【コラム】

「近く」と「遠く」のコロナの話し⑦ 往来再開

坪野 和子

 コロナのワクチン接種もすすみ、9月末くらいから感染者地図に変化がみえてきた。私の周囲は海外往来再開という話しが徐々に増えてきた。ご高覧のみなさまの周囲はいかがでしょうか。

 ◆ 1.バングラデシュから高校の生徒が日本に戻ってきた

 コロナ禍前に父親と帰国した女子生徒。バングラデシュ人の噂では、彼女はお見合いのために帰国したとのことだ。どうもうまくいかなかったらしく、父親は先に日本に戻り、いざ戻ろうと思ったらストップさせられていた。昨年1年間、登校していなかったので、原級保留、つまり二度目の三年生となった。
 日本に戻れなくなった最初の頃は、女性の友人や親せきと公園などで楽しく遊んでいる写真がネットワークにアップされていた。しかし、半年経って連絡がくる。「ここは退屈。早く日本に戻りたい。日本で勉強したい」と言ってきた。学校の当時の担任の先生にお伝えすると、先生は即座にお父様に電話を入れてくださった。復学についてのお話しをしてくださった。

 しかし、本人は何度か日本に戻るチャンスを逸し、在バングラデシュ日本大使館はついに閉まってしまう状態になってしまった。大使館が開かなければビザは更新申請できない。そして9月末、ビザの申請ができ、急いで日本入国。彼女から「日本に着きました。いま成田の隔離施設のホテルに泊まっています。一日も早く学校へ戻りたいです」ほとんど「帰国感覚」だった。彼女の中で日本に永住したいという「決意」ではなく、「ここが本来の住処」という雰囲気が伝わった。

 学校側にそれを伝えると14日間の自宅隔離の最中に素早く対処を模索してくださった現学級担任の先生と上司。現学級担任の先生が「どうして学校に直接連絡してくれなかったんでしょうね」とおっしゃったので「ああ、連絡は『よろしくおねがいします』以外、ずっと英語でした。自分の日本語に自信がなかったからでしょう」
 若い先生はそれなりに自己体験で言語の問題に理解がある。しかし、かつての学校では、「まず学校に連絡するのが筋でしょう」とか「先生、SNS連絡はご法度ですよ」と私を非難した。では言語が不自由な生徒とのコミュニケーションをどうする?

 現任の学校は形を遵守するけれど、お伺いをたてて、生徒にとって一番いい形に収まるだろう、を模索してくださった。県に結論を委ねる形となった。県の結論は、これまでの欠席は「出席停止」。そして…待望の登校。彼女の活き活きとした目、登校初日が中間テスト。それでも「日本に帰って来た」「学校に帰って来た」その実感を肌で感じざるを得なかった。わたしにとってすごくステキな再開となった。

 学校のホームページで授業前補習のシーンを掲載したいとご担当の先生からの申し出。彼女ともう1人のイスラム圏の生徒への補習を撮影していただいた(正確には、この日遅刻しなければヒンドゥ教生徒も撮影対象だったが)。ヒジャブが「ちょっと」と「この学校のニーズだよね」と職員会議で別れたらしい。上司は「この学校のニーズ」と判断。

 ◆ 2.パキスタンに帰る友人たち

 横浜在住のパキスタン人の弟分から約1年半ぶりに連絡があった。昨年帰国できずにいたため、精神的なストレスが溜まっていたらしく、おかしくなっていたのがわかっていた。帰国できることになって落ち着いたのだろう。連絡再開は奥さまと5人のお子さんに会えるうれしさなのだろう。

 新潟在住のパキスタン出身友人は、11月16日にスリランカ航空で帰省する。昨年、コロナ禍前に買った航空券がずっと使えなかったので、それを振替で使えるから「助かったよ」と言っていた。ワクチン2回接種済みなのに、72時間前のPCR検査陰性証明英文が必要となる。「安い検査・証明を英語で出してくれる診療所を探して」と頼まれた。最初、新潟で。しかし高い。
 次に東京で1泊しても安くなるようなところを探すと言ったら「娘の家に泊まるから大丈夫」と言っていたが、娘さんに断られた。再度安い都内1泊を探し、高速バスの安い日を探した。
 「おかしいなあ、小山では5,000円で出していると言っていたのに」「いや、それがおかしいと思うわ。5,000円って証明代じゃないの? あなたたちパキスタン出身者はお金のこと細かくないから」「う~、ああ、せんせいみたいにケチじゃないから」…何言ってるのよと思った。

 結局、新幹線で前日に成田空港へ行き、成田空港のPCR検査の予約し(誰かに予約してもらって結局自分で時間変更をした。自分ですれば手間もかからなかったのに)空港での寝泊まりを決めた。一番高い値段の選択だった。さんざん私に調べさせておいてこの結果?と思ったが、そうではない。この判断が正しいことを確信・確認したいがために私の時間を使わせたのだと思った。「それがいいわよ、あなたは正しい」と言ってほしかったのだろう。
 しかし、さらに念押しのように新幹線は「東京」と「上野」のどちらがいいかとか訊いてきた。荷物の量によると言った。そしたら主な荷物は宅配便で空港まで送ると言った。またさらに「まだ荷物が増えた、どうしよう?」事務所を片付けたとき、大きなバッグ類は私がしまったのでその場所を伝えた。

 コロナ禍前なら成田空港直行の高速バスが出ていたので、帰省など簡単だし、日本のパスポートなので出国手続きもさほど時間がかからなかっただろう。空港に泊まり込みも椅子が柔らかかったのだが、感染防止のためにプラスティックになっている。スリランカとカラチで証明を見せるなどもあるだろう。帰省までは今までとは違う面倒な状況だ。時間を返せ!と言いたいけれど。この時期に海外へ行くことの大変さを自分のことのように理解できた。とはいえ、ネット検索しまくってパーソナライズされた広告は、PCR検査、高速バス、都内ホテル、もう不要なものが出現している。

 (東京ベイインターナショナルスクール顧問)

(2021.11.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧