【書評】

『エスペラント ― 分断された世界をつなぐ Homaranismo』

   大類善啓/著  批評社、2021年5月/刊

初岡 昌一郎

『エスペラント ― 分断された世界をつなぐ Homaranismo』
   大類善啓/著  批評社、2021年5月/刊

 この本は表題からはエスペラント語入門書と間違えられかねないが、ザメンホフ博士によって創始されたエスペラント運動とその思想を紹介することに主眼が置かれているので、「エスペラント思想入門」の書と言えるだろう。私が知る限り、本書は日本でこれまでに出版されたエスペラント思想紹介書として最も優れたものだ。何よりも明快でだれにも分かりやすく解説されている。それは筆者がこの思想を自家薬籠中のモノとしているだけでなく、フリーのジャーナリストとしての経験を生かした、並々ならぬコミュニケーション能力と優れた文章力によるところが大きい。

 ザメンホフの履歴と思想の解説に始まり、それがいかに世界に広がったかを概観している。本書で最も読みごたえがある部分は、長谷川テル、由比忠之進、伊東三郎,山鹿泰治、出口王仁三郎、斎藤秀一という6人のユニークな日本人エスペランティストを取り上げ論じている章である。これらの人は革命家、改革運動家、教育者、宗教者などとしての業績によって知られているが、エスペラント運動家としての未知の側面の人物像が興味深く浮き彫りにされている。

 人工語としてのエスペラントを世界語として通用させることにはいろいろな制約があり、筆者もその可能性に幻想を持っていないようだ。制約の一つは、民族言語に代わる世界共通語を目指して創出されたにもかかわらず、エスペラント創始者は欧州言語の枠内でのみ共通語を考案しているからである。異なる民族文化と歴史背景を反映して、多様で共通性の大きくない諸言語を統合することは不可能な作業である。

 しかし、英語を事実上の世界語とみなす現状に危惧を持つ人にとって、エスペラント運動がまっとうな疑問を投げかけていることは評価できる。アングロサクソンの民族言語を世界語として容認することは、その民族的な覇権を容認する危険につながるからだ。

 長年、日中の友好を草の根レベルで推進することに尽力してきた筆者は、エスペラント思想の中国における受容に紙面を割いて考察している。世界で最多数の人によって使用されている中国語を母語とする話者たちが、エスペラント思想をどう容認するか、あるいは否定するかは今のところ定かでない。

 優れたヒューマニズムと普遍性に裏打ちされたエスペラント思想が、なぜこれまで世界のメインストリームで大きな影響力を発揮することがなかったのか。この疑問に筆者は「なぜ、エスペラントは普及しないのか」と題する終章で言及している。この疑問を持つ方々に、特にこの章の一読をお薦めする。

 (姫路独協大学名誉教授、元国際郵便電信電話労連東京事務所長)

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