【コラム】酔生夢死

「茶番」の真骨頂

岡田 充


 「次からは失敗しないように頑張りたい」と“決意表明”で締めくくる文章がある。大学生がそう書くと「無意味な児童の決意表明はそろそろ卒業してほしい」とコメントを添付することにしている。作文だと罪はないが、国際政治の舞台で無意味な決意表明をすれば、偽善と言う。オバマ米大統領の広島訪問はまさにその典型だ。

 彼は就任直後のプラハ演説で「核兵器のない世界」を追求すると訴えノーベル平和賞を受賞した。間もなく大統領を辞める彼からすれば、広島訪問は「反核大統領」という伝説創りの絶好の機会。「アベノミクス」の化けの皮がはがれたわが宰相にとっても、参院選を前に人気を浮上させる唯一のチャンスだ。政府も大新聞も「核兵器のない世界を目指そうとする国際的機運を盛り上げる」と言う。ほんとうに機運は盛り上がるの?

 第一の偽善。米国は7000発の核弾頭を持ち、核の先制不使用を誓約しない唯一の核大国だ。核兵器はもはや使えない兵器だが、「核抑止力信仰」は根強い。核抑止力信仰から脱却しないかぎり核廃絶など「絵空ごと」に過ぎない。米国も日本も「核不拡散」の重要性を説くけれど、それは核保有5大国が核を独占するために他ならない。

 第二の偽善。日本政府は原爆投下の人道的責任について抗議せず、米政府は謝罪していない。メディアも「謝罪」を求めない寛容さをみせる。「米国内に慎重論の強い謝罪に踏み込まなくても訪問は可能」(「朝日」4月24日)と変に物分かりがいい。日米関係だけを重視する政府に同調するジャーナリズムなど要らない。「人道上の罪」を認めない核廃絶の訴えなど「説得力はない」と書くべきではないか。

 そもそも、日本自身が「日米同盟」という核抑止力に頼っているのに、核廃絶を訴える資格はあるのか。多くの非核国が賛成した「核兵器禁止条約交渉」の開始に「時期尚早」と反対したのは、日本政府だった。北朝鮮は労働党大会で、核の先制使用をしない「責任ある核保有国」と誓約した。大新聞はそれを「核開発は自衛目的で、米国の脅威があるからだと責任を転嫁する」(「朝日」5月9日)と指弾した。米国の脅威から守るための核保有という北朝鮮の論理の筋は通っている。どの核保有国もその論理を使う。「矛盾の国家戦略」と非難する理由はない。

 「原爆投下は戦争終結を早めるため」という言説が米国では支配的だ。実際は「放射能の人体への影響はない」ことを確かめるための「人体実験」と、ソ連の影響力を排除するためだった。近著では、木村朗著『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(創元社)に詳しい。数多くの偽善を正さず、核廃絶を説くのは、「戦争のない平和な世界をつくりたいです」と書く、児童の決意表明と同じである。誰もがその欺瞞性に気づいているが、あえて反対できないところに、この茶番劇の真骨頂がある。

 (筆者は共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)

(写真「日刊ゲンダイ」記事)
画像の説明


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧