【オルタの視点】

「北朝鮮は本気か」と問うより「大きな絵」を

向坂 茂一

 2018年も間もなく暮れようとしている。北朝鮮は核実験やミサイル発射を繰り返した昨年までとは一転して、今年は近年にないほど外交活動、特に最高指導者たる金正恩委員長自身による首脳外交を活発化させた。北朝鮮の動きを日々追う者としても、その動きは目まぐるしいほどであった。

 金正恩氏が年頭の「新年の辞」で、韓国での平昌冬季五輪開催を契機に南北関係を改善することに意欲を示すと、あれよあれよという間に南北は急接近、4月には11年ぶりの南北首脳会談が板門店南側地域で開かれた。韓国の仲介により6月にはシンガポールで史上初の米朝首脳会談も実現した。
 金正恩氏はその一方で南北・米朝の首脳会談に先立ち、まずは中国に仁義を切る形で3月に初の外遊として訪中し、習近平国家主席と会談して対中関係を一気に好転させた。2011年末に最高指導者となって以来、昨年まで一度も首脳会談の場に出なかった金正恩氏だが、中国、韓国とは今年だけで既に各3回の首脳会談を重ねており、北朝鮮の最高指導者として初のソウル訪問や第2回米朝首脳会談、さらにはロシア訪問も近い将来に実現しようかという勢いである。

 4月の南北首脳会談と6月の米朝首脳会談では「朝鮮半島の非核化」(「北朝鮮の非核化」ではない)が共通の目標として掲げられ、特に米朝首脳の共同声明では「朝鮮民主主義人民共和国」が「朝鮮半島の完全な非核化に向けて努力することを確約した」と明記された。
 朝鮮半島情勢が平和と安定に向けて動いているのは無論喜ばしい。しかし、あまりの急速な変化に頭が付いていけず、夢でも見ているような気分になることがある。金正恩氏と文在寅氏がにこやかに食事を共にする姿、まして文氏が9月に訪朝した際に平壌でマスゲームを観覧し、そのまま15万人の大観衆を前に演説して拍手を浴びる光景や、南北首脳が仲睦まじく白頭山に登る様子を見ていると、彼らが何十年も敵対を続けて血を流し合いもした、しかも現在も国際法上は戦争が終結していない仇敵同士であるという事実と、どうしても頭の中でしっくり来ないのだった。

 正恩氏とトランプ氏が共同声明に署名して握手する姿に至っては、ハリウッドか韓流か分からないが荒唐無稽なコメディー映画を見ているような錯覚に陥った。当然だろう。両氏はつい昨年9月には「ロケットマン」「老いぼれの狂人」などと罵り合い、「北朝鮮を完全に破壊」「(トランプ氏を)必ずや炎で罰する」などと物騒な言葉の応酬をしていたし、北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」型の発射実験に成功したとして「国家核武力の完成」を宣言したのはつい昨年11月のことである。正恩氏は韓国に秋波を送った今年の「新年の辞」でさえ、米国本土全域が「わが方の核打撃の射程圏内」にあるとし、核弾頭搭載ミサイルの大量実戦配備を指示していたのだ。

 それだけに、正恩氏の「非核化」の意志に対しては「本気かどうか」といった疑問を投げかける向きが多い。実際に1990年代に北朝鮮核危機が起きて以降、北朝鮮の核問題では何か合意が成立しても実行段階で不調に終わることが続き、その間に北朝鮮は核・ミサイルの開発を着実に進めてきた。表では話し合いを進めていても、裏では核開発を継続しているのではないかとの疑念は絶えない(ちなみに現時点で北朝鮮は半島非核化を目指す意志を示しただけで、核開発をやめたとも、すぐにやめるとも言っていない)。一方、北朝鮮側も、米国側が時として政権交代や議会の反対などにより合意を覆すことを過去の歴史から学んでおり、両者の相互不信は根強い。
 しかし「非核化の意志は本気か」という疑問にこだわりすぎるのは、問題の本質を見失うように思う。

◆◇ 「核保有」も「非核化」も「手段」にすぎない

 北朝鮮の政権にとっての至上命題は「体制の存続」である。その点に立ち返れば、核兵器とてそのための手段にすぎない。北朝鮮が核開発を進めてきたのは、ベルリンの壁崩壊後、東側ブロックが崩壊して孤立を深める中、韓国にどれだけ経済的に水を空けられようが政治的には自らの体制が有利であるということを(たとえ虚勢であれ)誇示し、超大国たる米国から身を守るためだった。世界の最貧国の一つにも数えられる乏しい国力で世界最大の核大国に対抗するために、自らも核を持つのが最も早道だった(北朝鮮に言わせれば、核問題は米国の「核の恐喝と威嚇」によって生じたということになる)。

 北朝鮮は2016年1月6日に初の「水爆実験」を行った直後、「弱肉強食の法則が作用する現国際政治秩序の中で、国々が自らの自主権と尊厳を守るためには必ずや核兵器を保有しなければならないということは、21世紀の身近な現実が証明した血の教訓である。イラクのサダム・フセイン政権とリビアのカダフィ政権は、制度転覆を企む米国と西側の圧力に屈服し、あちこちに引きずりまわされて核開発の土台をすっかり破壊され、自ら核を放棄した結果、破滅の運命を免れなかった」と主張したが、実に正直な物言いである。

 もちろん「核」にはそれ以外の要素も付与されている。金正恩氏は最高指導者となって以降、自らが先頭に立って核・ミサイル開発を指導する姿を内外に派手に誇示してきた。そこには若くして国を統べることになった世襲指導者として、自らの権威を確立するためという目的もあっただろう。しかし、それとても北朝鮮のあの特殊な体制を安定させ、存続させるためである(自らの権威に関しては、金正恩氏はこの7年でかなり自信を深めたように見える)。

 歴史的な米朝首脳会談の共同声明では「トランプ大統領は朝鮮民主主義人民共和国に安全の保証を提供することを確言し、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に対する確固不動の意志を再確認した」と、「安全の保証」と「非核化」がセットとして記された。逆に言えば、北朝鮮は「非核化」によって安全が保証されると信じることができれば、核を放棄するかもしれない。
 その意味で「核保有」も「非核化」も、表では平和攻勢を進めつつ裏で秘密裏に核開発を継続するのも、現体制を存続させるという大目標を実現するための手段にすぎない。

◆◇ 「並進路線」と「日米安保」

 昨年まで核開発に突き進んできた金正恩氏の姿に「好戦的」「狂気」といったイメージを重ねる人も少なくないが、彼らには彼らの論理がある。
 金正恩氏は2013年3月に「経済建設と核武力建設の並進路線」を打ち出した際、「国防費を増やさずとも、少ない費用で国の防衛力をさらに強化しながらも、経済建設と人民生活向上に大きな力を振り向けるようにする」と説明したが、これは要は通常戦力を後回しにし、限られた人的・物的・財政的資源を「経済」と「核」に集中しようということだった。
 何のことはない、「核武力建設」を「日米安保」に置き換えてみれば、それは戦後の日本が採用して見事に成功した政策ではないか。

 そして昨年11月に「国家核武力の完成」を宣言すると、今年4月には「並進路線」が「偉大な勝利によって締めくくられた」として、今度は「経済建設に総力を集中する」との新路線を打ち出した。「経済建設」は並進路線でも両輪の片側を成していたため、現実には重点の置き方を変えただけかもしれない。それでも金正恩政権が「経済建設」の必要性を重々承知していることは十分に見て取れる。

◆◇ 進む脱「先軍」

 金正恩政権が金正日政権以前と大きく異なる点の一つとして、朝鮮労働党による統治の“無謬性”に固執せず、現実を直視する姿勢が挙げられる。
 北朝鮮は12年4月13日、「衛星打ち上げ」と称する事実上の長距離弾道ミサイル発射実験を行って失敗したが、これをわざわざ国営朝鮮中央テレビの臨時ニュースで「地球観測衛星の軌道進入は成功しなかった」と認めた。金正恩氏が当時の党の最高ポストである第1書記に就任した2日後であり、国家のトップである国防委第1委員長に就任する当日の出来事だった。それ以降、以前なら隠蔽されていたであろう大事故の発生、当局の活動に対する幹部らの「反省」、最高指導者自身による幹部への叱責など、当局にとって不名誉な出来事も国内で報道されてきた。
 金正恩氏は16年5月、実に36年ぶりとなる党大会で「わが国は政治・軍事強国の地位に堂々と上り詰めたが、経済部門はまだ相応の高みに達することができずにいる」と率直に認めた。17年の新年の辞では「いつも気持ちばかりが先走って能力が及ばない悔しさと自責の念の中で昨年一年を過ごした」と自身の能力不足さえ謙虚に口にしてみせた。

 政治体制では、金正日時代の「先軍」体制の象徴として国家機構の中枢を占めていた軍人中心の「国防委員会」は、16年6月に軍事色を薄めた「国務委員会」に改編され、党・政・軍の要職者で構成される機関となった。かつて党で政治局常務委員または政治局員の地位にあった軍三役(軍総政治局長、軍総参謀長、人民武力相)は今春以降、政治局員止まりとなり、文民上位の体制への転換が進んでいる。北朝鮮は確実に脱「先軍」化している。
 経済的にはなお遅れているが、韓国当局によると人口約2,500万とされる北朝鮮で携帯電話の普及台数は600万台に達したと伝えられるなど、北朝鮮社会は確実に変化してきている。情報が自由に流通するようになることは当局にとって大きなリスクでもあり、当局は思想的引き締めも図っている模様だが、それでも情報技術を含む先端技術開発を重視する姿勢を一貫して示している。

◆◇ 「大きな絵」は描けるか

 話を核問題に戻そう。金正恩政権は自国が経済的に遅れていることをよく承知しており、国の将来に確実に危機感を抱いている。世界から取り残されないように国の経済を発展させることに関しては少なくとも「本気」である。だからこそ、まずは多大な代償を払ってでも「米国本土全域を打撃可能」と主張できるまでに核兵器の開発を進め、米国と対等に交渉できる状況に持ち込んだ。それが彼らなりの論理である。
 核を今後どうするのが最良の手段なのか──「核戦力のさらなる強化」か、「非核化」か、「交渉の裏で秘密裏に核開発継続」か、それとも核保有の既成事実化という「インド・パキスタン化」の道か──北朝鮮は相手の出方を「本気」で見極めて判断するだろう。いずれにせよ、もし本当に「核を持たずとも体制存続が可能な状況」が実現可能だとすれば、それは十分望ましい結末だとは考えているはずである。

 多大な犠牲を払って軍事力で北朝鮮を滅ぼすのでない限り、おそらく北朝鮮という国家は今後も存在し続ける。それなら北朝鮮が「非核化こそが最善の選択」と判断できるように、どういう形で共存し、この国を地域の安全保障体制にどう取り込んでいくのか。その「大きな絵」を描くのは複雑な作業ではあるが、北朝鮮を含む全ての地域諸国にとって受け入れ可能な「大きな絵」を示し、それを「大目標」として目指す中でなければ、北朝鮮にとって核を放棄する動機づけが生まれるはずもない。それなくして「北朝鮮は非核化に本気か」と問い続けたところで、そこに正解などないし、相互不信が解けるはずもないのである。

◆◇ 今こそ日朝にも「大目標」を

 最後に日朝関係についても触れておきたい。
 日本国内では日朝関係に関して拉致問題に関心が集中しがちであり、ここでも何か動きがあるたびに「北朝鮮は“本気”か」といった議論が持ち上がる。
 しかし、2002年9月の小泉首相訪朝で、故金正日総書記が拉致を認め、自ら謝罪までするに至ったのはなぜか。少し考えればわかることだが、それは将来の日朝国交正常化という歴史的意義のある大目標を見据えていたからこそ、それだけの決断に踏み切れたのである。日朝平壌宣言には「両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した」ことや、小泉氏が「過去の植民地支配」に「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」こと、さらに北朝鮮が求める「過去の清算」についても書かれている。

 14年5月の日朝ストックホルム合意では、北朝鮮側は日本人の遺骨・墓地、残留日本人、日本人配偶者、拉致被害者・行方不明者を含む「全ての日本人」に関する包括調査を表明したが、この合意でも日本側は「日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思」を再度確認している。

 北朝鮮にいくら制裁で圧力を掛けたところで必ず抜け道はあり、平壌で日本製品が何食わぬ顔で売られていたといった話は珍しくない。「われわれは数十年間も持続してきた国連の制裁の中で今のあらゆるものを成し遂げた」(17年9月の金正恩氏の発言)というのはあながち強がりとも言い切れない。まして北朝鮮がこれだけ外交攻勢を強め、南北、米韓の緊張緩和が進んだ中では、制裁で彼らを動かすことは難しいだろう。
 拉致問題をうやむやにしての国交正常化は論外だが、包括調査の発表を見ても分かる通り、戦後処理問題として日朝間で解決すべき懸案はほかにもある。拉致問題は重大な人道問題だが、それが解決しない限り遺骨や残留日本人、日本人配偶者の問題にも手をつけないことが果たして人道的だろうか。そうした戦後処理を進めて日朝国交正常化という歴史的大目標を掲げることは、北朝鮮にとっても拉致問題の解決を進めようとするモチベーションになり得る。見方を変えれば、地域の緊張緩和が進む今こそが、そうした大目標をあらためて掲げる好機とも言える。

 北朝鮮は特殊な国だけに、日本国内で好奇の目にさらされやすく、ともすればワイドショー的な粗雑な議論が堂々とまかり通る。しかし、繰り返しになるが、北朝鮮には北朝鮮の論理がある。核であれ、拉致であれ、問題を解決するには各当事者が共有する「大目標」を設定した上でなければ、交渉が進むはずもない。日本を含め各国政府の交渉担当者はその点を理解しているはずだが、日本社会全体としてはどこまで認識が共有されているだろうか。

 (さきさか・もいち=朝鮮半島問題研究者)

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