■「北東アジアをめぐる日中露の関係について」

毎日新聞社 専門編集委員  石郷岡 建
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 ★初めに  ロシアのプーチン大統領は先月、再選後初めての2004年度の年次教書を発表し、アジア外交の重要な相手国として、中国、インドについで、初めて日 本の名前をあげた。「対日重視への転換」と大きく報じる日本のマスコミも あった。ただ、教書を読むと、確かに日本という言葉は書かれているが、その 具体的内容は一切説明されていない。日本という言葉が出たことが、すなわ ち、マスコミが報道するような対日重視につながるのか、疑わしい部分も多 い。それでも、何気ない日本への言及の姿勢の裏には、対アジア政策、特に東 北アジアへのロシアの関心が強まり始めた現実があるのかもしれない。

 ★エリツィン大統領とプーチン大統領の違い  ソ連崩壊後、ゴルバチョフ政権を継いで、ロシア初代大統領になったエリ ツィン氏は市場経済導入の改革路線を推進し、欧米接近路線を展開した。ウラ ルのスベルドロフスク出身のエリツィン氏にとっては、欧米諸国はあこがれの 的であり、欧米の経済水準にたどり着くことは自らの夢であり、目標でもあっ た。

 ただ、エリツィン大統領は、欧米水準に到達するという夢が簡単に実現する と考えたような雰囲気が濃厚である。実際には、いばらの道で、最後は道半ば で、満身創痍となり、引退せざるを得なかった。エリツィン大統領は欧米との 距離感がとれず、時には劣等感にさいなまれ、時には優越感情に振り回され、 結局、自滅したというのが実態だったかもしれない。  エリツィン大統領の退場後、ロシア権力の座を占めたプーチン大統領は、当初目だたない存在だった。短期的な暫定政権で、長くは続かないと思われてい た。しかし、国家権力強化による社会の安定と繁栄を目標とする国家権威主義 的色彩の強い政策を打ち出し、混乱の政治にうんざりしていたロシア国民の支 持を広く勝ち取った。政権は次第に安定し、今は長期政権の様相を濃くしてい る。  プーチン大統領はサンクトペテルブルグ出身で、ロシアの中ではもっとも欧 州文明に近い地で生まれて育った。欧州文明の影響下にあったといってもい い。しかも、国家保安委員会(KGB)の海外諜報員として、東ドイツに駐在 した。その滞在期間中にソ連崩壊という大きな事件に遭遇し、ソ連体制に絶望 することになった。その詳細はすでに本に書かれている。  プーチン氏は、この東ドイツの滞在経験により、欧米文化と、さらに深く接 し、欧米的な生き方を深く吸収した可能性が強い。いってみれば、欧米社会の 等身大の姿と接し、そのプラス面とマイナス面をしっかりと頭に刻んだと見ら れる。つまり、欧米文化の中でも、ロシアが受け入れられるもの、受け入れら ないものを、客観的に吟味する貴重な体験をしたといってもいいかもしれな い。

 プーチン大統領は、その育ちからいっても、文化的背景からいっても、親欧 米主義者で、アジア的価値観とは遠いところにいる。唯一の例外は、少年時代 に始めた柔道で、プーチン大統領自身の説明によれば、柔道を通して、アジア 的倫理観、日本的な礼儀の精神を学んだという。  プーチン大統領がまだ首相時代、病気のエリツィン大統領に代わり、ニュー ジーランドで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会談に代 理出席を命じられたことがある。プーチン氏は「なぜ、私がこんなところまで 来なくちゃいけないんだ」と不満を裏方に漏らしたという。本当かどうかは はっきりしないが、首相就任当時は、アジア太平洋地域にあまり関心を持って いなかったことを示す逸話でもある。

 ★プーチン大統領の北朝鮮訪問  プーチン大統領は2000年の大統領選挙で勝利し、正式に大統領職に就任 すると、まもなくして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問した。金正日 総書記との初の首脳会談である。ゴルバチョフ元ソ連大統領のペレストロイカ (立て直し)改革時代以来、疎遠となっていた北朝鮮との関係改善で、プーチ ン大統領の事実上の外交デビューだった。大統領は首脳会談後、沖縄で開かれ た主要国サミット(G8)に初参加したが、各国首脳を尻目に、北朝鮮首脳と 初会談をした指導者として、世界の大きな注目を浴びた。  当時、このプーチン大統領の北朝鮮訪問はエリツィン政権の親西欧路線から の大きな転換で、ソ連時代への逆戻りと警戒する人が多かった。しかし、今か ら見ると、プーチン大統領の北朝鮮訪問はソ連時代への逆戻りというよりは、 エリツィン時代に忘れられていたアジア、特に東アジア外交への復帰の始まり だったような気がする。  エリツィン大統領は欧米との関係を気にするあまり、アジアとの関係はあま り注意を払わず、アジア諸国の失望を招いた。そして、経済困難もあり、シベ リアや極東などロシアのアジア地域にも、ほとんど関心を払わなかった。  しかし、プーチン大統領は北朝鮮・沖縄サミット訪問の際にも、極東地区訪 問・視察し、極東の政治・経済発展の重要さを指摘する演説を行なっていた。 今思えば、プーチン大統領は極東地域の開発構想を大統領就任直後に、すでに 発表していたことになる。

 その後、プーチン大統領はモンゴル、ベトナム、インド、マレーシアなどア ジア諸国を次々と訪問し、ソ連崩壊後、打ち捨てられていた国々との関係修復 もしくは関係発展を進めた。大統領が若く、エネルギッシュに外交日程をこな す体力があったことが、アジア外交を可能にしたともいえるが、やはり、欧米 偏重だったエリツィン外交を、プーチン大統領は大きく修正し、アジア地域へ の舵きりを行なったというべきだろう。  プーチン大統領の、このアジア舵きり路線の背景には、ロシアが欧州とアジ アの中間に位置し、両文明の橋渡しをするユーラシア国家だという強い意識が ある。つまり、ロシアの軸足は欧米だけではないとの認識である。サンクトペ テブルグという事実上、欧州文明圏に育ったプーチン氏だからこそ、このよう な冷静な考えを持つことができたのではないかと思っている。つまり、欧州文 明への変な劣等感がないことが、このような考えを可能にしたのではないか と、私は思っている。   そして、欧米偏重からアジアを視野にいれたユーラシア外交はソ連崩壊後1 0年間にわたり試行錯誤を続けたロシア社会にとっては、ある意味では当然か つ自然な帰結でもあった。ロシアは欧州にもなれないし、アジアにもなれな い。その一方で、ロシアは欧州でもあり、アジアでもあるという認識が、よう やくロシア社会に定着したというべきかもしれない。

 ★中国の台頭  欧米主義者のプーチン大統領が、なぜアジアへとシフトしたのか。ユーラシ ア的国家観以外に、経済的に台頭する中国の姿があったかもしれない。  プーチン氏が大統領に就任した当時、極東地域は混乱の極にあり、特にウラ ジオストクでは知事と市長が対立し、お互いに非難の応酬をし合い、その一方 で、電気ガスが止まるという最悪な状況にあった。

 その背景には、ソ連時代に展開された国家統制色の強い経済が、ソ連崩壊と ともに停止し、さらに市場経済が導入されると、エネルギー資源を中心に、そ の価格が跳ね上り、地方経済に大きな打撃となって伝わっていた現実があっ た。  ところが国境越えた南の中国では、すでに経済改革が進み、経済躍進が始ま っていた。その心理的な影響はじわじわと極東に押し寄せていた。気がつく と、経済の勢いは中国の方が上回り、一部の人の生活水準は中国の方が上に なっていた。ソ連時代には考えられなかったことで、極東地域の人にとって は、大きなショックだった。

 当初、極東では、躍進する中国経済の「侵略」を心配する声の方が強かった。 この「経済侵略」から守ってくれという援助を申し出る訴えが、モスクワ中央 に次々と届けられていた。しかし、当時のエリツィン政権は中央の権力を守る のに精一杯で、極東地域の面倒を見る余裕がないのが実情だった。  そして、業を煮やした極東地域は次第に中国経済と交流するようになり、つ いには極東の将来は中国とともにあると考えるようになっていった。放置して おけば、ロシアのシベリア・極東地域は中国通貨圏に組み込まれて行く状況に なっていたのだ。  この状況に、モスクワ中央政府は危機感を持ち始めた。そんな時にプーチン 大統領が登場した。プーチン大統領はもともと国家主義者で、ロシアの強化と 領土一体性を国家政策の最重要課題としていた。極東地域での「モスクワ中央 離れ」は、ロシア国家にとっては大きな問題で、国家の一体性を崩す大きな問 題につながる可能性があった。放っておけば、ロシアの東半分がロシアの手か らこぼれ落ちるという危機感だったといってもいいかもしれない。これが、 プーチン大統領の「アジア・シフト」の本当の理由だったかもしれない。

 ★人口の浸透圧  実は、この中国経済の拡大・膨張の問題は中国の人々のロシアへの浸透とい う人口脅威の問題でもあった。中国東北部には約1億の人々が住む。これに対 し、極東地域は統計上は約800万人。実際にはロシア中央部への移住で、6 00万人近くに減っているともいわれる。どうみても、南の中国から北のロシ アへの人口移住の圧力は高まって行く情勢にある。  実際、ロシアでは「人口浸透圧」と呼ばれる中国人の移住問題がすでに深刻 化している。シベリア・極東地域では、合法、非合法の中国人が次々と流れ込 んでおり、同地域の労働力不足とあわせて、土木建設業や農業分野などでは、 中国人が欠かせない労働力になりつつある。  また、極東に端を発した中国人の人口移入はロシア全土に広がりつつあり、 各地に中国人街ができつつある。さらに、ロシアから欧州への密入国組織が暗 躍し、巨大な金が動くまでになっている。出入国管理が厳しかったソ連時代に は考えられなかった事態である。ロシアの中国人問題は今後大きくなることは あっても、消えることはない情勢にある。

 ★躍進する中国経済  しかし、プーチン大統領が中国問題を取り上げたのは、この人口流入問題だ けではない。非合法流入による中国移民問題よりも、躍進する中国経済とどう 付き合うかという方が大きな問題だったかもしれない。  ロシアは当初、中国経済の発展を軽く見ていたふしがある。社会主義時代に 経済援助をした弟分が躍進し、兄貴を抜くようになるとは、思いもよらなかっ たというのが本音だろう。

 しかし、毎年10%近い、経済成長を続け、世界経済を左右するような国家へ と成長していく姿に突然気付き、驚愕したというのが実態だったのではないか と思う。  特に、2001年6月上海で開かれたいわゆる「上海5カ国会議」(のちの 上海協力機構)の首脳会議に参加したプーチン大統領は林立する上海のビル群 に圧倒され、今更ながら中国の発展にびっくりしたに違いなかった。当時、私 はモスクワに駐在していたが、高層ビル群を背景に、上海から現地TV中継さ れる首脳会議の様子に大きな感銘を受け、ロシアの人たちはどのような感想を 持っただろうかと思ったものだった。

 ★2001年米国同時多発テロ事件  2001年9月、ニューヨークでイスラム原理主義組織「アルカイダ」によ る同時多発テロ事件が発生、ブッシュ政権はアフガニスタンのタリバン・アル カイダ軍事作戦を開始する。  この時、ロシアはブッシュ政権のテロ掃討作戦に全面協力し、さらに米軍の 中央アジア進出を認めた。米軍はウズベキスタンとキルギスの2カ所に空軍基 地を設置する。このうちキルギスの基地はアフガニスタンの国境まで約600 キロ。中国の新彊・ウイグル地区まではわずか200キロしかない。  果たして、米国はアフガニスタンの軍事作戦のためだけに、キルギスに軍事 進出したのだろうか。そして、ロシアは、なぜ、米軍の中央アジア進出を許し たのだろうか。将来の中国の巨大化、中央アジア進出を考え、米露の共同行動 が始まったと指摘する人もいる。  もっともロシアは中国と軍事対決する意図は持っていない。数千キロの国境線 を共有し、中国と本格的な軍事対決に入れば、膨大な兵力と資金が必要とな る。しかも、戦争となれば、その影響は甚大で、短期間には終らない後遺症を 残す。ロシア指導部にとっては、中国との軍事対決というシナリオは悪夢と いっても言い過ぎではない。ロシアにとって、中国は最大の隣国であり、今後 数世紀にわたって付き合わなければならない隣人である。できるならば、善隣 友好関係を結びたいし、戦略的パートナーシップ関係をうたいあげたいと思っ ている。  それでも、政治・経済・軍事のバランスが崩れた時に、中露関係はどうなる のか。ロシア指導者にとっては、片時も忘れられない問題だろう。

 ★米中関係  それ以上にもっと問題なのは、中国と米国の関係かもしれない。米ソ対立の 冷戦構造が崩れ、世界は超大国・米国の一極構造の時代へと移ったように見え る。超大国・米国は中国の台頭をどう見ているのだろうか。中国が経済大国化 していくとするならば、中国と米国の利害は衝突しないのだろうかとの問いで もある。  実は、ブッシュ政権は政権誕生直後、中国の軍備拡張に警鐘をならす立場を 強く打ち出し、在外米軍の配備の変更および対中戦略始動を示唆する立場を見 せていた。米軍の中央アジア進出およびキルギスの軍事基地設置は、その一環 だったかもしれない。  もし、米国は長期的には中国との利害対立の可能性を考えているとするなら ば、ロシアはどちらにつくべきか。米国について、中国と対抗するのか。それ とも、中国と共同戦線を構築し、米国と対抗するのか。それとも中立という第 3の道があり得るのか。  プーチン政権は成立当初、中国ではなく、米国との共同戦線構築を考えた可 能性が濃厚である。超大国の座をおりたロシアは、世界経済に統合していくた めに米国の支持が絶対必要で、米国と組むしかないと考えた可能性が強い。米 国は核大国で経済的にも圧倒的優位にあり、中国よりも圧倒的に重い意味を 持っている。

 ★北朝鮮縦断鉄道と太平洋パイプライン  プーチン大統領は北朝鮮の金正日総書記と初会談した際、朝鮮半島の南北縦 断鉄道を建設する構想を語っている。南北縦断鉄道は古くからの構想で、朝鮮 戦争で分断された縦断鉄道を再開する計画である。東海岸ルートと西海岸ルー トのふたつのルートがあった。双方とも釜山から北へ向かい、ロシアにつなが る。東海岸ルートは釜山からウラジオストク経由でシベリア鉄道に入り、西海 岸ルートは釜山からソウル、平壌を経て中国東北部へ入り、シベリア鉄道と結 ぶ。いずれもシベリア鉄道に直結し、欧州までのコンテナ直送が可能となる。

 プーチン大統領は、このふたつのルートのうち、東ルートを強く押し、西ル ートに難色を示した。そして、「まごまごすると、中国に負けるぞ」とはっぱ をかけた。プーチン大統領は、明らかに中国東北部を通る西海岸ルートを否定 しようとしていた。中国東北部経由の西ルートが完成すると、極東地域は取り 残され、経済発展が遅れ、とどのつまり、中国経済圏の軍門下に入るとの危機 意識があったようだ。  朝鮮南北縦断鉄道と同様に、プーチン大統領の対中国観が見え隠れするのが イルクーツク近郊のアンガルスクからの石油パイプライン計画だ。これも南の 中国の大慶油田と結ぶ「中国ルート」と西のウラジオストクへ結ぶ「太平洋 ルート」のふたつのルートが存在する。  当初、ロシアは「中国ルートの建設」を決め、中国側と合意をしていた。と ころが、途中から「中国ルート」の計画にブレーキがかかり始める。ロシアの 石油大手のユーコス社やロシア・石油省などはすべて「中国ルート」の石油輸 出を押したが、計画案が指導部に上がると、話が停滞する。どうも大統領府が 抵抗しているようなのだ。つまり、プーチン大統領か、大統領の側近が「中国 ルート」を嫌い、「太平洋ルート」を押している気配が濃厚なのだ。  「中国ルート」は石油販売先が中国に限られるが、「太平洋ルート」ならば、 日本、韓国、台湾、東南アジア、さらには米国西海岸にも広がり、沿海州を中 心とする極東地域の経済刺激にもなる。長期的な国家戦略利益を考えるなら ば、「太平洋ルート」の方が利にかなっているともいえる。  南北縦断鉄道と石油パイプラインと、ロシア側から打ち出されてくる戦略は、 どうも中国を意識している。中国に対抗しようとしているといってもいい。

 ★北朝鮮国家の行方  もうひとつ大きな問題は北朝鮮国家の行方かもしれない。ロシアは社会主義 経済という国家統制経済の失敗からソ連崩壊という劇的結果を経験している。 本音で言えば、北朝鮮の金正日体制が長く続くとは思っていない。体制改革を 始めるか、体制崩壊にいくか、いずれにしても長くは続かないと思っている。 そして、でき得れば、北朝鮮の体制転換は混乱なく、スムーズに軟着陸して欲 しいと思っている。この点では、中国指導部も同じような考えだろう。

 問題は北朝鮮の体制変換後の国家はどのような形をとるのかにある。ロシア はすでに南北朝鮮の統一も視野に入れている。だから南北縦断鉄道の再開建設 構想が出てくる。南北の体制は近い将来、ひとつになるか、もしくは大規模な 交流が始まると見ているのである。  そして、北朝鮮の体制変革が始まり、新しい国家建設が始まった場合、もっ とも大きな問題となるのが、国家建設の基礎となるエネルギー供給問題であ る。電気か、天然ガスか、石油か、原子力か、ともかくエネルギーなしには国 家の再建はない。そして、エネルギー問題が浮上すればするほど、浮上してく るのがロシアの存在である。極東地域でエネルギー資源を持っている国はロシ ア以外にない。アンガルスクからの「太平洋ルート」の石油パイプラインやサ ハリンからの天然ガス・パイプラインが物をいうようになるのである。  ただ、ロシアは北朝鮮へのエネルギーを供給する能力があるが、資金はない。 その資金を出す可能性を秘めているのは日本だ。未解決の北朝鮮との賠償問題 が始まれば、日本がエネルギー供給に資金を出す可能性は十分にある。もしか すると、中国や韓国、米国も一枚加わるかもしれないが、日本の可能性の方が はるかに大きい。つまり、将来、朝鮮半島のエネルギー供給のために日露協力 体制ができる可能性は十分にあり得るのである。  中国は朝鮮半島の行方をどうみているだろうか。北朝鮮の金正日体制を揺る やかに変化させたいと考えていることは間違いない。自らが歩んだ経済改革の 道を歩ませたいと考えているだろう。しかし、南北の統一を望んでいるだろう か。中国は南北統一により、米軍部隊が中国国境までやってくるのを警戒して いる。米軍との直接接触を避けるために、北朝鮮を緩衝国として残しておきた いと考えており、南北朝鮮の統一には反対だというのがこれまでの定説である。

 ★大アジア自由貿易圏構想  しかし、最近、中国の態度は微妙に変化している。将来の朝鮮統一も視野に 入れた戦略の立て直しを進めている雰囲気が濃厚だ。特に、中国、日本、韓国 の東アジア自由貿易協定構想を打ち上げてから、中国の態度が明らかに変り始 めている。中国は東南アジアにも自由貿易構想を提案しており、中国を中心と した大アジア自由貿易圏構築へと動き出した雰囲気にある。  この大アジア自由貿易圏は欧州連合および北米自由貿易圏と並んで世界を支 配する3大貿易圏に成長する可能性を秘める。そして、この大アジア自由貿易 圏構想には、北朝鮮も視野に入っている可能性が強い。つまり、大アジア自由 貿易圏には、韓国が北朝鮮の面倒をみる形で、統一朝鮮として加盟し、中国東 北地方から朝鮮半島、さらには日本へと広がる広域経済共栄圏の一角をなす可 能性が強いのである。

 中国が打ち出した自由貿易圏構想に、すでに韓国は乗り気になっており、大 きく動き出している。しかし、日本は中国特需に潤い、中国経済は無視できな いと考えながらも、迷っている。中国は本当に繁栄するのか、米国との関係は どうするのか。問題はあまりに多い。アジア自由貿易圏構想に入るべきかどう か、長期的戦略を立てることができないでいる。  その一方で、日本の「対中華経済圏」(中国、香港、台湾)向けの輸出が昨 年13兆7057億円に達し、対米向け輸出13兆4130億円を初めて上回った。昨年は 日本が米国から中国へと輸出構造を転換した歴史的転換点だったかもしれな い。日本は中国へと流れるアジアの歴史の流れに、乗り始めたのかもしれない のだ。

 中国が提唱する東アジア自由貿易圏もしくは大アジア自由貿易圏が、今後ど のように発展するのかは不明な部分は多い。しかし、このまま中国の経済発展 が続くのならば、中国を中心としたアジア地域の経済交流の活発化が大きく進 む可能性が強い。  この場合、ロシアはどうなるのか。このアジア自由貿易圏から排除されるの か、それとも参加していくのか。たとえ自由貿易圏へ直接加盟しなくとも、今 発展しつつある東アジア経済圏にはどのような形で関与していくのだろうか。 東アジア経済圏に関与しないとなると、極東・シベリア地域の将来はどうなる のか。経済的に取り残された後進地域になってしまうのだろうか。多分は答は でていない。プーチン大統領は真剣に考えざるを得ない状況に追いこまれてい る。  そして、この地域の将来を大きく左右するのが、現在、超大国の地位をひと り占めする米国である。米国の出方で東アジアは大きく変る。今後、米中関係 は良好なままに発展するのか、それとも両国の利害関係が対立する時代がやっ てくるのか。米中対立が始まれば、ロシアや日本はどちらにつくのか。中国封 じ込めのために、ロシア、朝鮮半島、日本、米国という対中国対抗同盟ができ る可能性もあるのだろうか。

 ★終りにー最後に残った冷戦構造をめぐる長期戦略の必要性  北東アジアは朝鮮半島の36度線を中心に南北が対立し、いまも冷戦構造が残 る世界で唯一の場所である。それでも、変革の波はひたひたと押し寄せてい る。凍結していた南北朝鮮の対立構造は次第に解け始めている。新しい東北ア ジアのあり方の模索が始まっていると見た方がいい。  現在日本で問題になっている北朝鮮の拉致問題や北朝鮮の核兵器開発問題、 さらには南北朝鮮および米中日露の6者協議も、東北アジアの古い構造が音を 立てて崩れ始めた徴候であると考えると分かり易い。日本は、東北アジア地域 の長期戦略をどうたてるのか、躍進する中国とどう付き合い、ロシアとの関係 をどう調整していくのか、答を出さねばならない時期がまもなくやってくる。