終戦記念日近し ――昔日の恐怖政治許すなーー           

                                                     若林  英二

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 夏がきた。
 草野球場も甲子園も歓声とドヨメキ。
 海辺には真っ赤な太陽が白砂を焦がし、入道雲がわき上がる。田舎の街には盆
踊りのヤグラが立ち、おはやしの習いの太鼓が青田をわたる。
 夏に憩い、夏に働く者すべてが喜びに満ちあふれているのに、われら戦前派だ
けが沈みがちなのはあながち年のせいばかりではない。
 あのショッキングな八月十五日が近づくので眠りが浅くなる。耳に残るのは軍
歌のメロディー、軍靴のひびき。
 昭和十二(1937)年の北京における銃声は一挙に中国全土をおおう大戦争
に発展し、六十余年たった今でも、日本国民はその清算に苦しんでいる。
 当時、われわれは文民統制とかシビリアンコントロールとか、軍部を制御する
方法を知らなかった。
 「軍人は忠節をつくすを本分とすべし」とは、軍人勅諭の一節だが、軍人だけ
は天皇の命令を守ると思っていたが、実は軍人が一番守らなかったのを戦後知ら
され愕然とした。
 一方米国では、朝鮮戦争の折り、鴨緑江を越えて中国軍を追い払う作戦の承認
を求めたマッカーサー連合国軍司令官を、即座に解任した。米国大統領の決断と、
文民統制の鮮やかさを知って仰天したものである。
 北京における日中両軍の小競り合いに対し、政府や軍首脳は不拡大の方針で臨
んでいたのだが、現地部隊の将校らの強硬意見に押されて、上海近くには新たに
百万の大軍を上陸させ、ついに南京に向かうことになった。
 大本営が、それらの作戦を追認したのは昭和十二年十二月一日のことである
(笠原十九司氏著『南京事件』より)。つまり首相や天皇より青年将校の方が権
力者であった。
 昨今、陸上自衛隊情報保全隊による調査内容が報道され、国民の思想行動まで
調査されていることが判明した。
 戦争を放棄し、自由で平和で美しい日本と思っていたが、再び、軍隊が国民を
監視した昔日の恐怖政治に戻るのだろうか。
 このことは防衛大臣の失言の比ではない。
 この保全隊の行動に対し、大臣自身が、任務の範囲内とかいって容認し、政党
も鋭い反応を示していない。
 過去の戦争に学ぶものは多いが、文民統制こそその最たるものである。大河の
堤防もアリの一穴からとのたとえもある。
 ゆめ、自衛隊が国民を監視するがごとき憲兵政治の復活を思わせる行動を許し
てはならぬ。
 弁護弁解する者はいう。隊員や遺家族を危険にさらさぬため国民の行動を調査
する、と。
 イラク派兵や核兵器、九条廃止反対を叫ぶ者は最も心優しい国民であって、派
遣隊員や家族に危害を加える心配などご無用と言いたい。
       (元栃木・国分寺町長・84歳)

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