【コラム】風と土のカルテ(98)

「生きづらさ」に向き合った教育改革者の3つの約束

色平 哲郎

 私は子どものころ「変わった子」「問題児」と周囲から見られていた。幼稚園の遠足の帰り、道端にしゃがみこんでアリの動きに見入って園児の列からはぐれてしまい、かなりの時間がたってから歩いて帰った。小学校の低学年のころ、校舎の屋外階段の1階と2階の踊り場から下に向けてオシッコをしてこっぴどく叱られた。水滴がどう落ちるか見たかったのだが、親は女性教師に呼び出され、「ほかの学校に行ったほうがいいんじゃないですか」と転校を勧められたと後から聞いた。とにかく1カ所にじっとしているのが苦手だった。

 厚生労働省の「知ることからはじめよう メンタルヘルス」というウェブサイトには「注意欠如・多動性障害(ADHD)」について「子どもの多動性-衝動性は、落ち着きがない、座っていても手足をもじもじする、席を離れる、おとなしく遊ぶことが難しい、しゃべりすぎる、順番を待つのが難しい、他人の会話やゲームに割り込む、などで認められます」と記してある。当てはまる。今なら発達障害と診断されていたことだろう。たまたま私は鈍感であって、少しばかり勉強ができたから「みんなと一緒」に学校教育を終えられたが、自分でも説明できない「つらさ」を抱えた子どもは少なくない。

 今年3月に亡くなった宮澤保夫さん(星槎グループ創設者)は、発達障害や不登校、引きこもりなどの言葉がなかったころから、そうした子どもに教育基本法の枠にとらわれない、「いつでもどこでも学べる」教育環境を提供してきた。十数年前、初めてお会いしたとき、星槎グループの理念である「3つの約束」を教えられ、これだ、と感激した。

 その約束とは、「人を排除しない」「人を認める」「仲間をつくる」だ。

「すき間産業的な」発想で学校を開設

 宮澤さんは、1972年に横浜市に塾「鶴ヶ峰セミナー」(通称ツルセミ)を開いて子どもと関わるようになった。
 ツルセミは、丁寧な個人指導と、塾なのに運動会やキャンプなどを催して人気を博し、急成長した。

 ところが、塾生が有名な高校に進学する陰で、「なぜだろう」と首を傾げる事態が生じる。
 性格は明るく、勉強も時間をかけて誰かがサポートすれば問題のない少年少女が、なかなか高校に入れないのだ。
 今でいう学習障害などと診断される特性を彼らは持っていた。
 本人も家族も高校への進学を望んでいるのに、入れる学校がない。
 そこから宮澤さんの「ひとり教育改革」が始まった。

 『AERA』(朝日新聞出版)の連載「現代の肖像」に、宮澤さんの規制突破ぶりが紹介されている(2020年6月1日号、文・山岡淳一郎)。

 宮澤は教育関連法規を穴が開くほど読み、学校教育法で定めた「技能連携校」に目をつける。
 東京電力や日産自動車、日立製作所といった大企業は、「金の卵」と呼ばれた中卒従業員のために企業内に技能連携校を持ち、通信制高校と連携していた。
 そこで専門科目の実習をしながら通信制で普通科目を学べば、高校卒業の資格が得られる。
 この技能連携校を企業内ではなく街なかにつくろうと宮澤は思い立つ。
 法律の条文のどこにも企業内に設置せよ、とは書いていない。だったら「外」に技能連携校を設けて、高校に進学できない子どもを集め、通信制高校と組めばいい。
 これが「すき間産業的な」発想である。

宮澤さんは、文部科学省の官僚を説き伏せ、宮澤学園高等部(現・星槎学園)を開校する。
 そこから広域通信制高校を新設し、「分校」扱いの学習センターを全国各地に置いて、全日制同様に「通える」環境を整えた。
 星槎大学では、生きづらさを抱えた子どもと向き合う教師や公務員が学び直しをしている。
 メンタルヘルスは医療だけでは対応しきれない。
 人と人が関わる場、環境こそが重要だ。

「(宮澤)やっちゃん会長」は、人生をかけて、このことを実証した。合掌。

 (長野県佐久総合病院医師、『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2022年6月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202206/575693.html

(2022.7.20)
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