【コラム】酔生夢死

「白紙デモ」からみえるもの

岡田 充

 習氏3期目は「いばらの道」
 中国政府が都市封鎖やPCR検査の徹底など「ゼロコロナ政策」を大幅緩和し、若者を中心とする「反体制デモ」を抑え込んだ。首都北京などで11月末、言論抑圧への抗議の意思を表す「白紙」を掲げた若者から「習近平辞任」や共産党に反対する声が上がった。
 習氏は10月の党大会でも「ゼロコロナ政策」の正しさを強調していたから、これほど素早く規制緩和に舵を切るとは驚きだった。第3期目をスタートさせたばかりの習指導部が、「反ゼロコロナ」デモが反体制運動に発展しないよう、芽を摘んだ形だ。
 「デモ支持」を表明していた欧米や日本メディアの一部には、香港の抗議活動や天安門事件の再来を期待する向きもあったから、さぞかし拍子抜けしたのではないか。一人当たりのGDP(国内総生産)が1万ドル(2019年)を超え、中産階級が育ち始めた中国で、AI技術を駆使した監視社会や統制強化に反対する声が爆発しないのはなぜか。
 多くの中国民衆がそれを受け入れてきた理由として、梶谷懐・神戸大学教授は共著『幸福な監視国家・中国』で、豊かさや利便性と監視のバーター取引だからではないかと分析した。ゼロコロナ政策は、この両者の微妙なバランス(均衡)を崩し、若者の失業率を増大させ、「豊かさ」と「利便」を享受できなくなる状況に追い込んだ。それが今回のデモにつながった。
 14億の巨大国家には、習一強支配に反対する声があるのは事実だ。しかしそれが一党独裁の転覆を目指す反体制運動に発展する条件はあるだろうか。第1に、中国民衆の多くは、先鋭化する米中対立の中で、バイデン政権が「民主vs専制」という価値感対立から中国包囲網を敷いているのを知っている。「民主」の旗を掲げるのは、欧米側を利することになるから、要求を「民主」に収斂させにくい。
 第2は人々の意識変化。それなりに豊かになった生活と社会は、貧しく「失うものはない」30年前とは異なる。豊かさを実現した共産党支配の全面否定にはつながらない。
 第3は、天安門事件当時は胡耀邦、趙紫陽両氏ら政治の民主化に積極的で、デモの若者に同情的なグループが党中枢に存在した。民主化実現のリアリティがあったが、現在の指導部には、政治の民主化を推進する勢力は存在せず、民主化実現のリアリティはない。習体制や共産党に挑戦する勢力も党内外に存在しない。
 習氏は党大会で「より良い生活を求める民衆の要求」に応える新政策として、分配重視の「共同富裕」政策を打ち出した。しかしそれを実現するのは簡単ではない。ゼロコロナ政策による成長鈍化に加え、少子高齢化や米国の経済デカップリング政策など成長制約要因は事欠かない。「白紙デモ」は、スタートしたばかりの習体制がいばらの道であることを象徴している。(了)

画像の説明

11月27日夜、北京市の亮馬河周辺で、
白紙を掲げ集まる若者

(2022.12.20)
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