【コラム】
風と土のカルテ(60)

「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か

色平 哲郎


 医療や介護の現場で働いていると、ケアを受ける人の尊厳が果たして守られているのだろうか、と感じることがある。たまたま育った環境が苛烈で、貧困から抜け出せなくても「自己責任」のひと言で切り捨てられ、十分なケアを受けられない。孤立したまま手が差し伸べられず、放置される――。

 そのようなケースにぶつかるたびに、日本国憲法に記された国民の「生存権」と、国の社会的使命を思い出す。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(憲法第25条)

 「健康で文化的な最低限度の生活」とは、どのような生活なのか。具体的に規定されているわけではない。だからこそ、厳しいケアの現場にかかわる医療者は、個人の尊厳が守られているかどうかを自問自答し続けなくてはならない。

 この「健康で文化的な最低限度の生活」という法律用語を、そのままタイトルにしたコミックをご存じの方も多いと思う。作者は柏木ハルコ氏。小学館の雑誌『ビッグコミックスピリッツ』での連載が単行本となり、昨年にはドラマ化されている。

 主人公は、自治体の生活課に新卒で配属された女性ケースワーカー、義経えみる。「生活保護」の担当だ。厚生労働省は、生活保護について「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度です(支給される保護費は、地域や世帯の状況によって異なります)」と説明している。

 しかし、その実態はあまり知られていない。「空気の読めない」主人公の義経えみるは、手さぐりで生活保護受給者と接しながら、制度設計と実態のギャップを知り、経験を積んでいく。たとえば、不正受給への対応もその一つ。こんな場面がある。

 生活保護家庭の高校生の息子が、寿司屋でのアルバイト代を福祉事務所に申告していなかった。上司の指示を受けた義経えみるは、保護費を不正に受給したとみなし、息子にアルバイトで稼いだ分をすべて自治体に返すよう伝える。

 息子は言う。「オレは…そんな悪いことしたんですか……? バイト代全額没収されなきゃなんないほど……」「これって……何の『罰』なんスか」 。バイト料を申告し、その分が保護費から引かれることを知らなかった息子に対し、主人公は返す言葉がない。

 はたして、どのように決着をつけるのか……。

 おそらく作者は念入りに生活保護について調べたのだろう。フィクションを通して、生活保護の実態が浮かんでくる。それとともに、「健康で文化的な最低限度の生活とは何か」と、コミックの読者は、何度も、何度も問い返されるのである。

 (長野県佐久総合病院医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年4月27日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201904/560736.html
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