【コラム】
風と土のカルテ(76)

「政治と感染症」を描くユニークな1冊

色平 哲郎

 本を読む楽しさは「出合い」にある。新たな知見や掘り下げられた事実、どっしりと構築された思考体系に出合ったりすると、昂奮を覚える。

 コロナ禍に見舞われている現在、感染症に関する本も多数出版されているが、山岡淳一郎『ドキュメント感染症利権』(筑摩書房、2020)は、医療従事者の視野にはなかなか入らない「政治と感染症」の観点から描かれていたため手に取った。

 本書は、まず新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行第1波の中、外資系製薬会社の治療薬が特例承認された背景などを政治と企業との関係などから説き、「利権」の形として問題提起する。そして、その構造を解き明かすために幕末・明治維新の西洋医学導入期まで遡り、東大-文部省閥と、内務省衛生局に集う精鋭との派閥争いが医療にどんな影響を及ぼしたかを記す。

 やがて軍部が感染症に目をつけ、陸軍軍医の石井四郎が率いた「七三一部隊」による人体実験、そしてハンセン病患者への国家的差別といった闇の絵巻がつづられる。知識として知ってはいたのだが、医療と政治のダイナミズムの中で語られると読み応えがある。

 びっくりしたのは、わが佐久総合病院の実質的ファウンダー、若月俊一名誉総長の若かりし頃の感染症との闘いが出てきたこと。感染症に伴う隔離は、一方で偏見、差別を招く。太平洋戦争が終わる頃、町外れの「避病舎」という掘っ立て小屋に隔離されていたジフテリアの子どもの容体が悪化し、夜中に病院に担ぎ込まれる。外科医の若月は、書物を頼りに喉の切開術を施す。症状は劇的に好転した。

 若月は、粗末な避病舎ではなく、病院の敷地に「伝染病棟」を併設し、患者を収容して治療しよう、と立ち上がる。ところが、地元からは疫病神を呼び込むようなものだと激しい反発が湧き起こる。

 一度は頓挫した。が、日本を間接統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令で伝染病棟の建設が可能となった。このあたりの記述は、若月の著書『村で病気とたたかう』(岩波書店、1971)を参考にして書かれているが、改めて感染症対策こそ戦後の医療政策の中心であったことを思い知らされた。久しぶりに元気な若月と再会したような、そんな感慨を抱いた。

●「新しい公共」を築けるか

 伝染病棟の完成から70年近く過ぎた。だが、感染者への差別はなくなっていない。長野県のある地域では、新型コロナの感染者が出た家に石が投げられ、ガラス窓が割られ、その一家はどこかへ引っ越していったという。2020年の今の話である。いくら情報化が進んでも人の心の闇は消えない。利権構造で医療がむしばまれるという、根底に横たわっているところも似ている。

 『ドキュメント感染症利権』の著者の山岡は、「七三一部隊」で医師を人体実験に向かわせた要因をこう記す。

 「医師が『ヒポクラステスの誓い(能力と判断のおよぶ限り患者の利益を考え、危害を加えたり、不正を行ったりは致しません)』の対極に立つかどうかは、戦時であれ平時であれ、紙一重だとわかる。七三一部隊の軍医や医学者の手を血に染めさせたものは、思いきって言えば『命令』と『探求競争』と『利得』であった」(同書125ページ)

 上司の指示、出世競争、組織の利害など、さまざまなものが蠢(うごめ)く。しかし、医療はそのような私的な欲望を超えた、人と人とが支え合う「公共」の領域に支えられている。ポストコロナ時代の新しい公共を築け、と本書は提起している。闇を描いて光を際立たせる筆法なのだろう。

 8月22日は若月忌。本書読了後、久方ぶりに『村で病気とたたかう』を再読した。

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2020年08月31日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
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