【自由へのひろば】

「縦書き」と「横書き」

吉村 弘


 紀元前17~11世紀、中国最初の王朝である殿(商)時代の甲骨文字に「聿」や「册」も存在することから、古代中国では既に筆で木簡に文書記録が行われていたと推測される。高い身分の役人が皇帝の命令などを、筆で墨を使って長さ約25cmの木簡に記録した。木簡は「縦書き」で、文字で一杯になると、助手がその木簡を役人の右側に置き、新しい木簡を役人の前に置く、右側に置かれた木簡は、順番に並べて次々と紐で綴り、巻物にしていった。この慣例から、漢字の文書は「右からの縦書き」になったといわれている。

 100年、後漢の許慎によって出版された最古の部首別漢字辞典「説文(せつもん)解字」には、見出し字9,353字と重文1,163字が収載されている。1716年、張玉書と陳廷敬らによって出版された「康熙(こうき)字典」には、49,030字が収載されている。1994年、「説文解字」以降の歴代字書の集大成として、中国書局・中国友誼出版公司から出版された世界最大の「中華字海」には、85,568字が収載されている。表形文字である漢字は、後漢から現代に至る約二千年の間に、9,353字から85,568字へと増加し、今後も増加する可能性がある。

 漢字は、数千年前から中国に存在したが、読み書きできるのは、高い身分の役人や学識者などごく一部の人に限られ、多くの人びとは、中国語をしゃべることはできても漢字の読み書きはできないという状態であった。電報の発信・受信に際しても、直接漢字を送信することは不可能なので、漢字それぞれに番号をつけ、数字で送信、受信した数字を再び漢字に戻すという極めて繁雑な作業をしていた。コンピューターに関しても、表形文字である漢字のみを使用する中国語は、表音文字を使用する英語や日本語に比べて、遥かに複雑である。18世紀の産業革命からも取り残された中国は、大きな力を持ちながらそれを十分発揮できないでいる「眠れる獅子」に例えられた。

 中華人民共和国が建設された3年後の1952年、「中国文字改革研究委員会」が設立され、次いで1956年、「漢字簡化方案」が公布され、従来の漢字を簡略化した表音文字「簡体字」が制定され、同時にすべての文書は「右からの縦書き」から「左からの横書き」に変更された。例えば、簡体字で「漢字」は「汉字」となった。人民解放軍向けの毛主席語録は、当初は「右からの縦書き」であったが、文化大草命が始まった1966年に出版されたものは「左からの横書き」である。

 日本へ仏教が伝来したのは、「日本書記」では、552(欽明天皇13)年、百済の聖明王(聖王)が使いを遣わして仏像や経典などを伝えたと記録されている。一方、「元興寺縁起」ゃ「上宮聖徳法王帝説」によれば、公伝の年次を538(宣化天皇3)年としている。「日本書記」の仏教関連の記事には潤色が多く、史料的価値は低いと考えられ、538年説をとる見が一般的である。当時、日本語を表記する固有の文字はなく、この経典に使用された漢字が、日本人が初めてお目にかかった文字である。ちなみに百済に仏教が伝来したのは384年で、日本よりも百数十年も早い仏教先進国であった。

 奈良時代になって、太安万侶(?-723)は、稗田阿礼が請する神代から推古天皇時代までの帝紀や旧辞を筆録して、日本最古の歴史書「古事記」を論纂し、712(和銅5)年、元明天皇(661-721)に献上した。原本は現存せず、写本が遺っているが、漢字が使用され「右からの縦書き」である。「日本書記」は、舎人親王(676-735)らの撰で、全三十巻、漢字が使用され「右からの縦書き」、720(養老4)年に完成した。当時、わが国でも、読み書きできるのは高い身分の役人や学識者に限られ、このままで行くと、多くの人びとは日本語をしゃべることはできても読み書きはできない、という中国同様の経緯をたどり「眠れる鼠」に例えられたかもしれない。

 奈良時代の終わりころ、大伴家持(718-785)らは、和歌四千五百余首を二十巻にまとめ、日本最古の和歌集「万葉集」を編纂した。家持は、表形文字である漢字の意味とは関係なく音訓だけを借用する、いわゆる万葉仮名(表音文字)を使用して、多くの長歌や短歌を遺している。「右からの縦書き」である。万葉仮名は、漢字を使用してはいるが、日本人が創作した最初の文字であるということができる。

 「都流藝多知(剣太万) 伊与餘(いよよ) 万具
  倍之(研ぐべし) 伊尓之敝由(いにしえゆ)
  佐夜気久(さやけく) 於比弓(負ひて) 伎尓
  之(来にし) 曽乃名曽(その名そ )」

 高野山延暦寺の開祖弘法太師空海(774-835)は、若い修行僧たちが経典の漢字を読み書きできるようにと、万葉仮名の字形を崩し、画数を省略進化させて、表音文字である「仮名」を創作したと伝承されている。「古今和歌集」は、紀貫之(868-945)らによって、万葉集に撰ばれなかった古い時代から選者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、905(延喜5)年、醍醐天皇(885-930)に献上された。二十巻すべて平仮名が使用されている。「右からの縦書き」である。

 太平洋戦争敗戦後の1946(昭和21)年、国語審議会は古い因習を廃絶し、いずれ漢字を廃して表音文字に移行するという壮大な構想のもと、当用漢字1,850字を答申し、告知した。ついで1981(昭和56)年、日常生活において現代日本語を表す場合に使用する目安として常用漢字が選定され、2010(平成22)年の改訂を経て、2,136字の常用漢字が告知された。常用漢字が告知されたのに伴い、当用漢字は廃止された。小学国語で学ぶ漢字1,006 字を見ると、「横」15画、「漢」13画、「運」12画、「荷」10画、「幸」8画、「近」6画など、「よこぼう」や「しんにゅう」が多用され、これらは「左からの横書き」である。漢字は、「右からの縦書き」より「左からの横書き」が、より読み易く書き易いと思う。

 19世紀になって、メソポタミア周辺で、紀元前3500年頃、情報伝達のために葦の茎で楔形文字が書かれた多数の粘土板が発見された。その内容は、農作業や牧畜に関するものや法令などで、重要な文書は火で焼き固めて保存性を高めている。これらの文字は、シュメール語・アッカド語・ヒッタイト語・エラム語などで、「左からの横書き」である。また、1948年、死海周辺で発見された「死海文書」は、ユダヤ教最古の聖書で、紀元前4世紀までにヘプライ語で書かれたもので、「左からの横書き」である。

 ギリシャ語は、紀元前3千年紀の後半にはバルカン半島で使用されており、インド・ヨーロッパ諸族の中で最も古くから記録されている言語で、人類史上最大の影響力を持った文明言語の一つとして尊敬されてきた。英語をはじめとする欧米諸言語に多数取り入れられ、英語の12%はギリシャ語由来であると言われている。

 mathematics(数学)、astronomy(天文学)、democrasy(民主主義)、philosophy(哲学)、physics(物理学)、photography(写真)、theater(劇場)、cinema(映画)、athletics(陸上競技)、alphabet(alpha+beta)など、ギリシャ語由来である。アルファベットは表音文字で24字、「左からの横書き」である。

 ラテン語は、イタリア半島中部のラティウム地方で古くから使われていた言語であったが、ローマ帝国(前27-1453)の公用語となったことにより、ヨーロッパ大陸の西部や南部、アフリカ大陸北部、アジアの一部といった広大な地域に伝播し、この過程で、ギリシャ語から多くの語棄を取り入れ、学問や思想、などの活動にも使用されるようになった。ローマ帝国滅亡後も、ローマ・カトリック教会はラテン語を公用語として使用し、現在でもバチカン市国の公用語はラテン語である。中世になっても、公式文書や学術関係の多くはラテン語で記録され、この習慣は現在でも残っている。生物の学名や元素の名前、医学における解剖学用語や病名などは、基本的にラテン語である。

 ad lib(即興)、alibi(アリバイ)、et cetra(その他)、ego(自我)、facsimili(ファクシミリ)、virus(ヴイルス)、arteria(動脈)、nervus(神経)、gastritis(胃炎)、missile(ミサイル)、in situ(本来の場所で)、in vitro(試験管内で)、in vivo(生体内で)、quaestio(?)などは、ギリシャ語由来である。アルファベットは、キケロ時代(前106-43)までは21字であったが、紀元の初め頃、ギリシャ語のYとZが加えられ23字となった。表音文字で「左からの横書き」である。

 英語や独語、仏語などのアアルファベットは表音文字で26字、全て「左からの横書き」である。
 一方、アラビア語のアルファベットは、表音文字で28字、「右からの横書き」で、独立形や語末形、語中形、語頭形などあり、極めて複雑かつ難解である。数字は「左からの横書き」するらしい。アラビア語のアルファベットを「右からの横書き」するのは、非常に難しい。

 日本語の「片仮名」と「平仮名」は、表音文字で48字である。
 小学校に入学して最初の国語の授業は、昭和生まれ以降の私たちは、母音と子音を順序よく組み合わせた「アイウエオ カキクケコ…」と「右からの縦書き」で開始されたが、大正生まれ以前の先輩たちは、「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす ん」と「右からの縦書き」で開始された。

 「色は匂えと 散りぬるを 我か世誰そ
  常ならむ 有意の奥山 今日越えて
  浅き夢見し 酔ひもせす」

 「ん」を除いた仮名47文字すべてを、l回だけ使用した驚くべき内容のこの詩は、空海の作とも言われている。外国にも、このように英語や独語などのアルファベット26文字すべてを1回だけ使用した詩が存在するだろうか?

 「縦書き」と「横書き」を比較する
1.「右からの縦書き」は、直前に書いた文字の墨やインクが汚れ易い。
2.「右からの横書き」は、直前に書いた文字の墨やインクが汚れ易い。外国語やアラビア数字12345…と併用しにくい。
3.「左からの横書き」は、直前に書いた文字が見える。直前に書いた文字の墨やインクが汚れない。外国語やアラビア数字12345… と併用し易い。
4. 「左からの縦書き」は、直前に書いた文字の墨やインクが汚れない。「右からの縦書き」より書き易いと思うが、この書き方をした言語を知らない。

画像の説明
  縦書き 1

5.漢字とアルファベットや仮名を比較する。
 〈漢字〉              〈アルファベットや仮名〉
  表形文字              表音文字
  85,568字              23-48字
  複雑で分かりにくい         簡単で分かり易い
  文化芸術的             社会科学的
  暖昧である             正確である
  すべて読み書きすることは困難    読み易く書き易い

 最後に、眼球運動について解剖学的に考察する。
 脳神経のなかの動眼神経(III) および滑車神経(IV)と外転神経(V)は、それぞれ共同して眼球運動を司っている。眼球には、
  内外直筋 media land laterral recti muscle、
  上下直筋 superior and inferior recti muccie、
  上下斜筋 superior and inferior oblique muscle、
計6個の外眼筋があり、これらの筋が眼球を動かしている。さらに左右の眼球は、個々に動くのではなく、共同して動くため、核上性の機能も重要である。

a)動眼神経(III)に支配される眼験挙筋は、上眼験を挙上する。眼球の左右水平方向の運動を行う。
b)動眼神経(III)に支配される内直筋
c)動眼神経(III)に支配される上直筋と下直筋は、眼球の上下垂直方向の運動を行う。
d)滑車神経(IV)に支配される上斜筋は、眼球の上の部分を鼻側に、また動眼神経(III)に支配される下斜筋は、眼球の下の部分を鼻側に向かうように眼球を回転させる。

 上記外眼諸筋の総合的作用を分かりやすくまとめると、図のようになる。さらに瞼裂は、横に長い紡錘形であり、眼球運動は上下垂直方向よりも、左右水平方向がより容易であると思う。ものを見る場合、頚椎の運動を伴うが、上下垂直方向の運動よりも、左右水平方向の運動がより容易であると思う。

画像の説明
  縦書き 2

 日本語は、「漢字仮名混じり」で「縦書き」も「横書き」もあり、小説など文化芸術的なものは「右からの縦書き」、数学や医学など科学的なものは「左からの横書き」と、使い分けている。書簡は、「右からの縦書き」と「左からの横書き」が混在しているが、高齢者は前者で、若者は後者が多いかと思う。

 書道の起源は中国で、2009年ユネスコ文化遺産に登録された。唐の太宗に仕え右軍将軍にまで出世した王義之(303-361)は、書の芸術性を確立したとして、現代でも書聖として尊崇されている。硯や筆、紙、墨が最低必要な用具で、高机に向かって立ったままで書くのが慣習となっている。わが国では、空海が菅原道真や小野道風と共に三聖の称号で呼ばれている。漢字をいろいろな書体、楕書や行書、草書、隷書で表現した漢字部、日本独自の文字である仮名を美しく作品化した仮名部、限られた方すの空間に古典的な文字を刻した篆刻部があり、「縦書き」も「横書き」もあり、正座して書くのが慣習となっている。欧米にも、古代ギリシャ発祥で、独特の美しい筆記体で、アルファベットを表現する“Calligrapy”があり、クリスマスやグリーティグカードなどによく使用される。

 日本の統計2016によると、年間の書籍出版点数はおよそ8万点前後で、社会科学系は1万5,000点、文化芸術系は1万2,000点となっている。社会科学系は「左からの横書き」、文化芸術系は「右からの縦書き」である。私の書棚を調べると、8割は「左からの横書き」であった。現在、テレビやスマートフォンの画面は「左からの横書き」で、新聞や週刊誌は、未だに「右からの縦書き」を守っている。役所の公文書は、戸籍謄本など一部を除き、「左からの横書き」に変わった。

 千数百年前、先輩たちは、複雑で芸術的で分かりにくい表形文字「漢字」を、中国から百済経由で輸入し、簡単で科学的で分かり易い表音文字「仮名」を創り、さらに永い歳月をかけて、多くの人びとが読み書きできる「漢字仮名混じり」で「縦書き」も「横書き」もありという、世界に比類のない優れた言語へと創り育ててきた。このすばらしい遺産に感謝し引き継ぐと同時に、今後どのように進化させて行くのか、私たちには大きな責務がある。

 (九大医学部卒・脳外科医師・90歳)

※この原稿は著者の許諾を得て『北九州市医報』(平成29年12月)第725号(3)から転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
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 吉村弘氏が『北九州市医報・平成29年12月号』に書かれた、この「『縦書き』と『横書き』」の原稿は、知っているようで知らない、知りたいけれど面倒、といったテーマに、丹念に答えてくれています。
 せっかくの役立つ話題ですので、寄稿していただきました。先生は門司港で医院をお持ちでしたが、90歳の今も下関に病院で患者さんたちを診療されておいでです。九州大学医学部卒、脳外科。 <オルタ編集委員 羽原清雅>

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