊論」「中国ならずもの論」で満ち満ちてい
るかのように思われる。

 深層心理の面では、近代において、一方的 に、日本が中国を痛めつけてき
た。その仕返しとして、中国が、初めて加害者として、立ち現れるのではないか
とは言う恐怖が、支配しているのではないかという気がする。尖閣列島衝突の過
程で、中国側に理不尽な言い分もあっただろう。それが国際舞台である程度通用
するのは、二国間の歴史が存在するためである。

 中国の13億という人口が、その恐怖を倍増している。欧州連合(EU)が5億に
なったからといってそうはならない。なぜ、中国だけが、脅威となるのか。かつ
て「4億の中国」という言葉が、流行したことがあった。巨大な人口が日本を圧
迫しているという幻想が支配することはなかった。
 
  日本と中国では、価値観が違うというが、日本は、有史以来、二千年近く、中
国の価値観に影響され続けてきた。日本は日本なりに、価値観を醸成し、双方の
価値観を調整し、生きてきたのである。

 砂漠において、人間の影が、日照によって伸び縮みするように、二国間の国際
関係においては、相手の国力、影響力が、実態を上回り、あるいは下回って、投
影するということは、ありがちなことである。相手国の力を等身大に見積もらな
ければ、真の外交は成立しない。その意味で、もっと相手のことを理解しなけれ
ばならないのである。

       (評者は元共同通信論説委員長・東海大学教授)

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