【ドクター・いろひらのコラム】
「二つの老い」とガザの外傷外科医
住まいは人が生きるための基盤だが、日本では「二つの老い」が進行し、この土台が崩れかけている。
二つの老いとは、20年ほど前からノンフィクション作家の山岡淳一郎氏が指摘してきた現象で、集合住宅の住民の高齢化と建物の老朽化が並行して進むことを指す。
二つの老いが放置され、住宅への公的なかかわりが欠けたままだと、建物の維持管理は滞り、スラム化のリスクが高まると山岡氏は警鐘を鳴らしてきた。
当初、二つの老いは、分譲マンションの将来を憂えるキーワードだった。
が、いまや戸建の住宅や、古い公共施設、あるいは道路や上下水道、橋などのインフラを取り巻く状況にも同じような傾向がみられる。
相続されない空き家の処置、廃校の跡地利用、朽ちた橋の架け替えなどにハードと人の二つの老いが重くのしかかっているのだ。
こうした問題に対し、医療は受け身であって、二つの老いをくいとめることはできない。
しかし、その弊害を和らげたり、コミュニティの衰退を遅らせたりするのは可能ではないか。
たとえば、二つの老いが著しい団地に診療所を置き、空室を再利用した介護サービスと組み合わせ、終の棲家に変えていくような取り組みはますます求められることだろう。
年間の死亡者数が150万人を超え、かたや出生数は80万人を切った現在、看取りをタブー視して住まうことは語れなくなった。
老いをうけとめる医療の役割は高まる一方だ。
平時の日本が老いと居住の問題に直面しているのに対し、戦時下の国や地域では、住まいの破壊と殺戮が、いま、目の前の惨劇としてくりひろげられている。
長年の友人の外科医、Aドクターは、昨年12月から今年1月まで、赤十字国際委員会(ICRC)のスタッフとしてパレスチナ自治区ガザ南部のヨーロピアン・ガザ病院で負傷者の治療に当たった。
いったん帰国後、3月にふたたびガザに入り、4月15日現在も、「爆撃で手足や顔の一部を失ったり、重度のやけどを負ったりしている患者さん」らを治療している。
ガザの「極限の住まい」について、こう語ってくれた。
「病院のなかに避難してきた方々が、布で仕切りを作って、通路や階段、あちこちに住んでいます。
病院の敷地に食べ物を売る店があり、屋外で火を焚いて料理をこしらえ、院内の階段で野菜を切ったりしています」
ヨーロピアン・ガザ病院は、周囲がイスラエル軍の爆撃で廃墟と化すなか、辛うじて戦禍を免れている。
行き場をなくした人々は、病院に避難しながら生活しているのだ。
非常時に病院は、患者さんを収容するだけでなく、地域住民が暮らす場にもなる。
「ガザに残された最後の総合医療施設で外傷外科医として被災者の治療に、あたっております。
空爆による負傷者が大多数で、生きて病院へ辿り着いても、家族はほとんど亡くなっているという方々です。
早く停戦となりますことを祈っております。
こうして技術を自在に利用し、負傷者の治療に思いのままにあたれるのも佐久病院をはじめ、日本で多くの経験をさせていただいた賜物です」
(ガザより)
色平 哲郎(いろひら てつろう)
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長
大阪保険医雑誌2024年5月号掲載
コラム ドクターいろひらの保険医雑誌特集・B面
※この記事は著者の許諾を得て『大阪保険医雑誌』2024年5月号から転載したものです。文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。
https://osaka-hk.org/posts/category/magazine
(2024.11.20)
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