■【書評】

『アメリカのユダヤ人』を読む               荒木 重雄

   『アメリカのユダヤ人・ある民族の肖像』
     C.E.シルバーマン著/サイマル出版会刊 
   『不死身のバートフス』
     アハロン・アッペルフェルド著/みすず書房刊
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 去る5月21日、神保町の学士会館・中華レストラン紅楼夢で、折から訪日中
の翻訳家・武田尚子氏を囲んでオルタ有志の懇談会が催された。その席上、武田
氏より、武田氏訳の2冊の訳書『アメリカのユダヤ人・ある民族の肖像』(C.
E.シルバーマン著、サイマル出版会刊)と『不死身のバートフス』(アハロン・
アッペルフェルド著、みすず書房刊)がオルタに贈呈された。

 ともにユダヤ人の状況や内面の理解に資する著作であるが、ことに前者は、武
田氏自身が数ある訳業の中でもとりわけ心を籠めたとされる訳書であり、しかも
サイマル出版会の倒産によりもはや入手困難な貴重な書籍である。 

 オルタの仲間で回し読みしてほしいというのが武田氏の希望であるが、なぜか、
筆者が最初に読ませていただく栄誉に浴することになった。ついては、書評とま
ではいかなくとも内容紹介の拙文くらいは書くのが礼儀と思いさだめた。

 ところがである、900字詰め400頁という大部をようやくに読み終えて、
さて冒頭に戻って武田氏による「訳者まえがき」に目を通してみると、なんと、
まことに見事に内容を紹介されているのである。要点を鋭く捉え、米国とユダヤ
人についての該博な知識と共感を背景に、格調高く。

 この名文を前にしては拙文の出番はない。しかし筆者は、ものごとを「すがめ」
に見る性癖がある。ある主張が一方向に熱心に説かれれば説かれるほど、その主
張に多大な同意・同感を寄せながらも、その方向から漏れこぼれるもの、ときに
は逆に向かう小さな流れの方に関心が向かう性癖である。筆者にできることはそ
のような視線でいささかの感想を記すことぐらいであろう。

 本書は、自身が在米ユダヤ人である著名なジャーナリスト、C.E.シルバー
マンが、多数の基金と研究者・ジャーナリストの協力を得て、米国のユダヤ人に
関する膨大な新旧資料・記述の掘り起しや各層の在米ユダヤ人へのインタビュー
など、6年に及ぶ広範なリサーチをもとに、1985年に上梓した大著である。

 「ユダヤ人でありながらアメリカ人。誤解と偏見に抗してめざましい活躍をす
る“数奇な民族”の誇り高きオデッセイ。ユダヤ人はアメリカでなぜ成功したか」
「偏見と迫害と貧困に辛苦したユダヤ人たちの、アメリカ社会での成功と葛藤、
そして民族的誇りを描いたドキュメント」。これは表紙を飾るコピーだが、本書
の内容と性格をほぼ正確に表しているといってよいだろう。

 そのことを前提としたうえで、上記「すがめ」の感想を少しばかり加えること
にする。それがオルタの読者諸氏が本書を手に取ることに少しでも繋がれば、最
初に読む栄誉を得た者の義務がいささかでも果たせるというものであろう。

 章を追って触れていこう。

 「ユダヤ人という宿命」と題する第1章には、ユダヤ人が米国社会で「成功」
するまでの前史が描かれている。それによると、米国においても、ユダヤ人であ
ることは、不運であり、重荷であり、災厄でさえあったという。それは経済的貧
窮のみならず社会生活やアイデンティティの領域においてもである。

 米国は、最初に到来したヨーロッパ人が信教の自由を求めて海を渡った非国教
派であったことからしても、当時の欧州とは比べようもなく宗教的・民族的に寛
容で開かれた社会であった。にもかかわらず、17世紀に渡ってきた最初のユダ
ヤ人以来、ユダヤ人が心がけてきたことは、「感じよく」あること「感じよく」
することであったという。

 それは、周りの非ユダヤ人がそう考え、それゆえ自らもそう思わざるを得なく
なった「無礼で粗野で、道徳的・文化的に劣った」ユダヤ・コミュニティの文化
や習慣やマナーを捨てて、服装でも、立ち居振る舞いでも、食事の作法でも、キ
リスト教徒風に似せることであった。
 似せられないなら、せめて目立たないこと、「しっ、静かに!」がユダヤ人の
しつけの基本であった。

 そのため、ユダヤ教会の中では正統派と改革派がいがみ合い、最初に米国にき
て「よい感じ」を身につけかけたスペイン・ポルトガル系のユダヤ移民は次にき
たドイツ系ユダヤ移民の、両系移民はさらに遅れてきた東ヨーロッパ系ユダヤ移
民の、「ユダヤ人まる出し」の振る舞いに脅威と嫌悪を感じたのである。
 家族の悲嘆と絶望に背を向けキリスト教に改宗する息子たちも僅かではなかっ
た。

 米国社会に融け込むためには、父母を捨て、宗教と伝統を捨て、自らの存在を
育んだ根から自らを剥がさなければならない。その「自己憎悪」の一方には、ユ
ダヤ人は神によって世界を贖うために選ばれた聖なる民としての確固たる誇りが
ある。ユダヤ人であることはこのアンビバレンスを生きることに他ならなかった。

 南北戦争やその後の好況期を通じてユダヤ移民の多くが中産階級に参入してい
くが、このアンビバレンスは免れない。というより、そこに到達するために姓名
をアングロサクソン風に変えたり、鷲鼻を上向きに整形する手術を受けたり、ユ
ダヤ人の出自を封印したりする者も少なくなかったが、そうして得た社会的地位
にもかかわらず、ホテルで宿泊を拒否されたり、クラブへの入会を拒まれたりす
ることも例外ではなかった。

 こうしてユダヤ人は一層明確に自らを「ユダヤ人」と認識・規定し、コミュニ
ティへの帰属意識を深め、同胞どうし寄り添い、集っていく。

 ユダヤ人とは同じ宗教を信じる者以上に同じ民族である。ユダヤ教そのものが
運命共同体としての性格が強く、プロテスタントの教会に「加入する」とか、カ
トリックの信者に「なる」のとは違って、ユダヤ人は「生まれてくることによっ
てユダヤ人になる」というのが、この章での著者の目立った指摘の一つである。

 筆者はこの章を読みながら、じつは、すでに米国社会に定着しエスタブリッシ
ュメントともなったユダヤ人のことではなく、別なことに思いを馳せていた。い
ま流動しつつある社会の中での少数派の生きざまと運命である。

 たとえば、インドにおける被差別カーストやムスリム、クリスチャン、ジャワ
にやってきたアチェやスラウェシの人、そして、閉塞状況で自民族中心主義が興
隆する欧州のイスラム系移民や、米国でのヒスパニック、アフリカ系・アジア系
の人々の状況と将来である。これらの人々とそれを含む社会に、アメリカ・ユダ
ヤ人の経験はいかなる示唆をもたらすのか。

 さて、本書では、上に記したアンビバレンスと疎外感こそ米国におけるユダヤ
系市民の社会的上昇の原動力の一つであるという。

 第2章「シャピロという男」と第3章「成功への野心と原動力」は、米国のユ
ダヤ人の社会的上昇の物語である。

 シャピロとは、1979年に米国ビジネス界の名門デュポン社の会長兼代表取
締役に就いたA.S.シャピロのことである。もちろんそれ以前にもGEなど大
会社の社長に就任したユダヤ人はいたが、シャピロや米国電信電話会社のタネン
バウム、クライスラー社のグリーンワルドなどが、ユダヤ人としての自分を欺か
ずに大企業のトップマネジメントに就いた最初の世代だという。

 米国にきたユダヤ人たちは、最初、行商や職人、ブルーカラー労働者で生計を
立てた。いくばくかの小銭を貯えると、野菜や魚、衣料や雑貨などの小店を開き、
その商売を大きくすることや衣類製造などの工場の経営、不動産開発業などに精
力を注いだ。その一方で息子や娘の教育に自分たちの未来を賭けた。
 
 その結果、第2次大戦後、大学院やロースクール、ビジネススクールを出たユ
ダヤ人がWASPをしのぐ勢いで専門職――経営者の他、法律家、医師、学術研
究者、教職者、ジャーナリスト、編集者、芸術家、映画人などとして華々しい活
動を展開することになる。

 中産階級以上の知識人にいかにユダヤ人の比率が高いことか。しかしこのこと
は、新しい世代は親たちの職業と生活様式・価値観を拒否し、親の跡を歩まない
ことが親孝行という、逆立ちした一面も生んだ。

 ユダヤ人の職業選択には次のような趨勢が認められる。すなわち、既成の有利
な産業や職業ではユダヤ人はしばしば締め出され、またユダヤ人側も反ユダヤ感
情が引き起こされることを恐れてそれらの分野では競争を避けた。その結果、ユ
ダヤ人は、つねに時流を敏感に嗅ぎ分けつつ隙間を見つけ、新しい産業・職業に
浸透していった。
 
 それでもなお、反ユダヤ感情を刺激することのないよう警戒を怠らなかった。
たとえば、ナチスによるホロコーストが行われていた間中、F.ルーズベルトに
最も近い顧問の立場にいたユダヤ人は、大統領を説いて欧州のユダヤ人を救出す
るとか、虐殺を止めさせるなんらの努力もしなかった。それどころかその一人は、
救出部隊をつくることに反対し、戦争犯罪を糾弾する声明書からもユダヤ人に関
する部分を薄めて、ユダヤ人に過剰な注目が集まることを避けたのである。

 欧州のユダヤ人を米国政府が助けようとすることで米国内で反ユダヤ主義が興
ることを恐れたからである。

 在米ユダヤ人の出世物語にはさらに多くの興味深いことが記されている。だが
筆者は思うのである。彼らが米国社会で上昇できたのは、その資質や努力もさる
ことながら、西部開拓時代から第2次大戦後の絶頂期までの、米国にフロンティ
アがあった時代的背景に大きく依るのではないか。現在のヒスパニックやアフリ
カ系・アジア系移民にそのチャンスはあるのか。「99%の権利」を求めるニュ
ーヨークの占拠運動などを想起しても悲観的にならざるを得ない。

  過去において、ユダヤ人は3つの基本的な理由のうちのいずれかのためにユダ
ヤ人として留まったという。すなわち、1つは、それが神の要求だと信じたから
であり、もう1つは、強力な制裁と報酬のともなう有機的なコミュニティに生ま
れ合わせたからであり、さらにもう1つは、反ユダヤ主義が他の何者にもなるこ
とを許さなかったからである。
 
 ところがやがて、ユダヤ人の米国社会内での上昇と融合、反ユダヤ主義の衰退
で、いまや、ユダヤ人が「ユダヤ人」であることは多数ある選択肢の一つとなっ
た。このような状況のなかでユダヤ人がどう生きるのかと問うのが第4章の「ユ
ダヤ意識の目覚め」である。

 ユダヤ人意識は危機に瀕しつつあったが、一方、安定した豊かさのなかでふと
再び自らのルーツやアイデンティティに思いが及ぶようになりかけたそのとき、
突如として強烈にユダヤ人の「ユダヤ意識」を揺り起こし爆発的に高めたのが、
1967年の「6日戦争」であった。

 イスラエル軍の先制攻撃がアラブ連合軍を電撃的に破ると、全米のユダヤ人は
興奮の坩堝に叩き込まれる。「私は自分が、どれほど深くユダヤ人であるか知ら
なかったのだ」「アメリカのユダヤ人社会のムードは唐突で根源的な、おそらく
は永久的な変化をくぐりぬけた」「この感情と献身の溢出は、アメリカ・ユダヤ
人はユダヤ人でなくなっていくという予言に相反するように見える」などの当時
のユダヤ教指導者やジャーナリストの言を著者は引いて、「ユダヤ主義の大幅な
蘇生」と評している。

 1940年代前半の欧州のホロコーストに冷淡であった米国のユダヤ人は、じ
つは48年のイスラエル建国にもさしたる関心は示さなかったという。イスラエ
ルを自らのアイデンティティと切り離せないものとは考えず、慈善の対象とみな
し、むしろ米国とイスラエルの「二重の忠誠心」を疑われることのないよう用心
したとされる。

 それが、多くのユダヤ人が「自分の運命はイスラエルとともにある」と感動の
うちに明確に意識し、そして、イスラエルの発揮した軍事的な技術と大胆さは、
アメリカ・ユダヤ人が描く自画像を大きく塗り変えたというのである。

 ここまではよい。ユダヤ人側の事情として頷ける。
 だが、本書でいう6日戦争すなわち第3次中東戦争という国際的事件の推移を
記す著者の筆に、パレスチナ側への眼差しが一切ない、少なくとも客観性を求め
ようとする姿勢が僅かにも認められないことに筆者は当惑する。
 
 さらに、第3次中東戦争ではイスラエルはヨルダン領ヨルダン川西岸、エジプ
ト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を占領し、領土を戦前の4倍以
上にも拡大するのだが、この占領を批判する国際社会やキリスト教組織などの動
きに対して、著者はこれを「奇怪な二重基準」とか「普遍主義の空しさ」などと
断じて非難するのである。

 敵・味方に偏らぬ公正さを求め、両側の人々、とりわけ弱い立場の人々に寄り
添って論じるのがジャーナリストの矜持であろう。ところがパレスチナ人の存在
を一切無視し、ユダヤ人の立場から国際的な問題を一方的に言い募る著者の論法
には、ユダヤ人には心の襞に分け入る繊細な感性をもつ著者だけに、筆者は残念
な思いを禁じ得ない。

 こうして復興しつつあるユダヤ主義の行方について論じたのが第5章「アメリ
カ・ユダヤ主義の甦り」である。ここでは、ユダヤ人であることがもはや苦痛や
負担ではなくなって米国社会に「くつろぐ」若い世代に焦点が当てられ、クリス
チャン風に変えた名前をもとのユダヤ人の姓に戻す動きや、クリスマスの祝いに
ユダヤの伝統的な祭りであるハヌカの要素を加えたりそれに変える動き、ユダヤ
人コミュニティに再結集する趨勢、また一方、大学にユダヤ学の講座が数多く創
設されてユダヤ教が知的対象として吟味される動き、運命や慣習としてではなく
新たに人生の意義と目的を求めてユダヤ教に向かう動向などが紹介される。

 この章での著者の論旨は、こうした流れを「“運命”から意志による選択へ」
と捉え、ユダヤ教の近代化・再創造を支持しつつ、なおそれが自由選択を超えた
ユダヤ伝来の観念や戒律を含む「大いなる伝統」に包まれることを期待し、ユダ
ヤ教、さらには習慣や価値観を含むユダヤ主義、ユダヤ人の生き方の蘇生と発展
への希望を表明することにある。

 続く第6章「ユダヤ教を選ぶ人々」では、上の観点を、移民の流入が止まった
ことや出生率の低下にともなう人口動態、異民族・異教徒との結婚の増加など、
ユダヤ人にとって気懸りな事柄から検討していくが、著者の楽観的な視点は貫か
れる。

 にもかかわらず、本書を締め括る最終章、第7章のタイトルが「ユダヤ排斥の
不安」であることは衝撃的である。
 開かれたアメリカ社会に全幅の信頼を置き、その社会に定着してくつろぐ若い
世代の「ユダヤ回帰」に大いなる希望を見る著者は、だが、いまだに、反ユダヤ
主義の台頭に警戒を怠らない。

 こまごました雑誌記事や事件にも猜疑の目を向けるが、この章では主にカータ
ー政権からレーガン政権にかけての、とりわけ米国がアラブ寄りの政策をとった
一時期を中心に、「ユダヤ人の利益」の視点から政局を論じている。

 そうである。民主党であれ共和党であれ、「ユダヤ人の利益」に資するものが
善であり、それに反するものは悪である。この観点から、キリスト教右派ととも
に最も警戒され非難されるのが、米国の「植民地主義・帝国主義」を批判し「第
3世界」との連帯を掲げてPLOやカストロ、サンディニスタへの支持を表明す
るジェシー・ジャクソンなど黒人指導者であった。

 当時の米国政治への著者の論評にこれ以上のコメントはしないが、5章での第
3次中東戦争に対する論評やこの章の70年代から80年代前半の国内・国際政
治への論評を通じては、現在の米国政治におけるユダヤ・ロビーの行動原理とそ
の思考・背景を読み取ることができよう。

 だがじつは本書はこれで終わらなかった。すでに原稿は印刷所にまわされてい
たのに、どうしても語りたい出来事が起こった。それが「権力者に語る」と題す
るエピローグでつけ加えられた。

 それはこういうことである。1985年、大統領が、米国で市民が受ける最高
の栄誉を示す勲章をホロコースト生き残りの作家エリー・ウィーゼルに授与する、
全国にテレビ中継されているその晴れの授賞式の舞台で、ウィーゼルは、尊敬を
込めた優雅な口調ながら、レーガン大統領に対し、大統領がナチス親衛隊も埋葬
されている西ドイツのビットブルク軍事墓地へ訪問を予定していることを道徳的
に叱責し、変更を迫ったのである。

 「ゆめにも皇帝を批判するな」をモットーとするユダヤ人コミュニティが政治
的な配慮や反ユダヤ感情の発生を恐れてした忠告を振り切っての、老作家の抗議
であった。
 しかし、訪問中止こそなかったが、保守派を含む議会やマスコミをはじめ、在
郷軍人会も宗教団体や民族集団のリーダーもこの発言に賛意を示し、とりたてて
の反ユダヤ主義の世論は起こらなかった。

 この出来事に寄せて著者は、「ビットブルク事件は、アメリカ合衆国がアメリ
カ・ユダヤ人にとって家郷となり安息の地となったことを明らかにした。かつて
は“永遠の異邦人”と呼ばれたユダヤ人は、今やこの国生まれつきの住民であり、
苦しみも、怒りも口に出していえるのだ。『権力に真実を語る』こともできるの
だ」と記して、本書を締め括っている。
      ◇   ◇   ◇
  以上、C.E.シルバーマン著・武田尚子訳『アメリカのユダヤ人・ある民族
の肖像』を章に沿って印象に残ったところを述べてきた。この書にとりわけの愛
着をもち奨めてくださった武田氏の思いからは、筆者が取り上げたところ、取り
上げなかったところ、また取り上げ方について、違和感やご不満をもたれるとこ
ろもさぞかし多いことと拝察される。それははじめにお断りした筆者の「すがめ」
によるところであり、お詫びしたい。

 拙文をきっかけに多くのオルタ読者諸氏が本書を手に取り、「すがめ」でない
真っ直ぐな目で本書を評価し、筆者の「すがめ」を批判してくださることを願っ
ている。
 筆者自身、現在のパレスチナの状況や米国の行動への批判の気持ちに引きずら
れて、多元と調和を希求する著者の真意の多くを読み落としているように思える。

 本書はオルタを主宰される加藤宣幸氏の手許に置く。本書を読まれる方は加藤
氏にご連絡をお願いしたい。
             (評者は社会環境学会会長)

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