■ 「EUの行方」をどう考えるか              榎  彰

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 ギリシャ、イタリアの財政危機をきっかけとして、ドイツでは、国家主権への
絡み合いを中心に、欧州統合の飛躍的前進を目指す動きが、巻き起こっている。
折から「格差是正」をテーマとする執拗なデモが世界的に続いているさなか、イ
タリアのベルルスコーニ首相の失脚には、市場原理主義の後退、西欧社民勢力の
復活と捉える向きもある。しかしそうではあるまい。格差是正を中心とする新し
い動きの兆候すら伺える。今回の通貨危機の震源地が、西欧文明の淵源であるギ
リシャ、イタリアであったことは、深刻なアイデンティティの危機を呼んでいる。

 特にバルカンを中心とするイデオロギー対立の根深い残滓、地中海地域を中心
とする、カトリック、正教などキリスト教ニ大宗派を中心にしたグローバルな影
響力の兆候、エネルギーを取り巻く金融の動きが、暗い影を投げかけている。世
界的な構造変動が取り沙汰される中、欧州の動きが、政治統合の新しい形態を生
み出すことになるのかどうかが注目される。

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○欧州合衆国、欧州連邦の呼びかけ
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  英経済週刊誌「エコノミスト」が指摘するように、ドイツの政治家の議論は、
欧州統合のあり方を再検討することに収斂しているかのように見える。ドイツの
フィッシャー元副首相兼外相は、11月12日杖付けの朝日新聞への寄稿の中でも、
「欧州合衆国」という言葉を使っているし、社会民主党のシュレーダー元首相
も、「欧州連邦」について言及している。フィッシャー氏は、通貨統合が失敗す
れば、欧州統合そのものが無に帰すだろうとし、欧州自身が欧州の運命の担い手
にならなければならないとする。

 そして共通の予算政策をつくるために、政府が必要であるとし、各国の主権を
大幅に移譲するため、すべての加盟国の国民投票を呼びかけている。経済危機、
通貨危機の根源を根本的に解決するためには、財政を中心に国家主権の問題に触
れざるを得ないということであろう。当のギリシャの少数派、民主主義連合のボ
コヤノオス党首は、ドイツ週刊誌「シュピーゲル」との会見で、「古いシステム
は崩壊した。・・・欧州的視野が必要だ」としている。

 しかもこれらの政治家は言及を避けているが、国家主権の共同使用ということ
に踏み切れば、国民国家を超え、新たな「政治統合体」は生まれることになる。
「国民国家」の前提が崩れ、国民国家を構成分子とするこれまでの「国際政治シ
ステム」が崩壊することにも
なりかねない。世界的な秩序の変動にもつながる。

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○ギリシャは東西対立の犠牲者
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  今回の危機が、ギリシャから始まったということは象徴的である。欧州統合の
問題が、欧州だけでなく、かつてヘレニズム文明、ローマ文明が支配した世界に
広がる可能性を持っていることを示唆するものであるからである。ギリシャ文明
が、近代の西欧文明の基礎をなしたことは間違いない。その後、同じ地域に、近
代に成立したイスラム教のオスマントルコ帝国の支配の下、ギリシャは屈する
が、ギリシャ正教徒としてのアイデンティティを崩さないまま、ファナリオット
(地方行政官)を中心に、帝国の支配に協力、弾圧を潜り抜けてきた。

 ギリシャ人の共同体は、オスマントルコ帝国の末期、西欧文明の発達に即応し
て反乱しギリシャ人の国民国家を志向し、民族主義を唱え、西欧のナショナリズ
ムが流行する先鞭を切った。

 第二次世界大戦の後、欧州世界が、イデオロギー的に分裂したとき、他のバル
カン諸国が軒並み、スターリンによって、ソ連を中心に東側陣営に組み入れられ
たのに反し、ギリシャだけは、激烈な内戦、クーデターを経て、西側自由陣営に
入り、ある意味では、精神的支柱となった。ヤルタ会談でのチャーチル英首相の
粘り腰に対しては、伝統的な英国のギリシャびいきに加え、西側自由世界を、ギ
リシャ(ヘレニズム)文明の嫡出児として、認知してもらおうという魂胆があっ
た。そのために、オスマントルコ帝国の残した伝統が清算されないで、生き続け
たということが指摘される。

 一例が、ファナリオットの主な部分が徴税官であったことであり、現代ギリ
シャの徴税制度の困難さは、オスマントルコ帝国時代から、長く続いた税制に対
する国民的不信感が原因だとする向きもあるくらいだ。オスマントルコとソ連
「帝国」の悪しき遺産が、生き続けているのが、現状だといえよう。現在のギリ
シャ政界は、パパンドルフ前首相(全ギリシャ社会主義運動党首)とサマラス新
民主主義党首の二人だが、彼らの存在それ自体が、古い歴史の残存を意味している。

 たとえば、パパンドルフの父親だが、東西対立の影で、ギリシャの国益を賭け
て自由陣営に属しながら、中東の社会主義陣営のため、尽くしてきた。東側に
も、ある程度譲歩した。西側は、冷戦体制の保持上、無視した。見てみぬ振りを
した。
そのために、膨大な官僚制、社会保障制度を放置したともいえる。国家財政の危
機を打開するため、こういう問題に手をつけるとすれば、当然、コスト重視の政
策を強行しなければならない。これは、必ずしも、市場原理主義ではないのである。

 ギリシャの場合、目立たないけれど、もっと深刻なのは、東方教会(正教)の
影響力である。ローマにあるカトリック、プロテスタントとキリスト教界を三分
する正教(オーソドックス)は、イスラム教徒以外の中東と、ロシアを中心とす
る東北欧全域に広がっている。正教は、1453年まで、ビザンチン帝国として、政
教一致の帝国を建設していたのだが、オスマントルコ帝国に滅ぼされた。その後
は、ロシアのモスクワ総主教が 引き継ぐと称したが、オスマントルコ帝国は、
ミッレト制を敷き、コンスタンチノーブル(現在イスタンブール)総主教の宗教
的権威を限定的に認めたため、カトリックのように、本山はないものの、正教信
仰は分散的になり、一般的にはかえって強まった。

 日本では、ギリシャ正教といわれることが多いが、世界的には、ロシア正教、
セルビア正教など、個別に呼ばれることが多い。「文明の衝突」で有名なハンチ
ントン教授は、西欧文明とは、異なった文明として、オーソドックス文明を指摘
している。ハンチントン教授は、正教文明の独自性、重要性を強調したが、詳述
することがなかった。しかし、これからは、遠からず宗教と政治の問題が日程に
上がってこよう。宗教というよりまず文化である。歴史と宗教が、文化を作っ
た。現代のギリシャは、一種、独特な文明観がある。  

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○日本と似ている戦後のイタリア
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  ローマ帝国の伝統を継ぐイタリアの場合は、もっと複雑だ。4世紀以来の歴史
を誇るカトリックは、少なくとも欧州の世界では、精神的権威はずっと保持して
きた。西欧で政教分離が進み、世俗的な国民国家が成長してくる過程で、イタリ
アは、国家を超える法王庁の権威が強く、世俗的な王権が育ってこなかった。統
一国家イタリアが成立したのは、1861年のことである。第二次世界大戦後、イタ
リアは、長年保守党の独占支配が続き、革新陣営は共産党が強く、社会民主陣営
が弱体で、日本の政局と似ているといわれた。

 イタリアの場合、南北の地域格差、都市と農村、大企業と中小企業、工業と農
業という社会の二重構造が支配していた。戦争直後の日本も同じような構造を
持っていたのである。日本の場合は共産党ではなく、社会党の左派(容共派)が
強いなどといった点が多少違っていたといえよう。

 それでも78年に、後で首相となる革新派経済学者のプローディ氏を、通産相に
任命、82年に産業復興公社(IRI)総裁に充てるなど、保守党の側も、保守独裁
の運命に不安を抱き、革新派のエースを取り込もうと、手を打っていたともいえ
る。86年にわたしはプローディ氏とも会い、インタービューを試みたが、産業政
策には自信を持ち、大衆株主などを推進するなど、保守政権のなかで、革新的な
政策を進める心構えは十分伺えた。

 プローディ氏は、90年代末期、共産党を含めた野党を「オリーブの木」の下に
結集、政権を担当し、経済の近代化を志向したようで、左派の大部分もそれを支
持した。「エコノミスト」の分析によると、時のベルザーニ経産相(民主党首)
は、自由化、現代化さえ目論んでいたといわれる。

 プローディ氏が失敗した後、あとを継いだベルスコーニ首相は、小規模なビジ
ネスマン、小農、自営業者という従来のキリスト教民主党の古い支持層に頼らざ
るを得ず、改革は後退した。北部の都市を中心とする層は、北部同盟に結集、連
邦制を主張するのみで、イタリア全体の経済には、興味を示さなかった。国内的
な圧力に屈せず、粘り強い抵抗を示したベルルスコーニ前首相も、欧州的圧力に
は屈せざるを得ず、モンティ新首相に席を譲り、専門家内閣を引き継いだ。

 古いローマ帝国以来の歴史と伝統、カトリックの因習など、現在のイタリアを
さいなんでいる中で、特に特徴的なのは、地下経済と地下犯罪組織の跋扈だ。か
つて90年代に時の蔵相が、国会の答弁で、地下経済を考慮に入れれば、イタリア
経済は、とっくに英国を抜いていると発言、問題になったことがあるが、事態は
一向に改善していない。

 地下犯罪組織も、司法の努力にもかかわらず、相変わらず暗躍しているよう
だ。特に地域の問題は深刻だ。北部の都市を中心とする地域は、目覚しい進展を
示し、南部の停滞とは好対照だ。国家予算の多くは、南部に向けられているとの
非難は、変わっていない。今回の経済危機は、ある意味で、更なる欧州統合に向
け、絶好のチャンスとも言え、モンティ内閣の賭ける期待は大きい。

 ギリシャ、イタリアの経済危機は、欧州連合(EU)の統合の深化への一里塚と
なる可能性は大きい。問題は、世界の全体的危機、資本主義の危機につながるか
どうか、ということでもあるが、この問題には触れまい。欧州に限って言えば、
宗教、あるいは広く文明の問題、「文明の衝突」にまで発展するのではないか、
という点である。

 キリスト教のカトリック、プロテスタント、オーソドックス(正教)との違い
について触れたが、近年、総人口の10%に達しようというイスラム教徒、彼らの
イスラム文明との衝突が起きるのではないかという懸念である。現代資本主義の
淵源が、宗教改革、プロテスタントにあるということはすでに指摘されて久しい。

 経済危機が、正教のギリシャ、カトリックのイタリアで起きたことは、意味深
長であり、それにイスラム文明が絡んでくるのである。それに地域的にも広がっ
てくる。正教は、ロシア、東北部欧州から、中東一帯まで及ぶ。イスラム教の場
合は、言うを待たない。経済改革の波が、ギリシャで培われた正教の世界、イタ
リアでいまだにしぶとく残ったカトリックの伝統に、どう対処するかが、懸念さ
れるところである。

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○介入迫ったフランス
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  この点で、フランスが、率先して、北大西洋条約機構(NATO)を引きずって介
入させ、リビアのカダフィ政権を倒し、他の中東産油国への介入を示唆している
ことは、意味することが大きい。フランスが、ドイツを引っ張り、米国さえ、同
調させて成功した。この間、イタリアは、経済危機のショックもあって、動きは
さえなかった。もともとイタリアは、リビアを植民地化したこともあって、第二
次世界大戦後の戦後も、リビアにはいろんな利権を保有していた。

 イタリアの自動車会社フィアットの大株主が リビア政府だということは、知
られていた。結局は、イタリアは、フランスに同調したが、NATOによるリビアの
政権転覆が、石油利権の取り合いにあったことは、覆えない。膨大な石油利権
が、欧州の手に帰したことは間違いない。この資金が、ギリシャ、イタリアの経
済危機にどのように使われるのか、見ものである。

 フランスが、ここまでイニシャチブをとったのは、大統領選挙を控えたサルコ
ジ氏の個人的思惑もあろうが、欧州統合への深化に向け、ドイツへの配慮もある
と見られている。欧州連合が、この時期に、大々的に「アラブの春」に介入した
ことは、欧州の危機に、中東の資金が充てられることを示している。

 今回の危機が、ギリシャ、イタリアに始まったことは象徴的である。現在の西
欧文明が、ギリシャ、ローマ(イタリア)の系列であることはいうまでもない。
今日のギリシャ人、イタリア人が、遺伝子的にもギリシャ、ローマの系統ではな
いということはよく言われるが、現在の地中海沿岸を歩くだけで、ヘレニズム
(ギリシャ)文明、ローマ文明がいまだに息づいていることが分かる。

 危機の克服は、20カ国の首脳会議など、世界的に声がかけられた。でも第一義
的には、欧州、それに中東といった西欧文明、オーソドックス文明、イスラム文
明の響影する世界のことである。

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