■ 【書評】

「金融が乗っ取る世界経済」ドナルド・ドーア 著     松永 優紀

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  本来、「金融」は文字通り「お金を融通する」ことで経済や社会の発展を担っ
てきた。しかし、リーマン・ショックで特に明らかになったことは、最近の「金
融」が「犬のしっぽ(金融)が身体(実体経済)を振り回している」状況を生み
出しているということである。本書は、このような最近の大きな意味での「金融」
が経済や社会を振り回す状況を「金融化(financialization)」というキーワー
ドで論じている。金融化(financialization)と何か。

 著者は、ジェラルド・エプスタイン編『金融が進行する世界経済
(Financialization And The World Economy)』を引いて「国内経済に対しても、
国際経済に対しても、金融市場、金融業者、および金融企業の役割や、一般人の
金融利益を目指す動機付けがだんだんと増していく過程」と暫定的に定義してい
る。

 本書での筆者の主張について私なりの理解を試みると、「金融化」とは社会現
象であり、経済成長至上主義から生み出されたものであるといえる。「空間革命
(実体経済における成長が限界に達して、新たな空間としての電子・金融空間を
創出していくプロセス)」(水野和夫)が、アメリカを発端として日本でも起こ
り、金融によって継続的な経済成長を実現しようとした。それが新自由主義と 
“親友”となった。

 そのことにより、個人の利益追求のための個人の自己責任論、所有権の絶対化
がいわれ、これが企業、経済システムにおいてあらわれたものが株主中心の考え
方や金融機関による道徳なき利益追求なのだと思う。短期、近視眼的な利益追求
も結局はこの自己中心的考え方から発生する。

しかも、その金融業が破格の報酬を呼び水に最優秀の人材を集めて、またその政
治的な“パワー”をもとに「法を超越する存在」となってしまうのも金融化の結
果だと著者は言う。このような金融業による政治的な“パワー”と法の超越が、
金融化を推し進めるエンジンであったし、おそらく今もまだそうであろう。

 金融化は、実は経済だけの問題ではなく、社会全体の巨大な問題の一つの現れ
に過ぎないのではないか。すなわち、結局は、「社会的公正」と「公共性」の問
題に行き着くのではないだろうか。平たく言えば、「皆にとって正しいことは何
か」ということだ。にもかかわらず、グローバル金融の規制を行うべき各国政府
は「社会的公正」の追求ではなく、不十分な形での「金融安定」の方を目指して
いるようだ。

確かに金融の安定は必要だが、それが「皆にとって」正しいことなのか。今後と
も金融化そのものを転換しなければ、著者が言う4つの社会的現象、1)格差拡
大、2)不確実性・不安の増大、3)知的能力資源の配分への影響、4)信用と
人間関係の歪み等が更に深刻化するということは想像に難くない。
 
  多様化、複雑化、知識社会化がいわれる現代社会でいかに「社会的公正」を定
義し、「公共性」を発揮できるシステム・社会組織をつくるか、が問われている。
これは自己矛盾的な問いでもあるから、非常に難しい課題であるといえる。
 
  リオタールは「大きな物語の終焉」と言ったが、これから将来に向かって「よ
き社会」は構想し得るのか。私はその可能性はあると考える。たとえ悲観的事象
が多くとも、長期的で巨大な問題が発生しようとも、我々の生きる未来は我々が
共有した「社会像」の延長線上にしかない。その意味で「よき社会」をつくる第
一歩は、それを目標として実現を願うことにはじまるといえる。著者のいう、歴
史の教訓「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」ということを信
じたくなる気持ちは日々強くなる一方である。

  (評者は公共哲学研究者)

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