■ 海外論潮短評(36)                 初岡昌一郎

-水不足が深刻化する世界-

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 イギリスだけでなく海外で広く読まれている、やや保守的だが、最も知的な英
文週刊誌『エコノミスト』5月22日号が、20ページにわたる「水」の特集を掲載
している。人間の生活にとって石油よりももっと不可欠で、多くのところで緊急
に必要とされている水が、もはや人為的に制御できなくなりつつあると警告する
特集の論点の幾つかを取り上げ、紹介する。

 筆者のジョン・グリモンドは、同誌のアフリカ特派員を務めた後、一貫して国
際報道畑を歩み、現在は同誌の外信部長として健筆を振るっている。ジャーナリ
ストらしく、メリハリの利いた表現で問題点を浮き彫りにしている。


■石油よりも深刻な水不足


  60年前、世界の人口は25億人で、水の供給を心配する人はほとんどいなかった。
旱魃と飢餓は歴史上常に存在したが、灌漑農業なしにほとんどの人が生活して
いた。地上の人口が今日約70億人となり、2050年には90億人に近づく。慢性的に
水不足の国に暮らす人は、21世紀初頭の8%(5億人)から、2050年には45%(4
0億人)に達する。既に、10億人が毎晩すき腹を抱えて寝ている。食糧を生産す
る水不足がその原因の一つである。

 温暖な気候の下に暮らす人は、農業にどれほど多くの水を要するかを認識して
いないかも知れない。イギリスでは農業が水供給総量の僅か3%を使っているだ
けだが、アメリカでは41%に昇り、そのほとんどが感慨に用いられている。農業
は中国で約70%、インドで90%近くの水を使っている。食生活の向上と多様化が
水の多消費を招く。ピーナッツ1キロは同量の大豆よりも約2倍、牛肉は鶏肉より
も約4倍の水を費消する。コップ1杯のオレンジジュースは、同量のお茶よりも4
倍の水を必要とする。世界中で約20億人が中産階級に入るので、人口が仮に増え
なくとも水の消費は増大する。
 
  22%の水を工業が、8%を家庭が利用している。この二つのカテゴリーをあわ
せて、20世紀後半に使用量が4倍となっている。この分野は農業よりも2倍もの
速度で利用量を増大しており、その趨勢は衰える気配がない。


■宿命的な限界供給量


  水需要に応える事は、他の商品とは異なっている。一つの理由は供給に限界が
ある。地球上の水の97%以上が海水である。塩辛くない水2.5%の約70%が凍
結している。地上の生物は、総量の0.75%の水にその生存を依存している。利用
可能な水のほとんどは地下水であり、残りか雨水、川や湖、貯水池などの水であ
る。雨や雪となって還流する水の60%以上は蒸発するので利用できない。

 地上の水は平等に配分されていない。9ヶ国が利用可能な水の60%を占有して
いる。中でも、水の供給が潤沢なのは、ブラジル、カナダ、コロンビア、コンゴ、
インドネシア、ロシアのみである。世界人口の3分の1以上を閉める中国とイン
ドは、あわせて10%以下の水を得ているにすぎない。国内でも格差が激しい。イ
ンド北部の雨量は西部砂漠地帯の110倍にのぼる。降雨はモンスーン期の6-9月に
集中し、渇水国で洪水が年中行事となっている。

 地上の水がダム、運河、貯水池など人工的に再配分されてきた結果、環境が大
きく変化し、湿地帯が激減し、生物の多様性が失われてきた。淡水魚種の5分の1
が過去100年間にほとんど絶滅した。地下水は過剰な汲み上げにより、大きく減
少しつつある。特に、アメリカ、インド、中国では減少が著しい。2000万人の人
口があるメキシコシティとその周辺では、70%以上の用水を地下水に頼っている
が、向う200年以内に枯渇すると見られているが、それよりも遥かに早く、遠か
らず危機が訪れるだろう。バンコック、ベノスアイレス、ジャカルタでも地下水
が同じく過剰に使われている。

 工業が先進国では60%、その他の国では10%の水を使っている。家庭用水はあ
まり差がなく、それぞれ11%と8%である。全体的に見ると農業が最大の利用者
である。


■決定的に不足する‘清潔な水’


  世界で12億以上の人が屋外で排便している。加えて、手洗いのない原始的な便
所しか利用できない人が8億人もいる。乳幼児死亡の最大原因は、排便に帰因す
る下痢などの病気である。約10億人が安全な上水や井戸水を入手できない。汚れ
た水と乏しい衛生が毎日5000人の子どもの命を奪っている。

 世界保健機構(WHO)によると、栄養失調は汚染された水と不衛生によるとこ
ろが大きい。問題は単なる水不足ではない。水の供給をただ増やすと、マラリヤ
蚊の発生や汚水による被害拡大につながりかねない。清潔な水は衛生の向上と不
可分である。この問題は人口が急上昇を続けているアフリカで特に深刻だ。アジ
スアベバやラゴスのような大都市では、人口の4分の1から半分が基礎的な衛生を
欠いている。水道水が24時間中利用出来る都市はインドに一つもない。デリーで
さえも水道管が老朽化しており、供給水の40%が利用者に届かない。

 前世紀末に国連が設定した“ミレニアム開発目標”では、最低の基礎的衛生と
清潔な水を2015年までに全ての人に確保する事であったが、進展は遅々としてお
り、達成はおぼつかない。


■危機を生む地下水過剰汲み上げ


  全ての活動の中で、水に最も飢えているのが農業である。灌漑用水の10%を節
約すれば、他の利用者が蒸発で無駄にする以上の量を節水できる。農業がカギを
握っているのは、全人類に食糧を供給しているだけではなく、世界貧困人口4分
の3にのぼる地方居住者にとって経済成長の主たる原動力だからである。亜サハ
ラ地域で既に目撃されているように、水のない農民は遊牧に帰るか、移民するか、
餓えるしかない。

 地上の水は農民の需要に応えるのに十分でない。アメリカでの水の利用は1985
年から2000年の間は安定していたが、地下水の汲み上げは14%増大した。これは
主として農業による。ヨーロッパでも中東でも同じ傾向が見られる。どの国より
も地下水を汲み上げているのがインドであり、世界全体の4分の1にあたる。イン
ドの地下水地下利用は1965年以後3倍以上となっているが、これは食糧需要の増
大によるものだけではなく、州政府が提供する公共サービスが嘆かわしい状態に
あり、私的な井戸水が比較的安価に利用できるからである。

 こうした井戸はインドに1,700万基、パキスタンに93万、バングラデシュに120
万ある。多くのところで電力が補助されており、ところによってはタダなので、
電力による地下水の汲み上げは水道水料金よりも安価である。井戸の普及は、イ
ンドの米と麦の半分以上を供給するパンジャブなどに繁栄と緑豊かな風景をもた
らしたが、目に見えない地下に問題を生んでいる。世銀によると、パンジャブ州
の75%、 グジャラート、ハリアナ、ラジャスタン、マハラシュトラ、タミール
ナドの各州の半分以上の地域で、過剰な汲み上げにより地下水のレベルが危機的
に低下している。

 地下水位の低下よって過剰な塩分や他の有害な物質が混じるようになり、被害
を既に生み出している。一部の村では毎年二毛作収穫後に地下水が約2メートル
低下し、フッ素化合物が体や歯に変調をもたらし、リューマチ痛や骨格の変形が
生じている。綿の生産地で特に癌が増加している。これは農薬の多用に自然的な
毒素が結合した結果と疑われている。

 用水溝が不備なところでは、旱魃だけではなく、過剰な灌漑がよく見られる。
これが作物の根を腐らし、生産性を20%以上低下させている。過剰な灌漑は水の
浪費だけではなく、蒸発による塩害を招いている。科学者たちは地下水の過剰な
汲み上げによる河川水系自体の変動を警告しているが、農民にとって当面する経
済的社会的影響は、収穫減、電力コストの上昇、借金増、失業による犯罪増加な
どである。農民がますますパートタイムの副業を求めるようになっている。


■ダムの功罪 ― 小規模プロジェクトが好成績


  水に関する難問解決上の障害は、経済的ではなく、政治的なものだ。解決のた
めと称して政治家が推進したがるのは、全て大規模プロジェクトである。効果的
であっても、小規模プロジェクトは派手好きな政治家の関心を惹かない

 小規模なダムは比較的安価に建設できる。小さな貯水池は村落の手で創り、保
守できる。雨水の利用は小規模でも効果をあげうるので、大規模な投資を要さな
い。水の効果的利用のためには利用者の創意工夫の余地が大きい。しかし、歴史
的にみても、水の制御は運河と水路の開削、揚水設備やダムの建設など常に大規
模工事に頼りがちである。

 例えば、かつては持て囃されたエジプトのアスワン・ハイダムは、今やドンキ
ホーテ的な事業だったとみなされている。水量豊かな大河ナイルもちょろちょろ
と海に注ぐ有様で、下流では水藻の爆発的繁茂、疫病の発生、灌漑路の荒廃・汚
染、海岸線の侵食などの問題が表面化している。だが、世界銀行によると、農地
の拡大、上水と電力の供給、観光客誘致などで、GDP2%のネット効果を上げてい
ると算定している。世銀は過去5年間に世界で200以上の大規模ダムに資金供給を
続けている。これは適切な技術的社会的環境的な基準に従って融資を行うという
世銀ルールよりも、政治家とゼネコンの力がはるかに強い事を物語っている。

 大規模ダムの効率に疑問が広がるのには根拠がある。例えば、インドの水力発
電の設備上容量は1991年から2005年の間に年間4.4%拡大したが、実際には発電
量は低下した。一部の計画は杜撰であったし、他の計画は過大な効果見積もりに
基づくものであった。89%の現有水力発電設備は容量を下回って稼働しているの
に、浪費的建設が継続されている。

 インドの主要河川を横断的に結ぶことで北部から南部に水を流すという、1200
億ドルの計画は進展していないが、死んではいない。中国も南水北流計画を持っ
ており、620億ドルの費用と25万人の移転の必要が見積もられている。スペイン
も830キロに及ぶエブロ川用水プロジェクトを温めていた。希望的観測はまだ残
っているが、政府は今や断念したようだ。

 ダムや用水路は建設後、絶えず修理や保守を必要とするが、その費用は必ずし
も当初計画に見積もられておらず、建設後そのままの状態で放置され、投資が無
駄になるケースがあとを絶たない。しかし、水力発電は技術的に既知のもので、
その効果は立証ずみであり、二酸化炭素や危険な廃棄物を排出しない。問題は環
境上、管理運用上のもので、小規模プロジェクトのほうがより大きな利点をもっ
ている。


■水戦争を回避できるか


  石油や土地をめぐる戦いと同じく、貴重な水資源を争奪する紛争は今や各地で
頻発している。中国では黄河水系の水不足が深刻となり、北京を取り巻く河北省
では水争いが社会的な大問題となっている。このために揚子江水系から取水する
ための南水北流大運河計画が進められているが、それは環境上の複雑な諸問題を
惹起する危険が警告されている。インドでは水不足の解決のために50以上の委員
会や審議会が設置されているものの、ほとんど成功は見られない。アメリカでも
水争いは激化しており、アリゾナでは州兵が暴力衝突を回避するために出動した
事さえある。

 すでに水戦争が激発しているのはアフリカとアラブ地域だ。イエーメンなどで
は井戸と泉水をめぐる紛争は部族間対立を激化させている。スーダンのダルフー
ル虐殺の背景には水争がある。イスラエルと周辺アラブ諸国の対立にはヨルダン
川の水利用をめぐる争いが深く絡んでいる。上流の65%以上の水をイスラエルが
取水するので、下流地域のアラブ系住民は地下水に依存を深めているが、水不足
は深刻で、農業は大打撃を受けている。トルコの東南アナトリア計画がチグリス
・ユーフラテス川上流に幾つかのダムを建設しているので、下流のイラクやシリ
アは懸念を強めている。

 旧ソ連の中央アジア諸国も幾つかの河川を共有しており、上流でのダム建設が
下流地域の住民の生活と農業を脅かしている。タジキスタンが野心的な電力用ダ
ム建設というソ連時代の計画を推進使用としていることが、紛争の種になりかね
ない。この電力用ダムは、同国だけではなく、アフガニスタンやパキスタンの需
要にも応える容量を持つとされている。ダム完成時の貯水に18年もかかるという
大規模なもので、下流のウズベキスタンは渇水状態となり、綿花農業は壊滅的な
打撃を受ける。

 国際的河川の流域は145ヶ国にまたがっており、水紛争は容易に国際化する。
コンゴ、ニジェール、ナイル、ライン、ザンベジの河川はそれぞれ9-11ヶ国
に共有されている。水不足により国際河川管理はますます複雑かつ困難になって
いる。特に、1960年のインド・パキスタン両国によるインダス河水利条約が
緊張をはらんでいる。この条約は、1965年、71年、99年の三次にわたる
印パ戦争をくぐって持続されてきたが、今や3つの理由で脅威にさらされている。

 第一は、インド領カシミールの上流での取水計画がパキスタンに流れ込む水を
減らす。第二は、パキスタンに流れ込む河川のあるカシミール西部にインドは既
に20以上の水力プロジェクトを持っているが、さらに10以上を計画している。
ダムによる貯水を禁じている条約に字句上違反するものではないが、それらは
水不足に悩むパキスタンをいたく刺激している。第三は、水不足の解消にパキス
タン側がダムを建設するために条約改正を意図していることである。

 ナイル河にも同じような問題が派生している。上流の青ナイルを持つエチオピ
アと白ナイルを持つスーダンが利水計画を進めると、他に流入水を持たないエジ
プトは干上がってしまう。ラインなどより成功している国際管理の実例もある。
しかし、エジプトのようにこれまで支配的に下流での利水に頼っていた国が既得
権に固執すれば、これから開発を進めようとする未利用国の納得は得られない。
公平な資源利用という観点で国際的な枠組みの確率が緊急な必要を帯びてきた。


■半分空となったグラス ― 求められる利用者の節度


  水問題の解決を不可能にしているのは、物理学、水地政学など理論的な壁では
ない。一部は文化的だが、主たる障害は政治にある。多くの小規模な解決法は衆
知のことであるが、解決には行動様式の改革とそれを実現するための政策を必要
としている。教育、政策策定、実行の全てに資金が必要である。河川の水量、地
下水量、貯水と降雨量などのデータを政府が秘匿せず、公表すべきである。水の
ための投資はほとんどの国で必要とされているが、よく理解されているとはいえ
ない。

 水とは直接関係ないように見える政策にも転換の必要なことがある。例えば、
貿易通商政策では、水不足国は水の使用量が高い産品を自給するのではなく、輸
入するように奨励されるべきだ。乾燥地ではバイオ燃料のためのサトウキビを耕
作すべきではない。個人的な習慣も変えるべきである。例えば、水の過消費につ
ながる肉食から豆腐を主蛋白源とするのが望ましい。農作物や農法も水資源節約
の観点で転換が必要だ。人々が水のコスト意識するためには、それを価格に反映
させなければならない。現在のところ水のコストは、消費者関連の流通と処理に
転嫁されている。

 アメリカでは水利権が売買されるようになったので、価格が急速に上昇してい
る。ほとんどの国では、水の価格がコストを無視して低く設定されているので、
節水にたいするインセンティブがない。気候変動により、水のコスト計算はます
ます複雑かつ困難となるだろう。降雨は多くのところでより変動的集中的となり、
乾燥地帯がもっと水不足となるだろう。全般的にみて、変動の不利益が利益を
上回ると見られている。

 海水の淡水化技術に革命的な革新が生まれない限り、需給関係改善の最大の希
望は利用者の節水に頼らざるを得ない。これはインドや中国の農民が既におこな
っているところである。消費者自らがこれを行なわなければ、行なうように強制
される日が遠からず訪れるだろう。


■■コメント


  多くの論文は、鋭く問題を提起するが、問題解決の方向は竜頭蛇尾に終わりが
ちである。本論もこの例に洩れない。しかし、問題を鋭く喚起する事は、解決の
突破口を見つけることにつながるので、その点で評価すべきであろう。水問題は
しばしば指摘されてきたが、グローバルな観点で論じたものはまだ少ない。

 水危機を新しいビジネスチャンスと捉え、“水商売”に乗り出す企業が続出し
ている。幾つかの日本企業はこの分野で優れた技術力を示しており、国際的に貢
献できる能力を持っている。しかしながら、現代における多くの他の主要課題と
同じく、その解決策は私企業や個人の能力を遥かに超えるもので、集団的国家的
さらにはグローバルな協力と共同作業なしには取り組めないスケールのものであ
る。

 歴史的に治山治水は統治者の基本的な課題であったが、今日の政治経済学者と
政治家がこの課題に正面から向き合っているとはどうも思えない。目先の景気と
か、消費拡大とか、政治家がそれほどコントロールできず、また政治の主要な課
題とは思えない争点に目を向けすぎているように見える。これは近視眼的なジャ
ーナリズムの傾向によって助長されている。

 環境上の危機が政治の貧困と人間の過剰な欲望から生まれ、迎合的な経済学に
よって支えられているように思えてならない。ある現代中国の人気作家は、その
作品で西安を「廃都」と名付けただけでなく、地球的には中国が「廃都」であり、
宇宙的には地球が「廃都」であると発言している。不気味な予言だ。

 国連が提唱する人間安全保障は、ほとんど武器以外の手段によって達成される
べきものである。水の保全や環境保護など、人間一人一人の安全を守るためによ
り効果的な国内政策と国際協力を進めるためには、防衛や国際援助の巨額支出に
無駄の排除というウだけでなく、その目的や政策効果に立ち入ってメスが入れら
れなければならない。

        (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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