【コラム】酔生夢死

「五輪音頭」から「うっせーわ」に

岡田 充

 「頑張りすぎ、日本! 戦後最大誤判」。菅義偉首相が「安心安全の東京オリンピックを成功裏に開催したい」と、呪文のようにとなえた直後、旧知のシンガポール紙駐日特派員からSNSのメッセージが着信した。東京五輪は「いずれ中止に追い込まれるだろう」と、高をくくっていたが、見事に裏切られた。
 新型コロナ感染が東京で急速に再拡大し、第5波に見舞われている最中だ。「コロナ対策を最優先する」はずの菅の論理からすれば、中止こそが常識的判断のはず。にもかかわらず開催を選んだのは、「五輪開催」こそ最優先課題だったことが分かる。

 菅は筆者と同い年。1964年の東京五輪には特別な思いがあるようだ。6月初めの国会党首討論では、問われもしないのに「東洋の魔女」「回転レシーブ」「マラソンのアベベ選手」などと「五輪の感動」を挙げ、「こうしたすばらしい大会を今の子供や若者に見て、希望や勇気を伝えたい」と、めずらしく能弁だった。

 そういう筆者も、学校から戻ると茶の間の14インチ・白黒テレビの前に座って観戦。時には固唾をのみ、こぶしを開くと手に汗をかいていた記憶が蘇る。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界だ。だが団塊の世代ならともかく、今「東洋の魔女」と聞けば「なにそれ? 新しいアニメ映画?」と、いぶかる人が多いと思う。

 菅が五輪に「賭けた」のは、落ち目の支持率と経済を浮揚させ、政権基盤を強化して総選挙の勝利につなげるという目論見からだ。しかし約7割が「中止・延期」という民意に逆らって開いても、支持率の浮揚や選挙勝利につながらないことは、東京都議選での自民敗北が証明した。
 高度成長にバブル景気と「右肩上がり」の経験が脳髄までしみついた「昭和オヤジ」の見込み違いだと思う。緊急事態やまん延防止重点措置によって休業・倒産を迫られ、低賃金の非正規の働き口すら見つからない現実の下で、一億が五輪観戦に沸く構図は想像しにくい。

 「ハァー あの日ローマでながめた月が きょうは都の空照らす 四年たったらまた会いましょと かたい約束夢じゃない」
 57年前、全国で流行った「東京五輪音頭」。「戦後」から脱却し「国際社会」入りした実感が投影された歌詞だった。

 57年後の今はどうか。
 「経済の動向も通勤時にチェック 純情な精神で入社しワーク 社会人じゃ当然のルールです はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ あなたが思うより健康です」(「うっせぇわ」より)
 「国民的歌謡曲」などもはや存在せず、衰退が加速度的に進む。誰もが「スマホ」の世界の中で個人化し、「公的世界」はどんどんしぼんでいく。社会と私の距離を見事に描いた歌詞だ。スガーッ、聞いてるか?

画像の説明
  「東京五輪音頭」CDのジャケット(amazon music から)

 (共同通信客員論説委員)

                           (2021.07.20)
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