【海峡両岸論】

「脅威にならない」の日中合意を

~安倍対中外交の意外な「突破力」
岡田 充

死去を報じる新聞号外

 安倍晋三元首相が7月8日銃撃され死去した(写真 死去を報じる新聞号外)
 首相退任後は「台湾有事は日本有事」など「親台湾」の本音を公言してきたが、首相在任中には二度にわたり日中関係を改善へ導き、意外な「突破力」を発揮した。右派だからこそ出来た側面があるが、間もなく国交正常化50周年を迎える日中両国が、彼の提起した「お互い協調し脅威とならない」では合意できるはずだ。岸田政権は、台湾有事を煽り日米同盟強化と大軍拡ばかりに血道を上げず、安倍対中外交から学び、台湾有事を起こさせない外交力を発揮してはどうか。

「有益な貢献」と習弔意
 安倍死去の翌9日、中国の習近平国家主席は、「(安倍氏が)中日関係の改善を進めるために努力し、有益な貢献をした」と、死去を悼む弔電注1を送った。中国メディアは最近、年内にも台湾訪問が伝えられた同氏への批判を強めてきたから、弔電の真意を疑う向きがあるかもしれない。
 だが2期8年8か月の在任中、日中関係改善に果たした事績を振り返れば、日中関係に「有益な貢献」という評価は本音だろう。特に安倍政権を引き継いだ菅義偉、岸田文雄両政権は、習訪日延期を決めて以後は、日本側から関係改善に向けた主体的アプローチはみえず、関係悪化の一途をたどってきた。
 岸田・習オンライン首脳会談はわずか1回だけ。王毅外相は20年11月に来日し外相訪中を招請したが、林芳正外相の訪中すら自民党右派の反対で実現できないあり様だ。

台湾問題で「一線越えるな」と注文
 習近平政権は、今秋の第20回党大会を控え「主要矛盾」の対米関係を有利に展開するため、対日批判を抑制している。しかし岸田首相が、外相時代の2016年1月、台湾総統に当選した民主進歩党の蔡英文氏に「日台間の協力と交流のさらなる深化を図っていく」と、日台断交後、日本外相として初めて祝賀談話を発表したことを忘れてはいない。
 王毅外相が岸田政権誕生直後の21年10月、「東京―北京フォーラム」へのビデオメッセージで、岸田に対し台湾問題で「一線を越えるな」と、注文をつけたのもその表れと言っていい。岸田政権が日台交流協会の台北事務所に、防衛省の現役職員を派遣する方針と報じられると、中国国防省は厳しい反応を示した。党大会後、日中関係が炎上に向けて「沸点」に達する恐れすら否定できない。
 岸田政権の対中政策に対する政界と世論の反応を見ると、対中抑止・包囲政策への反対論はほとんど聞こえてこない。「翼賛体制」が岸田政権の「反中」政策に弾みをつけ、支持率は上がる一方だからである。

靖国で悪化した関係を修復
 そこで安倍対中外交を振り返ろう。第1期安倍政権が誕生したのは2006年9月。当時、小泉純一郎首相による靖国神社参拝で日中関係は悪化し、首脳対話は2005年4月以来途絶えていた。安倍氏は就任翌月の10月8日に電撃訪中、温家宝首相、胡錦涛国家主席と会談し、胡、温訪日を招請して、関係修復の第一歩を踏み出した。
 戦後歴代首相のうち、中国を初外遊先に選んだのはこれが初めてだった。これを機に日中間の首脳相互訪問が再開され、正常化の軌道に乗った。後継の福田康夫政権時代の2008年5月の胡錦涛訪日では、両国は「戦略的互恵関係」をうたう「第4コミュニケ」に調印、6月には東シナ海ガス田共同開発協定の調印にこぎつけた。いずれも安倍訪中による関係改善のステップが結実したのだった。
 電撃訪中は当時外務次官だった谷内正太郎氏が、対中戦略対話のパートナーだった戴秉国・国務委員と呼吸を合わせた外交成果でもあった。

尖閣を「4項目合意」で処理

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 次いで第2期安倍政権(2012年12月~2020年8月)。政権誕生の2012年12月は、尖閣諸島(中国名 釣魚島)3島「国有化」によって、日中関係が国交正常化以来最悪の状態に陥った直後。対中関係改善は第1期に続き、またも政権の一大外交課題になった。
 特筆すべき安倍対中外交は次の三点に要約できる。
 第1は、2014年11月に訪中し、習氏と2年半ぶりに日中首脳会談を行った際の合意。(写真 安倍と“仏頂面”で握手する習)、尖閣問題について、両国が「見解の相違を認め、対話と協議を通じて不測の事態を避ける」とする「4項目合意」で一致した。中国側は、日本政府が尖閣をめぐる係争の存在を初めて認めたと、成果を誇った。
 一方、日本側は「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域において近年、緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し」と書いたのであり、この記述は「尖閣領有問題と直接関係はない」と、異なる見解を示した。典型的な「玉虫色」合意である。
 この合意も、第2期安倍政権で「国家安全保障局長」に就任した谷内氏が事前に「4項目合意」を取りまとめ訪中につなげた。この訪中をめぐっては、福田康夫元首相注2が同年7月極秘訪中して習主席と会い「お膳立て」役を果たしたことも付け加えておく。福田は数少ない政界の日中間パイプである。

「一帯一路」で妥協
 第2に、2017年5月北京で開かれた「一帯一路」国際フォーラムに、二階俊博・自民党幹事長と今井尚哉・政務秘書官を派遣。両氏は習氏と面会した際、「一帯一路」への条件付き協力姿勢を初表明し、首脳相互訪問を求める「安倍親書」を手渡した。
 習氏は、「ハイレベル交流再開と関係改善に努力すると回答し、翌年の安倍訪中と首脳交流再開につながった。関係改善につながる「決定打」が、「一帯一路」への協力姿勢にあったのは明らかであろう。当時、安倍外交のブレーンは、谷内氏から経済産業省出身の今井氏に替わり、「安倍親書」の一帯一路への前向き姿勢は、今井氏が「勝手に{書き換えた}とされる。
 第3は、7年半ぶりの中国公式訪問になった18年10月の首脳会談。安倍は「新たな時代」の関係構築に向けて①競争から協調へ②互いに脅威とはならない③自由で公正な貿易体制を発展―の「3原則」を提起した。
 安倍側はこの3原則を「中国首脳と確認した」と記者会見で説明したが、日本政府内や中国側から疑義が出たため、日中の主要メディアで「3項目合意」と書いた報道は皆無だった。では、習氏はどう発言したのか。やり取りを報じた新華社電(10月26日)は、習氏が「『お互いに協力パートナーとなり、脅威とならない』という政治コンセンサスを確実に貫徹実行」「多国間主義を守り、自由貿易を堅持し、開放型世界経済の建設を推進する」と述べた、と報じている。
 習氏は「互いにパートナーになる」と「脅威とならない」を「政治コンセンサス」と強調したのである。ただ③については、安倍氏が「自由で公正な貿易の推進」と、中国に注文をつける表現をしたのに対し、習氏は「多国間主義を守り、自由貿易を堅持」と、対米批判を意識した表現で応じ、見解の相違がうかがえ合意できなかった。

「脅威にならない」は政治コンセンサス
 第2期安倍外交は、2019年大阪で開かれたG20での日中首脳会談で、日本の国賓訪問招請を習氏が原則的に受け入れ、首脳往来の回復が結実するかに見えた。しかし前述のように、2020年春のコロナ感染拡大で、習訪日は棚上げされたまま今日に至っている。安倍対中外交は、未完のまま、後継政権にバトンタッチされた。
 孔鉉佑・駐日大使はことし2022年5月29日、大使館ホームページ に中国メディアのインタビュー記事注3を掲載、「日本が中国を理性的かつ客観的に見つめ、『互いに協力パートナーであり、脅威とならない』という政治的コンセンサスを政策に反映させ、行動で体現することを希望する」と述べた。中国側が「安倍3原則」の①と②を「政治コンセンサス」として、重視している表れだ。
 特に、日本で「中国脅威論」が翼賛世論化した現在、「脅威とはならない」は、日中平和友好条約がうたう「紛争の平和的解決を図り、武力の行使や威嚇に訴えない」を、双方がいま改めて誓約する、「現在的意味」があるだろう。不信感が高まる日中間の貴重な「合意点」として、強調してもし過ぎることはない。
 第2期安倍政権は14年、従来は憲法違反としていた集団的自衛権の行使を、憲法解釈によって容認した。翌15年、台湾有事をにらんだ安保関連法制を、過半数の世論の反対を押し切り強行成立させた。さらに16年には、中国包囲を狙う「インド太平洋戦略」を発表し、日米同盟強化を進めた。対中外交の展開は、中国を敵視したままでは日本の将来像を描けないことを懸念する経済界の要請と、安倍側近の官僚らによるバランス外交でもあった。

アジアで低下する評価
 日中関係を改善できた安倍政権と、菅・岸田政権とでは、日本と中国の力関係に大きな変化があることを指摘しなければならない。世界とアジアで求心力を低下させる米国は、橋頭保構築の役割を、同じアジアの日本に頼った。では、アジア諸国の多くが中国の「抑止」や「排除」「包囲」に消極的な理由は何か。
 日本外務省は5月25日、2021年度の海外対日世論調査注4の結果を発表。ASEAN各国の人々が考える「今後重要なパートナー国」として、「中国」が48%と最多で、2位の日本(43%)を上回った。
 その背景には、日本・ASEANの貿易額が2009年、中国に初めて追い抜かれた後、21年には3倍近く差を広げられるなど、地域における日本の影響力低下がある。

広がる自他イメージの落差
 そこで問われるのが、日本の対アジア・ポジション。岸田は、経済衰退とともに影響力が薄れている現状を無視し、事あるごとに日本を「アジア唯一のG7(主要7か国)メンバー」と強調する。
 アジアを、高みから見下す視線は日本の近代化初期から戦後を経ても変わっていない。しかし日本(人)のアイデンティティが、「G7」の先進国メンバーという「名誉白人」的虚像(写真 6月10日、シンガポールの「シャングリラ・ダイアローグ」で基調講演する岸田首相 首相官邸HP)にあるとすれば、アジア諸国に映る「中国に次ぐ二番手」という他者イメージとの落差は開く一方だ。この自他認識のギャップを埋めないと、アジアでの対中抑止や包囲戦略は成功しない。同時に、成長著しいアジアの中で、日本再生の手掛かりをつかむチャンスも逃すことになる。

有事起こさせぬ外交開始を

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 岸田政権の最優先課題は、参院選で圧勝して政権基盤を強化し、長期政権の基礎作りにある。10日投開票の参院選は「安倍弔い合戦」と化して与党が圧勝し、改憲勢力も発議に必要な3分の2を超えた。
 安倍外交を見ても分かるように、いったん悪化した関係を修復するには長い時間がかかる。しかも、「尖閣」と「一帯一路」では、中国側に譲歩する「代償」を払った。
 「リベラル」を自認する岸田氏には、対中関係改善に抵抗する右派を抑える力は希薄であり、そこが最右派の安倍氏と異なるウィークポイントである。岸田氏に党内右派の反対を押し切って対中関係を改善する胆力・力量があるとは思えない。
 特に自民党最大派閥「安倍派」が領袖を失った今、安倍派内の多数派工作と、他派閥との合従連衡が始まただけに、当面は自民党内の権力闘争に精力を傾注するはずだ。
 日米政府が宣伝する「台湾有事」が切迫しているとは全く思わない。ただ万が一有事となれば、台湾だけでなく日中双方に深刻な犠牲をもたらす。外交力で台湾有事を「起こさせない」ことが岸田外交の喫緊の課題だ。両国間の数少ない「脅威とならない」という合意を、国交正常化50周年の「合言葉」にするのは、それほど難しくはないはずだ。
(共同通信客員論説委員)

注1 習近平主席が岸田首相に弔電(22・7・9中国外交部HP)
习近平就日本前首相安倍晋三逝世向日本首相岸田文雄致唁电 — 中华人民共和国外交部 (fmprc.gov.cn)

注2 福田元首相が極秘訪中(2014年08月04日 Jcastニュース)
福田元首相が極秘訪中 習近平主席と会談: J-CAST ニュース【全文表示】

注3 孔鉉佑駐日大使単独インタビュー(2022-05-29 在日中国大使館HP)
中央ラジオテレビ総局『藍庁観察』 孔鉉佑駐日大使単独インタビュー - 中華人民共和国駐日本国大使館 (china-embassy.gov.cn)

注4 令和3年度海外対日世論調査(22・5・25 日本外務省HP)
令和3年度海外対日世論調査|外務省

(2022.7.20)
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