【コラム】
風と土のカルテ(65)

『はたらく細胞』と佐久の医療人演劇

色平 哲郎


 私たち医療関係者は、人間の体の働きを説明するのに専門用語を当たり前のように使ってきた。例えば「免疫細胞」について、『日本大百科全書』(小学館)では以下のように解説しているが、医師の語り口はこんな感じになっていないだろうか。

 「体外から侵入した異物や病原体、体内の悪性新生物(腫瘍細胞)などを認識し特異的に攻撃する免疫反応をおもに担当する細胞の総称。免疫担当細胞ともいう。白血球の一種でリンパ組織に多いリンパ系細胞のほか、マクロファージや、樹状突起をもつ樹状細胞などがある。リンパ系細胞には、T細胞、B細胞、NK(ナチュラルキラー)細胞のほか、形質細胞などの種類がある。
 マクロファージや樹状細胞は、その突起によって異物の抗原を認識し、その情報をT細胞やB細胞に伝える。なお、マクロファージには異物を取り込んで貪食する働きもある。マクロファージや樹状細胞から情報を受け取ったT細胞やB細胞は活性化し、異物を攻撃し排除するように働く、、、」

 内容として正しくても、一般の方にどこまで伝わっているのか、ふと不安になることがあった。マクロファージやNK細胞といった用語は医師にとって基本的なものだが、医療者側が抱くイメージがうまく伝わっているとは限らない。コミュニケーションにはかなりのギャップがあることだろう。

 日頃、そんな思いを抱いていて、人気漫画『はたらく細胞』(作者:清水茜、講談社)を手に取り、なるほどこういう表現方法もあったのか、と驚かされた。
 ご存じの方も多いと思うが、『はたらく細胞』は、人間の体を大きな劇場舞台として、赤血球や血小板、マクロファージ、T細胞、B細胞など免疫系細胞をキャラクターの立った「人」になぞらえ、細菌やウイルスとの戦いをドラマチックに描いたコミックだ。日経メディカルの今年9月号の特集「あなたの知らない血液の世界」でも、『はたらく細胞』のイラストやストーリーが引用されている。

 『はたらく細胞』では、絶え間ない細菌、寄生虫、ウイルス、がん細胞との攻防、創傷治癒、アレルギー反応、恒常性維持を担う血球細胞の働きぶりが活写されている。細菌と戦う白血球はニヒルな戦士、赤血球は明るい女の子、NK細胞は男まさりのマッチョな女戦士といったキャラクター設定だ。これらの登場人物が、化け物のような細菌、ウイルスを撃退する。
 ストーリー自体は、勧善懲悪的で、単純なものだが、免疫応答の概略を知るには格好の手引きになるだろう。読者には医療関係者も多いと聞く。無味乾燥な専門用語にキャラクターが付与されることで、不思議な劇場場面が展開される。

 がん細胞は、免疫細胞との激闘に敗れて死んでいくシーンで、こんなセリフをつぶやく。
 「手違いが元で出来損ないとして生まれて、、、そのせいで味方になるはずだった免疫細胞に命を狙われて、、、戦って負けて、、、この世界に何も残せずに死ぬなんてなんのために生まれてきたんだ…!」(コミック第2巻)。
 がん細胞への感情移入が面白い。

 難しい医学の話を患者さんにどうやって分かりやすく説明するか、いつの世でも多くの医師が心を砕いてきた。
 筆者が所属する佐久総合病院の名誉総長を務めた若月俊一先生は、農村に出張診療に赴いた後、医師や看護師らによる演劇を上演し、医療や健康に関する知識を劇中の言葉をもって伝えた。若月先生自ら脚本を書き、その本数は20本を超えたという。劇、漫画と表現方法は違っても、ストーリーを作って視覚に訴えるという手法には相通じるものを感じる。

 『はたらく細胞』に関しては、やはり「擬人化」の効果が大きい。漫画そのものを診療の現場に取り入れるのは難しいとしても、擬人化の手法は生かせるのではないか。「コミックの説得力」は想像以上だ。

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年9月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
  https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201909/562437.html
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