【書評】

『こんにちは、ユダヤ人です』   河出ブックス刊・1600円

     四方田犬彦・ロジャー・パルパース共著

                        小中 陽太郎


 のっけから恐縮だが、ぼくは、「夢で逢いましょう」(NHK)というミュージカルのディレクター時代、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(永六輔・詞、中村八大・曲)を録音した。ロジャー・パルバースと四方田犬彦による『こんにちは、ユダヤ人です』という対談の表紙(村田善子)をみているうちに、梓が、「わたしあのころ下着つけずにスッポンポンでうたっていたの」と告白したのを思い出した。まだ彼女がカミングアウトする前の話である。僕はスタジオのすみで彼女の衣装替えを手伝ったんだが。
 パルバースとはなんとなくおしめみたいな名だなあ(パンパースはオシメの商品名)と思いながら手にして、下着をつけていない、と聞いた時と同じ衝撃を味わった。下着どころか偏見も見えない。スッポンポンのユダヤ人。パルバースは、パルバニツキー(粉の意味つまりパン屋、コナカ注)であった。

 いきなり国際ペンクラブの修羅場に飛ぶと、参加センターは、アルファベット順に座る。アルファベットは、H、I、J、Kとつづく。Hと言う国名はなかった(オランダは Netherlands)ので、ISRAEL、JAPAN、KORIA、KURD とならぶ。どうでもいいようだがこれがなかなかの組み合わせである。
 私のペン会議出席の目的は、「JAPAN は、あす反核決議を提出するから是非賛同してくれ、そのかわり君たちの決議に賛成するから」とネゴすることである。
 イスラエル代表は、政府の役人である。私は、パレスチナを支持するアジア・アフリカ作家会議の日本事務局長である。他方イスラエル代表は、じつは政府の広報の役人である。役目は、イスラエル非難決議、パレスチナ支援決議に反対投票することである。

 さて翌日の反核決議の日である。頼みのI、J、Kはいずこにありや。いない、影も形もない。イスラエル? 役目が終わって帰国しました。韓国は、ピラミッド見物に行きました。では昨日声涙下る窮状を訴えたクルドは? 事務局の答え「さあ、あの人達は国土がありませんから、所在不明です」。そんなあ、やっとアラファト麾下のハンナ・アブダラが賛成してくれた。
 だが政府代表を凌駕して、ユダヤ文学の精神がしっかり存在するのは、国際ペン代表の名だたる作家たちは、ノーベル賞の南アのナディン・ゴディマをはじめ、ユダヤ系だからだ。話しはとぶが、スーザン・ソンタグは、妻とふたりであったとき、japan ときくと「おお、ヤキトリ、タカラヅカ!」と叫んだ。妻はたちまち「このひとレズよ」と見抜いた。それより彼女は東欧系ユダヤであろう。

 イスラエル広報官に対するぼくの思い込みがとけたのは、今夏、ぼくが理事長をつとめる、東京・仙川の安藤忠雄設計の Tokyo Art Center(理事長)で開かれた現代イスラエル写真展で、パルスチナ系イスラエル人のインティファーダの写真も並べて堂々と展示されているのをみたからだ。パレスチナ系市民(ハンナに似ていた)が長い黒髪を断髪する民族舞踊を無言で披露した(撮影筆者)。

(写真1)画像の説明
(写真2)画像の説明

 さらにアルファベットでIのまえのHの意味するところを知ったのは、パルマースの次の言葉だった。「ユダヤというとまずHで始まる単語が浮かんできますね。迫害ですね。つまりホロコースト」、しかもパルマースのよるとその言葉が今のように使われるのは1967年以降だった。

 本書は、そのようにして、そのころベトナム戦争を批判してアメリカを離れ(国籍はオーストラリア)、日本で活躍する作家、演出家(ぼくは大島渚から紹介された)ロジャー・パルバースと、数ある海外の大学の教授経験を持ち(そこにはテルアビブ大学を含む)四方八方国際人四方田犬彦が、語り合うユダヤ民族論、日本人論である。

 パルバースの苗字は、粉を意味し、古く16世のポーランドのクラクフに遡る。
 日本文学で、かれがユダヤ的と共感するのは、中上健次、筒井康隆、井上ひさし、宮沢賢治で、共通点は「自嘲」である。「キリスト教の国アメリカで生まれた非ユダヤ教の作家たちにも、もちろん寛大なこころのある人もいるかもしれないけれど、それは生まれつきじゃない。ユダヤ人は小さい時から、深いところで人に同情するわけです。多分それが共通点じゃないでしょうか」。
 ウッディ・アレンやスピルバーグがユダヤ系であることはすぐわかる。セシル・B・デミルも制作した「十戒」はユダヤの「モーセの五書」(旧約聖書)だからそうだろう。しかしメトロ・ゴールドウィン・メイヤーからフォックス、ワーナー、さらに「風と共に去りぬ」のセルズニックまで、ユダヤ人となると、アメリカはユダヤの歴史なしにはかたれない。

 本書ではとりあげられないが、音楽家となると、その名もアシュケナージ(東欧系を意味する)から、メニューヒン、そしてぼくがアソシエイツ(協力講師)だったニューヨーク・シティ・カレッジ・ブルックリン校音楽学部長イツァーク・パールマンらが哀愁に満ちた弦を奏でるのは、「芸が身を助くる不幸せ」(幸せ)であるのはわかる気がする。これにアインシュタインを始めする科学者となるとハリウッドなんか小さい。
 本書でも四方田は、パレスチナ系の恩師のサイードを引き合いに出しながら、二人で抜群の duo を奏で、最終楽章で、フロイトと若いシェーンベルクに至る。そして「自分で考えているのは、日本の朝鮮人問題、韓国人問題です」と言い切る。本書をしてユダヤ人には、こんな人がいるとう人名事典としてではなくて、今生きて差別されている民族に生きる力を与えようとして企画されたことのよく分かる coda であろう。

 (評者は作家・ベ平連・元NY大学ブルックリン校アソシエイツ)

 
    (評者は作家・ベ平連・元NY大学ブルックリン校アソシエーツ)


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