【本を読む】

『偉大なる時のモザイク』
  カルミネ・アバーテ/著  栗原 俊秀/訳・解説  2016年 未知谷/刊

高沢 英子


  ―「どうして人は、生まれ故郷から逃げ出さなければならないのか。
   どうして人は旅立ちを強いられるのか。彼らを見ていると、
   この世にはびこる不正や不実に手で触れたような気分になる」―
                     (本書280頁。語り手の言葉)

 世界中が難民と移民問題で大きく揺れている。移民問題そのものは今に始まったことではなく、ヨーロッパや中東では、歴史的に人類が時に応じて抱えてきた問題だったが、いまほど地球的規模をもつ広範で、複雑な状況は初めてだと思う。

 これまで移民を軸にした作品は、文学の世界でも数多く書かれてきた。生まれ育った父祖の地を追われ、異郷にさすらう民族の魂の呻きを描いた作品は、移民自身による記録的文学や、その子孫による歴史的回顧録ばかりでなく、一見何でもない日常を見詰めたもの、などなど多彩だが、それぞれが独特の味わいをもち、心に沁みるものが多い。

 今回とりあげる『偉大なる時のモザイク』は、現在南イタリア、カラブリア州、カルフィッツィに住むアルバニア系住民、通称「アルバレシュ」と呼ばれる人々が作り上げた共同体をモデルとした、架空の村ホラで繰り広げられる数世紀にわたる移民たちの物語である。
 自身カルフィッツィ出身の作家カルミネ・アバーテが、2006年発表した小説で、2016年5月、栗原俊秀氏によって訳され「未知谷」出版社から刊行された。

 巻末に付けられた訳者栗原俊秀氏の解説によれば「アルバレシュ」とは、古くは15世紀から18世紀(1774年)にかけてオスマントルコ帝政下のアルバニアから逃れてきたキリスト教徒を先祖とする共同体の呼称、という。

 「偉大なる時のモザイク」というタイトルは、このホラの一隅の工房で、故国を失ってさすらう民族の運命、“世代を超えて繰り返される移住の営み”をモザイクのかけらで描いていく試みを“物語を支える骨格”(注“ ”の部分は訳者あとがきによる)とした小説に付けられたタイトルで、民族の「時のモザイク」の製作を日々続けているアルバレシュの一人のモザイク職人、アルディアン・ダミサ、通称ゴヤーリ(金の口の意)が製作する作品の名称でもある。

 そして、物語の主たる語り手は、モザイク工房に出入りし、ゴヤーリの言葉に耳を傾け、制作過程を見守り、村人たちの話を聞き取りつつホラで青春を迎える22歳の大学生ミケーレだが、状況の背景は、時に応じて挿入される作者の幻想的で詩情に溢れた描写によって、生き生きと鮮やかに、とはいえ非常に漠然と描きだされる。

 物語は、始まりのパパス(教区長)に率いられ、炎に包まれて焼け落ちる村をあとに海の向こうの国へと脱出したアルバレシュたちの運命と戦った過去の一人の英雄に憧れ、その姿を幻のように胸に抱き、ひそかに、移民の地ホラから故国に単身脱出を謀る一人の若者アントニオ・ダミスの冒険談で始められる。
 こうして現実が、幾世代もの歴史と交錯しながら、彼らに付きまとって離れない風の影とともに、語られる。

 タイトル「偉大なる時のモザイク」の裏ページには、この物語の語り手として登場するホラ出身の若い大学生のミケーレと、その友人クリスティアンという二人の若者に贈る、次のような著者の献辞が記されている。

  ―二人の時、すなわち未来が、偉大であり、光に満ちたものであることを祈念して―。

 作者アバーテが作品を通じて民族に捧げる偽らざる想いであり、祈りなのであろう。

 続くページで、北アイルランド出身の作家ロバート・マクリアム・ウイルソンの小説の書き出し ―あらゆる物語は恋の物語である― という文辞が添えられているが、この作品のなかでも、時代を隔てて、3組の若者の恋の物語が語られる。いずれの場合も、それぞれに激しく美しい恋の物語で、ホラの若者たちは運命に翻弄されながら、異民族の娘との出会いで固く結ばれる。

 訳者はモザイク職人ゴヤーリが創作のかたわら若者たちに向かって呟く言葉に注意を喚起している。それは次のような言葉である。
 「出来事がいつ起きたかは重要じゃない。俺たちの内側に、痕跡を残したなら、その「時」は偉大だったということだ。例えば、目的地も分からない逃走、どこであろうと俺たちを追いかけてくる風の影、恋に落ちた眼差し、リクイリツィアの味わい、そして意地の悪い水平線のように、軽く触れたかと思うと一歩だけ後ずさる幸福。そう、こうした痕跡を俺たちは探さなきゃならない。灰の山の下に埋もれる、輪の形をした真っ赤な炭火だ。…お前たちはいつか旅立つ。…最後にたどり着く場所も知らないままに、望むときに戻れるだろうと確信したまま旅だったあのヤニ・ティスタのようにな。たしかに、海を渡ったヤニ・ティスタは、彼自身の記憶もろとも永遠に姿を消した。それでも、彼はアントニオ・ダミス(筆者註ヤニ・ティスタの何代目かの子孫)の内側に痕跡を残したんだ。叩いてもびくともしない強情さと、いつか帰るという夢を」(149ページ)

 ヤニ・ティスタは遂に帰らなかったが、その後長年行方をくらましていたアントニオは、老いてホラに帰ってくる。そして悲劇が起こり、この小説は謎めいた終わりを告げる。一つの恋の完結の裏に存在したいまひとつの恋の結末が成し遂げられる。

 語り手のミケーレはホラをあとに、運命的な出会いを果たした恋人と連れ立って、遠く異郷に旅立ってゆく。恋人の名はラウラ、その出自は伏せておくが、中世イタリアの大詩人ペトラルカの永遠の恋人と同じ名をもつ、美しい黄金の髪をした娘である。ミケーレは開かれた扉から射す光を浴びてきらめくモザイクに向き合い、今は亡き人に別れを告げる。ゴヤーリが恋人たちを送り出す。

 「タ・プリフタ・エ・ンバラ、幸運を祈る!」僕とラウラは自分たちの道を、言葉も交わさず足早に進んでいった。
 こうして物語は終わりを告げる。

 300ページに及ぶ民族の物語。長いようで短いこの物語の訳者のあとがきは含蓄に充ちて詳しく興味深い。本文中、随所に片仮名で提示されるアルバレシュ語や、アルバニア語、まれにみられるカラブリア方言の挨拶語などを味わうのも、移民文学の醍醐味かもしれない。

 (エッセイスト)


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