「戦争・人間そして憲法九条」(講演記録)品川 正治

             (経済同友会終身幹事)
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  これは2007年5月3日に三重県津市・センパレで九条の会・津が主催した  
講演会の記録を同会の高木一氏がまとめられ、品川氏の許諾を得て「オルタ」に
転載させて頂いたもので文責は編集部にあります。

 今日は憲法施行60周年の記念日です。精一杯のお話をしたいと思います。少
し足を悪くしていますので、座って話させて下さい。
 私のプロフィルはお渡ししたリーフにありますが、やはり私が憲法についてお
話しする心情がどうして出来たのか、そういう意味で自己紹介し、現在の 心境
に達したことからお話ししたいと思います。

 私は1924年生まれで、大日本帝国憲法下で約20年、あと60年を現行の
憲法下で生き、一生二世を手にしたわけです。戦争をじかに体験し、戦場で戦い
負傷し、引き揚げてきた体験をしました。もう83歳になりました。
 旧制の高校2年のとき兵隊となりました。旧制高校の2年といえばもう大人
で、人間として思想を形成する年代です。戦争たけなわの時で、あと2年ぐ ら
いの命だ、兵隊で死ぬんだ、命を失うという思いがたえず頭にありました。
 受験勉強よりも、自分の思想を磨きたいという気持で本気になって2年間、た
くさんの本を読みました。カントの哲学の本をそれも原書で、先生にドイツ語を
学びながら先生と一緒に命がけで勉強しました。

 鳥取の連隊に入隊しましたが、連隊では現役並の扱いで、入隊式のとき連隊長
が、今日入隊した80人は死ににゆくんだから、お前達、絶対に手をかけたり、
なぐったりするな、した者は重営倉に入れるぞ、と強い調子で挨拶したんです。
 2週間ほど内地にいて、中国の河南省の洛陽から西安の山岳戦ばかりの日を送
り、迫撃砲の破片をうけて負傷しました。
 しかし戦争体験は、皆違うのです。ニューギニヤやフィリピン、ビルマのイン
パール作戦などで戦った人の前で、私などおこがましくて話せません。彼らの多
くは飢えて死んだり病に倒れて死んでいます。食糧も全く無くなり、気力も無く
なって死んでいった。また硫黄島やサイパン、アッツ島、沖縄戦などの体験は玉
砕しかない戦いで、それがわかっていて戦ったのです。悲惨な戦争体験です。生
き残った人は「お前だけなぜ生き残ったのか」とせめられる思いで、だから戦争
体験が語れない、いや語らない人が多いのです。日中戦争の体験ほどは語れない
のです。

 旧満州の関東軍の体験は、シベリアに抑留された者が酷寒の中で苦しんだ体験
や、人間としてやっちゃいけない戦いもあり語れない事が多いのです。空襲の恐
ろしさも同じで、家も焼かれ家族も焼け死んだ遺族と、家だけ焼かれた者とでは
心の傷が違います。
 むつかしいのは、悲惨な戦争体験をした人はなかなか話し難い、自分がなぜ助
かったのかはなかなか一言では説明しにくい心の苦しみがあります。だから戦争
の本当の真相を知ることは極めてむつかしい。
 戦争体験も、高齢で亡くなった人が多く、私などの体験はおこがましくて語り
づらくなっています。
 終戦は8月15日ですが、中国ではもっと前に知っていました。7月28日に
日本のお金が使えなくなったのです。日本が敗れると知った中国人が日本のお金
を拒否したのです。
 武装解除は11月までありませんでした。「アリの兵隊」という映画に同じこ
とが映されていますが、中国では国民党軍と八路軍の戦いが続いており、これに
参加した日本兵が5000人以上戦死しているのです。日本での終戦後の扱いは
厚生省復員局となり、この5000人以上の戦死が8月15日以前だという扱い
になったのです。この事は中国政府も知っています。この戦死者も靖国神社に祀
られています。

 中国政府は靖国神社の問題で日中が敵対することが無いことを望んでいるの
です。中国への侵略戦争はA級戦犯の人達が指導したもので、日本の国民もその
犠牲者なんだ。日本から賠償をとることは犠牲になった日本国民を苦しめること
になる、だから賠償をとらなかった。中国共産党の幹部が全中国にオルグに行っ
て国民を説得しました。しかし、日本人に中国人はひどい目にあったのだからと
怒った国民に、これら幹部の80人以上が殺されたのです。だから日本の総理大
臣がA級戦犯を合祀した靖国神社に参拝すれば、中国を根底からくつがえすこと
になるのです。
 韓国と中国の靖国神社批判は同じものでなく異なるものです。当時日本は朝鮮
を植民地にしており、朝鮮人で日本軍に招集されて中国に侵略した兵隊が多くい
ました。中には中隊長をして戦死した人がおり、終戦後韓国で中隊記を出すこと
になったが、この中隊長は靖国神社に祀られており、どう扱うか大変苦しんだ。
だから中隊記は書けなかったのです。この中隊長は北の出身でありました。そし
て家族はクリスチャンですごく苦しまれたと思います。だから韓国は中国とは異
なる戦争の傷があり、大きいものです。

 戒厳令というのがありますが、日本では戦前2.26事件とか5.15事件の
ときは東京に戒厳令がしかれました。戦後は一切ありません。韓国では戦後何度
も発令されました。軍事政権が続いたためです。日韓国交回復と日韓修交条約締
結のとき、これに反対する国民に対し戒厳令をしいて抑圧したのです。当時野党
の金大中が逮捕されて死刑判決となり、ノムヒョンも捕らわれました。いまこれ
らの人々は政治の中軸におり、日本と韓国の歴史を学ぶズレが広がる杞憂があり
ます。日本人が現代史をもっと学んでいく必要を私は強調したいと思います。
 11月に武装解除されて、鄭州の収容所に入れられました。そこで忘れ難い大
激論が起こったのです。収容所を二分する論争でした。陸軍士官学校を出た若手
将校が中心になって、日本政府に対し弾劾の血書を作り、署名を集めたのです。
論議の点は、日本政府が敗戦と言わずに終戦と言った事に対し敗戦だとはっきり
させて、この恥をそそぐようにしてゆく、その努力をするという論法でした。こ
れに対し、戦争の最前線で戦って傷ついた兵士たちは、何を言うか、日本兵も多
く死に、アジアの人々も多く殺してきた戦争を、どう謝るのか。二度と戦争はし
ない、だから終戦でよいのだ、戦争はもう終わりだという兵士との間で論争とな
り、血の雨もふりました。その結果は終戦が大勢となったのです。二度と戦争は
しない、ということが大勢となりました。

 翌年5月帰国しましたが、この時、山陰の仙崎港で、初めて日本の新聞で日本
国憲法草案というのを見たのです。全員が泣きました。国家が憲法で二度と戦争
はしないという、そこまで思っていてくれたのかという、みんな泣いたんです。
これが私の心情の原点です。
 そしてもう一つあります。国家が起こした戦争に対して、どう生きどう死ぬか
という問題で、戦争体験者として、戦争を起こすのも人間なら戦争を止める努力
をするのも人間だ、この事になぜ気づかなかったのか、とこれが私の最も強い認
識です。もう一度言います。戦争を起こすのも人間だがこれを止めるのも人間だ、
ということです。
 いま誰が戦争を起こそうとしているか、誰が止めようとしているか、北朝鮮が
どうこういうが、誰が戦争のできる国にしようとしているかはみなさんはわかる
はずです。戦争を起こすも人間、それを止めるのも人間、これが戦争体験で得た
最も重要な座標軸です。

 市場原理主義といっていますが、教育や福祉や環境などを市場にまかせるなど
というわけにはいきません。これらはみな人間の努力が必要なのです。
 むつかしい問題も幾つかあります。国民が支持している九条についても、政権
党が立党の時から二度と戦争はしないということを決定したことがありません。
国民の願いと政権党がネジレているのです。だから九条を守るという国民の力の
前では憲法改正はできなかった。中曽根さんも憲法は改正したいというのが前提
でした。本心では日本を普通の国にしたいのだが、それができなかった。だから
解釈改憲で海外派兵までしてきました。この結果、九条の旗はボロボロに破られ
ています。さらにいま集団的自衛権行使の論議までしようとしています。
 しかしこのボロボロになった九条の旗を国民は手放さないのです。これが現状
だと思います。ところが今度安倍さんとなってこの旗を放せと。国民は五年以内
に九条の旗を放せとはっきり言い出しました。あと五年、権力の側は日本を変え
たいと言っています。

 もう一つは、これはネジレかどうかむつかしいけれども、憲法九条は正義の戦
争も認めていません。これは世界にない条文です。フランスではナチスに対しド
ゴール政権はレジスタンスの戦をやりました。この正義の戦いの血が脈々と流れ
ています。中国の政府の正当性は、抗日民族解放戦争で勝利して成立しました。
これらの人々から見れば、正義の戦争も否定するのかということになります。こ
のようにむつかしい問題はありますが、私は21世紀の課題は何かと言えば、食
糧不足や疫病などで苦しむ人々を救済してゆくことであり、九条二項を守って戦
争しない国として海外の支援をすすめてゆくことだと思っています。
 中南米のコスタリカは軍隊を持っていませんが立派な国です。九条の「戦争を
しない」という理念がもし無くなれば、地球上で戦争も無くなりません。あの戦
争で日本も300万人以上が死に、アジア各地で2000万人以上を殺した戦争
でした。広島、長崎では一瞬にして何十万人もの命が奪われました。このような
悲惨な戦争の結果、日本は二度と戦争はしないというのが一致した結論でした。
また憲法作成の論議が、軍隊が無かったため、九条も出来たのだと思います。

 これからの問題は、国際貢献をするためには国連軍に参加できる普通の国にし
たい、これは小沢一郎君も日本改造計画の中で書いていますが、それでは日本も
核兵器で武装するのか、と言えばそれはできない。いま北半球は核武装した国が
多いのです。国連軍参加となれば、核武装した国の紛争に介入することになる、
核武装しなければ核大国に使われてゆくしかない、ということになります。
 広島、長崎を経験した日本では、核武装反対は根強いものがあります。このよ
うに考えてゆくと、憲法九条の規定は21世紀に九条の理念が普遍的になる可能
性は高いのです。
 これからは戦争体験者が減ってゆくので、若い人と理論的に亘りあえるポイン
トが少なくなってきます。戦争体験を基軸とした話も少なくなってきます。私は
一人息子の夫婦を亡くし、孫娘を育ててきましたが、いま大学入学年になりまし
た。この孫娘に私の戦争体験はなかなか通じないのです。私の足には迫撃砲の破
片が入っていますが、迫撃砲に撃たれたと言っても、その迫撃砲とはどういうも
のか、説明がむつかしいのです。孫娘はよくわからないと言います。そして「な
ぜ戦争を止められなかったの」と最後に一言いいました。

 戦争の話を一般化して説明するのは大変むつかしくなっていますが、努力して
います。私は戦争とはどういうものか、三点について話をしています。一つは戦
争はすべての価値感を〃勝つために〃という事で強制することです。人権も自由
も戦争に勝ってから、ということになります。戦前「欲しがりません、勝つまで
は」と言われました。命の価値も勝つために犠牲にするということです。二つ目
は勝つためにすべてを動員するということです。すべての分野でサイエンスだけ
でなく人文も社会科学もすべて動員されます。宗教も神国史観に特定されます。
ドイツでは戦時中にホロコーストと言って数百万人のユダヤ人を殺しました。ド
イツ国民が支持したのです。これも動員の一例です。人類史上忘れられません。
三つ目は権力構造が変えられるということです。三権分立が普通ですが、実際に
は戦争指導層が権力の中心になるということです。アメリカはいまイラク戦争を
すすめているが、勝つことを信じている指導者が多いのが実状です。日本は平和
憲法をもっている国ですから、アメリカと価値感を共有できないのに共有すると
思っている指導層があります。
 戦争をし、勝つことを信じている指導者と価値感を共有している日本人は政治、
経済、文化、マスコミなどの分野にいる指導層に多いことが危惧されます。朝鮮
戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などを進める国と、戦争をしない国とでは価値
感は異なるものです。

 日本はアメリカに原子爆弾を落とされましたが、落とした国と落とされた国が
価値感を共有するというのです。なぜ違うと言えないのか。広島や長崎、沖縄の
人に日本とアメリカの価値感は一緒だと言えるでしょうか。しかし東京の人は日
米の価値感が同じ方がやり易いという人が多いのです。
 経済界の人はアメリカの資本主義が本当で、日本は修正資本主義だ、だからア
メリカ型に直してゆくのが正しいと言います。世界第二位の経済国になった日本
は、この成長を国民に分けてゆくというのが基本だったのですが、それをアング
ロサクソン型の経済にしてゆこうという方向に向いている、変えるのが正しいと
いう。この結果、雇用は無茶苦茶になったでしょう。これは日米の指導者の価値
感が同じになっているためなのです。規制緩和は、大企業の自由のための緩和に
なりました。
官から民へ、大きな政府から小さな政府へ、と言いますが、人口10万人の地
方市の公務員数は先進国中で最低なんです。例えば外交官でもイタリヤ並みに
するのに1000人も不足しています。フランスは日本の倍もあります。
少しも大きな政府ではありません。福祉の水準は先進国の中でアメリカが最低で、
日本も低くアメリカと最低を競っています。大きいのは借金です(笑い)。誰が
誰のために誰から借金をしているのか。内容がはっきりすれば、この借金はご破
算になるでしょう。日本はアメリカの借金を批判していましたが、バブル崩壊後
は大企業を救うために多額の税金を投入しました。この計画は国民の家計を減ら
そう、年金や医療や社会保険で国民負担を増やそう、公務員を減らそう、そうい
う年次改革案を政府に要望してきたのです。アメリカからは日本の郵政事業を改
革せよという強い要望がありました。これは郵便貯金と簡易保険が国民の金を集
めて巨大であり、民営化して自由に使えるようにせよという要求です。これは毎
年出されてきました。

 このように経済成長を大企業の利益のためにという方向に改革してゆく、グロ
ーバル・エンタープライズのやり放題で、それが正しいのだと言うわけです。私
は何を言うかとムラムラしてきます。教育も福祉も環境問題も市場経済にはまか
せられない、だからこの改革には加担しないということを申し上げたいのです。
そのためにも、このような席に臨みたいと思っています。
 どのようにして九条を守る運動に国民のエネルギーを集めてゆけるかが重要
な課題です。
 ある外交官に尋ねてみました。日米の価値感が違うのに、どうすればアメリカ
にそれを認めさせることができるかと。外交官は外交の力ではとても無理です。
しかし日本の国民が憲法の国民投票でノウという答えを出せばすべてが変わる
でしょう。憲法九条を国民が守るとはっきり意志表示をしたら、ちょうどベルリ
ンの壁が破壊されたように世界に大きなインパクトを与えることになり、情勢は
大きく変わるでしょう。日本の国民だけが情勢を変える力を持っているのです、
と言いました。
 日本の国民に出番が来たという、これはこれまでの歴史上これ程大きな局面は
なかったと思います。世界全体の流れが変わる。これからの五年間は日本の国民
が世界史を左右する、そういう時代が到来したことをみんな自覚して九条を受け
身でなく、世界史を変える意気込みで運動をさらに力強いものにしてほしいと思
います。(さかんな拍手)                                                   

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