「君はこんな穏やかな街で育ったのか」

藤田 裕喜

 今から約1年前(2017年5月)、加藤さんには、私の故郷であり、現在も暮らしている愛知県蒲郡市にお越しいただいた。蒲郡市は愛知県の東三河地方に位置し、山と海に囲まれた小さな街だが、たしかに加藤さんが来られた日は、ちょうど初夏の陽気に包まれた、風も波も穏やかな暖かな日であった。三河湾に浮かぶ竹島を散策し、温泉でくつろいでいただき、メヒカリをはじめとする地魚や、奥三河の地酒など、地元の食材も味わっていただいた。
 その土地の気候風土と、そこで育った人々の性格や感覚が、関係しているかはさすがに知る由もなく、私自身の性格が穏やかかどうかも自信はないが、少なくとも、蒲郡という街を気に入っていただけたのではないか、と今では感じている。
 狭い市内でも、十分に観光するまでの時間はとれなかったことから、今度は違う季節にお越しいただくようお誘いした。私としては特に、300年以上続いている地元の誇りとも言うべき、秋の「三谷祭」をぜひともご覧いただきたかった。だが、誠に残念なことに、その思いは果たせないままとなってしまった。

◎ 大正14年生まれで、すでに他界した私の祖父よりも、さらにひとつ年が上。祖父からは戦前・戦争中の話を十分に聞けなかったこともあり、加藤さんに折に触れて伺うようにしていた。加藤さんのお父上の話も含めて、私は楽しみにお伺いしたが、むしろ加藤さんは、昔話よりも現在の政治状況について、あるいは国際情勢についてなど、これからの課題を好んで話題にされた。だがしかし、この間、明るい兆しを感じられるような政治的なできごとはほとんどなく、どんな話題であっても、不安や憂いが先行せざるを得なかったことは、やはり残念だった。

◎ お話を伺う際は、たいていお酒もともにしていたが、その独特の注ぎ方—缶や瓶の注ぎ口から「じょぼっじょぼっじょぼっ」と音が出るように、勢いよくコップに注ぐやり方ーが強く印象に残っている。世代の差か、少なくとも30代の私の周りには、このような注ぎ方をする人はいない。ぜいたくな感じがして、いっそうの至福を感じるようだった。
 また、冷凍庫で冷やしたウォッカをよくいただいた。冷凍庫で凍るほど冷やされたウォッカは、口当たりが微妙に変化してまろやかになり、飲みやすくなる。私にとっては、加藤さんだからこそ知っている飲み方で、ウォッカが(少しだけ)身近になった。
 ただ、お目にかかった当初のところと比べ、今思えば、徐々に意識して酒量を減らされていたようにも感じている。その意味では、お酒をごいっしょした思い出は、それだけ貴重なものになったと思う。

◎ かねてから、日野原重明さんやむのたけじさんなど、100歳を超えてもなお現役で活躍しておられる方々を目標とされていた。健康不安がまったくなかったというわけではなかっただろうが、特段、大病もけがもなく、弱っていくような徴候もなかったようであったし、私自身、当然のように、少なくとも10年、長く生きられると信じて疑わなかった。いまだに信じられない・受け入れられない思いの方がやはり強い。

◎ 『オルタ』の編集作業や配信作業で大変お世話になり、その後の私のあり方にも、大きな方向付けをいただいた。自身のご経験から、私が政治を志すこと自体に、あまり前向きにはとらえていらっしゃらないようではあったが、否定することもなく、むしろ積極的に大きなお力添えをいただき、様々なご縁をつないでいただいた。実家のある蒲郡に帰省するきっかけをいただいたのも加藤さんからつながったご縁だった。
 私自身へ大きな関心をお寄せいただき、また、期待もしていただいていただけに、いまだ結果につながらず、そして、ご存命中にご報告ができずに誠に残念に感じている。だが、いただいたご期待には応えなければならないと強く感じているし、それをひとつの恩返しと考え、よいご報告ができるよう、引き続き全力を尽くしていきたい。

 (前衆議院議員秘書)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧