「教権」をめぐって

 韓国では5月15日は「先生の日」(스승의 날、「師匠の日」)で、先生に感謝する日です。日本にも「母の日」(「父の日」もあるようですが)、「こどもの日」「敬老の日」などがありますが、「先生の日」はありません。韓国ではそれだけ教師は社会的地位が高く、尊い職業と見られています。それは言葉にも現われていて、日本のように先生に声をかける時などでは、単に「〇〇先生」ではなく、「〇〇先生様」という意味になる「〇〇ソンセンニム」(〇〇선생님)と必ず言います。
 また韓国教育部による2023年度の小・中・高校生が希望する職業に関する調査(この調査は毎年度実施されています)では、いずれも「先生」が3位以上で、高校生では1位となっていました。小学生ではまだ〝なんとなく〟といった程度かもしれませんが、高校生ともなればかなり自覚的になっていると推測されます。

 ところが、これほど社会的に重んじられ、小・中・高生からの希望職業として上位にある教師なのですが、2023年9月に学校教育における〝教員の権利〟を保障するため、「小・中等教育法」「教育基本法」「教員地位法」などの改正案が国会で可決されました。
 この〝教員の権利〟(「教権」)とは、教育上、教師が児童・生徒に対して持つ権利・権威のことです。この「教権」が社会問題として大きくなった直接のきっかけは、2023年7月にソウル市内の小学校1年生の担任で、教師になって2年目の教諭が保護者からの度重なる苦情に悩んだ末に勤務校内で自殺するという事件が起きたことからでした。
 しかし、これ以前から生徒による担任教員への暴言、暴行や教師への高圧的な態度や小馬鹿にした言動など、その発生件数はかなりの数に上り、教育現場での正常な教育を阻害する事件が生徒側から起こされてきていました。
 こうした現状は、2023年4月に韓国の教師労働組合連盟が組合員(11,377人)を対象に「現在の教職生活に満足しているか」とのアンケート調査をした際に、「非常に満足している」との回答は1.2%に過ぎず、教員のほとんどが何らかの問題や悩みに直面していました。そして、この中には「教権」問題も含まれていたことは間違いないでしょう。
 また2024年7月17日の『KOREA WAVE』によれば、2024年上半期に保護者や生徒からの「教権」侵害に対する教師たちの苦情・相談件数がソウル教師労働組合に1,246件あり、昨年同期に比べて約20件増えたとのことでした。教師たちの苦情相談件数が2022年は1,095件、2023年は2,061件、そして2024年は上半期だけで1,246件となっていると伝えていました。

 このような事態になってきてしまった大きな要因は、2010年に「学生人権条例」が制定され、学校内での教師による体罰禁止、頭髪や服装おいて自分の個性を表現する権利があるとしてこれらに対する規制などが禁止されて以降の変化だと言われています。
 しかし、要因は他にも考えられるでしょう。何よりも少子化によって保護者が我が子への目配り度が高まり、それは我が子への将来への期待度とも比例して、学校での教育、教師の指導に対する関心度が高まったことがあります。韓国では、一流大学卒業、一流企業就職の実現を目指して子ども本人だけでなく、ひょっとすると子ども以上に保護者が我が子に誰よりも良い教育を受けさせようという強い思いと、それを実現させようとして、親同士の競争に身を投じていきます。我が子だけに目が向きがちになるのは、決して良いことではありませんが、客観的で公平な目を持つことを困難にさせてしまいがちになります。さらに付け加えれば、親たちの教育レベルの向上も無視できないように思います。決してあってはいけないことですが、自分と教師のレベルを比較して自分より劣っていると教師を見下しがちになることです。
 さらに言えば、少子化から我が子を大切に扱うあまり、甘やかして育ててわがままを許すことが当たり前になり、子どもの言葉だけを信用する傾向が強まってきていることもあるでしょう。小学校の女性教員の自殺理由が保護者からの苦情の繰り返しだったらしいことは保護者がいかに我が子のことだけしか考えていなかったのかを教えています。
 こうした教師と生徒(あるいは保護者)との関係がゆがめられ、教師が萎縮して毅然とした姿勢で教育ができなくなっていた一例を挙げれば、授業中に居眠りをしている生徒を起こすことができなくなったり、生徒同士のちょっとした喧嘩にも教師が間に立つこともできなくなっていたというのです。
 そのため「学生人権条例」は、授業を受ける側の権利だけが規定されていて、それに伴う責任と義務の明記が欠けているという指摘の声も大きくなってきていました。

 こうした状況から韓国政府は2023年7月に児童・生徒の人権を守ることが優先されすぎて、教師の正当な教育活動が妨げられ、学級崩壊が起きている。「学生人権条例」にある差別禁止条項によって、一人の生徒への褒め言葉が他の生徒への差別とみなされてしまう。生徒が私生活上の自由を強く主張するため、教師からの生活指導が難しくなり、教師への暴言、暴力が起きている等々の教育現場における問題点を指摘していました。
 その結果として、上述しましたように、2023年9月に学校教育における教員の権利を保障する改正案が成立しました。
 これらの改正では教員の「教権侵害」から生まれた教育現場での教員たちの萎縮感を取り払うことに力点が置かれているようです。たとえば、
 保護者に対しては、教職員等の人権を侵害する行為を禁止し、教員の児童・生徒の生活指導を尊重、支援すること、教員と学校の教育上の専門的な判断を尊重し、教育活動への積極的な協力を求めています。
 また教師に対しては、生徒への正当な生活指導を身体的、精神的虐待行為、あるいは放任行為とみなさないことが明記されています。さらに児童虐待という理由で、犯罪として教員が通報されても任命権者は正当な事由なく職位の解除処分を禁止しています。
 
 こうした法律の改正で教員の「教権」がある程度、復権されると思われますが、なぜ2010年に「学生人権条例」が生まれたのか、この点も再度、考えなければならないでしょう。一部でしょうが、行き過ぎた教育・生活指導から明らかに生徒虐待とみなせる行為を行う非常識な教員がいることも事実です。このように、一方に重点を置けば一方が軽んじられることになる事態は避けられません。
 教員と生徒・保護者の関係は人間の意識、行動が伴いますから、法律の条文によって機械的に判断できないことも多く出てきます。一人の生徒に対する生活指導が一方は「正当な生活指導」、一方は「生徒虐待」「差別指導」と捉えるような現状を変えるためには、法律や条例だけで解決するのは難しく、結局は相互の不信感を取り除く努力を重ねていかなければならないのでしょう。
 つくづく思うのですが、韓国では学校の成績があまりにも重く見られ過ぎています。また出身大学によって人生が決定づけられる社会になってしまっています。そのため、生まれた時から激しい競争社会に投げ出され、このプレッシャーに負けて精神的に病んでしまっている生徒も少なくありません。こうした生徒へのカウンセリングや治療への取り組みを充実させ、さらに保護者たちへの理解を求め、我が子の精神的、情緒的不安定状況から救い出すために協力してもらう必要もあるでしょう。

 日本から韓国を見る生活を長く続けている私からしますと、こうした「教権」騒動からは、
 子どもには家でも、学校でも人として生きる際の決まり事とそれに伴う善悪、さらに礼儀をきちんと教えることが一番大切なのではないだろうか。韓国ではかつては儒教道徳に基づいた他者との生き方が根付いていたはずなのに、我が子を大切に思うあまり、他者を軽んじ、自己中心的になっているのではないだろうか。学校の成績だけが重んじられ、社会的地位が得られればいいのだろうか。社会で生きていると自分の思い通りにならいことも多いけれど、自己中心的な言動は控え、相手を尊重して思いやり、自分一人では生きられないことを幼いときから教えていかなければならないのではないだろうか、といった、とても素朴な疑問が湧いてきます。
 そして、こうした私の疑問は教育界の問題だけでなく、韓国社会そのものが抱えていることではないかと思わずにいられません。

大妻女子大学教授

(2024.12.20)
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