【視点】

「人為的温暖化説」と「脱炭素」への疑問 

松田 智

 私はこの「オルタ広場」の長い愛読者であり、外交や政治あるいはアフリカその他の文化など幅広く有益な記事を読むことが出来て、大いに有難いと感じてきた。その一方で、このサイトで地球温暖化問題や脱炭素政策に関する論考は、ほとんど目にしていない。ここの執筆者の多くが文科系の方々であるせいなのか?とも考えた。
 しかしこの問題に関しては、多額の税金が投入されていることや、未来の社会に対する考え方に直結する重要な課題が隠されており、文科・理科を問わず誰もが基礎知識を得て自分なりの考え方を養うべき問題であると思う。
 そこで僭越ながら、私がこれまで得た知識やデータを基に、この問題に対する見方を紹介してみたい。先に結論から言うと、私が調べた範囲では、いわゆる「人為的地球温暖化説」には科学的根拠が乏しく、従って脱炭素政策に多額の税金を投入する意味は見出し難い(詳しくは後述)。我々には、他にもっと真剣に考えるべき現実的な問題が多々ある。

 このような意見は、今の日本社会では極めて少数派であり、大手マスコミやTVにはまず出てこない。政府がIPCC(国連の一機関)の見解を全面的に採用し、それへの疑問反論を一切受け付けないこともあるが、政府を監視すべき言論機関もほぼ全て、この件に関しては異論を述べず、全部「右倣い」の状態なのである。この戦前的な大政翼賛会的状況に関しては、驚くべきものがある。
 学術関連もそうであり、多くの学会が「2050年カーボンニュートラルへの道」などのシンポジウムを開いている。日本学術会議でさえ、この問題を真面目に科学的に検討しているとは思えない。「カーボンニュートラル(ネットゼロ)に関する連絡会議 https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/carbon_n/index.html」
 などと言うものを設置しているが、その前提となる人為的地球温暖化説に対する科学的検討を行っているフシはなく、この説を無批判に前提条件としているようにしか見えない。科学は、まず「疑うこと」から始まるのに。

 日本語情報しか目にしなければ、人為的温暖化説は世界の人々が信奉している理論だと錯覚しても不思議ではないが、実際には決してそうでない。例えば米国では、民主党系が主にこれを支持する一方、共和党系には懐疑あるいは反対意見が多い。今度の選挙で、もしもトランプが返り咲けば、彼は、以前の大統領時代にそうしたように、また即座にパリ協定からの離脱を決めるだろう。率直に言って、世界的に見て、これ程までに人為的地球温暖化説を無邪気に信じている国民の割合が多い国は、日本だけではないかと思われる。
 実際、英語圏では人為的温暖化説に対する疑問や批判はかなり大っぴらに載る。世界的に見ても、欧米・国連などには温暖化信奉国が多いが、BRICSなど非米系は全く熱心でない。COPなどの会議は、温暖化防止策を話し合うと言うよりは、事実上、途上国と先進国のお金を巡る駆け引きの場になっている。科学的な議論はほとんどない。途上国側としては、人為的温暖化説が真実だろうとウソだろうと関係はない。それをネタにお金を引き出せたら良いのだから。

 温暖化説に熱心な一大勢力は、原発推進派である。温暖化問題が提起された初期から、原発推進論者はしばしば「CO2を出さない原発」を売り物にしてきたし、今回のCOP28でも原発推進が決議された。しかし私自身は、原発推進に賛成しない。CO2を出さない代わりに「核のゴミ」を出す原発が、現在の我々だけでなく未来世代にとって真に有益であるかどうか疑わしいからだ。
 政治的には、どちらかと言えば左翼リベラル派に温暖化説信奉者が多く、右翼系に懐疑論者が多い。日本でも共産党は脱炭素に熱心であるが、産経新聞やネットの「アゴラ」等には温暖化批判がよく載る。私の脱炭素批判の論考もアゴラは載せてくれた(他の話題でボツになった原稿はある)。私自身は、こうした傾向を無意味だと思っている。地球温暖化問題は、純粋に科学的な問題として考察すべきであり、対策を考えるにも科学・技術的思考のみを用い、政略的判断は加えるべきでないと考えている。地上で我々人間が何を叫ぼうとも、地球環境にはほぼ影響しないし、冷厳な事実だけがあるのだから。
 なお誤解を避けるために書いておくが、私は気候変動や異常気象の存在を否定しているのではない。地球の歴史を調べれば、気候変動は周期的に常に起きているから、否定のしようもない。ただし、これらの原因のすべてが人間の出すCO2だと言う説には根拠がないと言っているのである。以下の考察も、純科学的な観点から述べる。

 1)気温データについて:世に言われるほどの「急速な温暖化」は、起きていない。まずは気象庁サイトにある「世界の1月平均気温偏差https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/jan_wld.html」
をご覧いただきたい。「様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり0.82℃の割合で上昇」と書いてある。なお、この図は1891(明治24)年の統計開始以来、とあるが、原データ(測定地点名その他)は示されていない。
 地球全表面温度の客観的な実測データは、1979年から始まった人工衛星観測によって入手可能になった。我々一般市民もネットでそのデータを閲覧できる。アラバマ大学の研究者ロイ・スペンサーのサイト(https://www.drroyspencer.com) 
を見るのが手早い。そこには、毎月の平均気温と13ヶ月平均値の変動状況が示されている。青線の毎月平均値は不規則に上下変動を繰り返しながら、また赤線の13ヶ月平均値は周期的に上下しながら、緩やかに上昇している。その速さは100年あたり1.5℃(+0.15 C/decadeとあり、decadeは10年の意味)になる。気象庁データより少し大きいが、両方とも地球平均気温の上昇速度は100年当たり0.8〜1.5℃の範囲にあり、IPCCなどが主張する今世紀末までに3〜5℃も上がるとする予測は、過大評価と言うべきだろう。

 なお、両方のデータで2023〜24年は明らかに気温の高かった年であり、昨年我々が経験した酷暑は世界的な傾向であったことが分かる。一方、こうした高温ピークは周期的に時々出現している。最近では2016年、2010年、1998年などである。また逆に低温ピークも周期的に出現している。故に、昨年、国連事務総長が言った「地球沸騰の時代」というのは明らかに誇大表現である。
 片や、IPCC報告書に出ている気温図は、報告書のたびに内容が変更されており、しかも元データが示されていない。データの出先機関名は示してあるが、どのデータセットを使い、どのように「平均」したのか等の詳細が示されていない。それを開示請求した科学者にも示されなかった。何か、見せたくない事実でもあるのだろうか?
 また、しばしば「産業革命前から1.5℃以内に」などと言われるが、その当時、世界平均気温が1℃以内の精度で決められたはずがない。測定箇所自体が少ないし、測定方法・精度も確実でないから、その温度設定には科学的根拠がない。全く、恣意的な温度設定と言うしかない。
 「地球温暖化」を言うなら、まずは気温データを調べなければならないが、その気温データは実際には扱いが難しい。何しろ刻一刻様々な場所で測定されておりデータ数が膨大である。それに現代の都市生活では、人間社会の廃熱等に由来する「ヒートアイランド現象」と呼ばれる気温上昇が観測される。この効果はかなり大きく、そのためか日本の平均気温の上昇幅は100年あたり1.56℃ 
(https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/feb_jpn.html) 
と、世界平均の2倍近く大きい。世界の中で日本だけ温暖化が過度に進むとは考えにくいので、これは都市化の影響だろう。それらを勘案し、現在では日本の平均気温を求める地点は、都市化の影響の少ない15地点に限定されている(https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/qa_temp.html)。

 昨年出たSoonら37名の科学者による論文(Climate 2023, 11(9), 179; https://doi.org./10.3390/cli11090179)では、次のような重要な主張がなされている。
 a) 世界の陸地の気温データには、都市化バイアス(=ヒートアイランド現象の影響)、つまり都市熱による「上乗せ」がかなり混入している。具体的には、都市熱の影響を除くと、気温上昇速度が世界平均0.89℃/100年から0.55℃/100年に低下する。逆に見れば、本来0.55℃だったはずの気温上昇幅が、0.34℃(=62%)も上乗せされていたことになる。
 b) IPCCの気候モデルでは太陽光の強さ(=太陽放射強度)を過去も未来も一定と「仮定」しているが、これに科学的根拠はない。
 c) 太陽光の強さを精密に測定すると長期的に変化しており、その効果を加味した気候モデルを構築すると、その気温値は、都市熱の影響を取り去った「正味の気候変動」観測値と、ほぼ一致する。

 これらが主張することの意味は重い。IPCC報告にある気候モデル予測では、太陽放射強度を一定とする仮定が一貫して使われていたので、気温変動の原因はすべてCO2の温室効果であるとしてきたのであるが、この論文の主張が正しければ、IPCCの仮説は完全崩壊となる。この結果は非常に重要なはずであるが、マスコミ等には完全無視されている。

 2)大気中CO2濃度について:このデータは気象庁サイト(https://www.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html)
でもハワイ・マウナロア観測所のサイト(https://gml.noaa.gov/ccgg/trends/)
でもほぼ同じデータが見られる。長年にわたりほぼ一定速度で上昇しており、現在の大気中CO2濃度は約420ppmにまで増えている。
 北半球では植物による光合成活動の影響を受けて季節変動が大きい(夏に減り冬に増える)が、南半球では変動幅が小さく、南極などでは変動が殆どない。大気中CO2濃度の年間平均値は、毎年約2ppmずつ増えており、この変化速度は測定開始の1960年代から60年以上もの間、ほとんど変わっていない。これは実は驚くべき現象であるが、なぜ毎年約2ppmずつ測ったように正確に増え続けるのか、まだ解明されていない。
 上に見た気温変動の図とCO2濃度変化の図を見比べてみると、CO2濃度は測定開始以来、常にほぼ一定速度で上昇しているが、気温変化は不規則に上下し、決して一様ではない。しかも周期的な変化さえもある。両者の相関性は低く、大気中CO2が気温を支配しているとは言えない。
 実は、気温変化とCO2変化が同期しているように見えるデータはある。それを見て大気中CO2が変化するから気温も変化するのだと思うのは早計である。一つには、海水温の影響がある。調べれば分かるが、大気中CO2濃度変化と最も相関性の高い変数は、海水表面温度(SST)である。これは、各種の測定値をExcelに入れて重回帰分析してみれば分かる。これはある意味当然で、液体に対する気体の溶解度は、一般に温度が上がると低下するからである。つまりSSTが上がるとCO2溶解度が低下して大気中に放散されるので大気中CO2濃度が上がり、逆も然りなのである。
 また、大気と海水では熱容量が1000倍も違う(むろん海水が大きい)ので、海水温が変化すると大気温は敏感に変化するが、逆はない。大気温が変わっても、海水の表面付近だけは影響を受けるが、本体には響かない。熱容量が違いすぎるからである。故に、海水温の上昇を気温の温暖化のせいにするのは、明確な誤りである。しかるに、最近のマスコミ等には海水温の上昇や北極海の海氷消失を気温の温暖化によるとする解説が多い(故意の解説なのか無知なのか分からないが)。
 以上をまとめると、海水温の変動が気温変動や大気中CO2濃度の変化を引き起こすのであって、その逆ではない。変化の大元である海水温は、日射や海流等の影響で複雑に変化し、詳細は解明されていない。
 CO2に温室効果があることは確かであるが、その大気中濃度は約420ppm、つまり0.042%しかない。一方、最大の温室効果ガスである水蒸気は1〜3%ある。量的に2桁違う。
 そもそも、地球気温に影響する因子は数多くあり、その中でCO2が支配因子であるとの科学的証明は、実は、全くなされていない。むしろ、最近ではそれへの否定的な見解が多い。

 3)地表と大気間のCO2収支について:人間由来のCO2が大気中CO2濃度変化に占める比率は小さいことを知るべきである。
 地表と大気の間を往復するCO2は、年間200 Gt-C(炭素換算ギガ(109)トン)以上もあるが、人間由来は同10 Gt-C未満、すなわち5%足らずである。この量的関係はIPCCも認めている。その一方、IPCCは、自然界のCO2収支は平衡状態にある(つまり出入りゼロだ)から、大気中CO2で増えた分(約2ppm=年間4〜5 Gt-C)は人間由来だと主張するのだが、CO2は気体で、地表いたるところから発生し、いたるところで吸収されるのだから、人間由来CO2だけが選択的に残ることなど考えられない。すなわち、発生したときの比率で残ると考えるのが自然で、年間約2 ppmずつ上昇するうちの5%、つまり0.1 ppmだけが人間の寄与分と考えられる。
 そもそも、CO2は地表・大気間を年間200ギガトン以上も出入りするのに、大気残留分が長年、測ったように僅か3〜4ギガトンに収まる(だから濃度上昇幅は正確に年間約2ppm)と言うのが驚くべき現象であって、人類はまだそのメカニズムを解明できていない。
 また、自然界のCO2収支は平衡状態にあるとの仮定が正しいなら、人間活動の影響がなければ大気中CO2濃度は一定のはずだが、海底堆積物の分析により過去150万年間の大気中CO2濃度の変動を復元した研究(https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/220401_pr.pdf) 
を見ても、その値は常に変動しており、一定値が継続した期間などは観察されない。つまりこの仮定は成り立たない。またこの研究では、100万年より前の温暖だった時代でCO2濃度は決して高くはなかったことも指摘されている。つまりここでも、CO2が多ければ温暖化、と言う説は否定されている。
 上記の第3点は重要で、人類が全てのCO2排出を止めても、大気中CO2濃度変化は僅か0.1 ppmしか変わらないことを意味する。すなわち、脱炭素などいくらやってもほとんど効果は現れないということだ。実際、測定開始以来、大気中CO2濃度変化はほとんど一定で、人間社会の変動状況をまるで反映していない。2009年のリーマンショック後や、昨今のコロナ禍で化石燃料消費が激減したときも、何一つ変動は観測されなかった。このことも有力な傍証になる。

 こうして、科学的に信頼できるデータを虚心坦懐に眺めるならば、脱炭素政策など無意味なことが分かりそうなものであるが、国連が旗を振り、米国の言うがままに動く日本政府の下、マスコミまで総動員で「気候変動対策」を売り込んでいる。いつの間にか「温暖化対策」という言葉が「気候変動対策」に代わっていることにも注意したい。私の邪推かも知れないが「温暖化」を強調しすぎると、気温データをしっかり調べる人が出てきて「そんなに温暖化してないんじゃないの・・?」などと言い出しかねないので、山火事や台風、突発的な異常気象(多くは局地的・一過性の大雨や高温等)、サンゴの白化など、大気中CO2とはほとんど何の関係もない事象までも結びつけて、包括的に「気候変動」と呼ぶことにしたのではないか?

 最近はマスコミ記事などでも「地球温暖化が想定を上回るスピードで進んでいる。」と言った前振りが、何の断りもなく書かれることが多い。IPCC報告書では「CO2による温暖化と言う現象に疑いの余地はない。」とまで断言している。しかし、これらの言説には根拠が示されていない。物事の単純化と断言は、大衆心理を煽動するのに最も効果的な手法であり、ナチスドイツが得意としていた(かつて、麻生太郎氏はその「ナチスの手法を学んだらどうかね?」と発言した)。読者にお願いしたいのは、他人の言説を鵜呑みするのではなく、まずはご自分の目で根拠を確かめていただきたいと言うことである。それで本稿では、データの所在を明記しておいた。
 
「科学」は、疑うことから始まる。根拠も見ずに無条件に信じ込むのは「宗教」であり、科学ではない。
 今回は、地球温暖化をめぐる地球科学的な基礎事項を述べたが、冒頭に述べたようにこの問題の関連分野は広く、また気候変動の将来予測、各種の脱炭素方策など、未記述の問題も多い。それらは次回以降、順次述べて行くことにしたい。

(2024.3.20)
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