【本を読む】

『チェルノブイリの祈り――未来の物語』

  スベトラーナ・アレクシエービッチ/著 松本 妙子/訳 岩波現代文庫

高沢 英子


    ―真実をとらえること、これこそ私がやりたかったことなんです ―
 昨年秋、親友のYさんが訪ねてきて、帰るとき、黙って一冊の本をプレゼントにと置いていったが、それは『チェルノブイリの祈り』という文庫版の小冊だった。
 一読して私は愕然とした。それは1986年春、世界中を震撼させた、原子力発電所の大規模な爆発事故にかかわった周辺住民や事後処理にたずさわったひとびとの生の声を集め、事故の悲惨さの真実を伝えたドキュメンタリーだった。

 まさに驚くべき本だが、読後の衝撃をお伝えする前に、まずこの岩波現代文庫の訳書の末尾に掲載された「事故の歴史的状況」を参考に事故の概略を紹介しておきたい。というのもチェルノブイリで1986年に起こった大規模の原子力発電所の爆発のニュースは当時世界中に報道され、その後、事後処理の報道もいちおう伝えられてきたが、時の経過とともに風化し、いつしか一部の人たちを除いて関心を持つ人もほとんどなくなっているように思われ、今では世界の人々にとって、また同じ被爆国である日本ですら、余りにも遠い未知の土地の出来事として、被害の詳しい情報のほとんどは行き渡っていず、既にコントロールされた事象として、どこか迂遠な印象しかもたれていない気がするからである。

 それは1986年4月26日、現地時間午前1時23分58秒、旧ソ連領べラルーシの国境チェルノブイリで起こった。べラルーシは旧ソ連領でウクライナの北、ポーランドの東に位置する、現在は独立している人口1千万ほどの小国で、チェルノブイリはウクライナとの国境地帯にあり、その地に設置されていた原子力発電所で、4号機の原子炉が突如爆発したのである。科学技術がもたらした20世紀最大の事故として、人類の心に永遠に刻まれねばならない大惨事となった。
 本書掲載のベラルーシ百科事典の一部をコピーさせていただくと「事故の結果大気中に5,000万キュリ―(放射能の古い単位で1キュリーは現在の国際単位では370億ベクレルに等しいとされる)の放射性核種が放出されたが、その70%はベラルーシに降ってきた」という。耕地面積や山林、農地、河川が範囲に汚染され「長期にわたる低線量放射線の影響の結果、わが国ではがん疾患、知的障害、精神神経障害、遺伝的突然変異を持つ患者の数が年々増大しつつある」とある。

 本書はべラルーシ在住の一人の女性ジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシエービッチが、被災者やその家族から直接聞き取ったなまの声をまとめたもので、1997年、事故から10年経って雑誌『諸民族の友好』にはじめて発表された。10年かけて彼女は真実の証言を集め、心を込めてそれらを整理し、ただし、なんの手も加えることなく、一切の注釈をさしはさむことなく、すべて呈示編集し、周到な配慮のもとに作品として仕上げている。
 全体は三章に分けられ、第一章は「死者たちの大地」、第二章は「万物の霊長」、第三章は 「悲しみを乗り越えて」というタイトルがつけられている。

 内容はそれぞれ10人前後の被災者の声をまったく忠実にありのまま再現し、各章の後に、第一章は兵士たちの証言を「兵士たちの合唱」として付け、第二章は複数の一般人の証言を、「人々の合唱」として、第三章は子どもたちの声を「子どもたちの合唱」として配置し、第一章のまえに、爆発時に真っ先に駈け付け、何の指示も与えられず、まったく無防備のまま消火に従事し、わずか二週間後に悲惨な死を遂げたた、相思相愛の新婚間もない若い消防士の妻の嘆きの声が置かれている。「病院での最後の二日間は、わたしが彼の手を持ち上げると骨がぐらぐら、ぶらぶらと揺れていた。骨とからだがはなれたんです。肺や肝臓のかけらが口から出てきた。夫は自分の内臓で窒息しそうになっていた。私は手に包帯をぐるぐる巻きつけ、彼の口につっこんでぜんぶかきだす。・・・」
 遺体は放射能が強いという理由で、亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられ、軍人たちの監視のもとにひそかに素早くモスクワの特別な墓地に埋葬された、という。そしてこの序章と作者自身の声として書かれた「見落とされた歴史について」という前口上に続く三つの章で語られる多種多様の証言は、いずれも息を呑むほど衝撃的である。そのどれを取ってみても人間として胸をえぐられずにはいられない。

 さらに第三章の合唱と、続いて事故の6か月後に仲間と共に現場の処理に召集された若い事故処理作業者の妻の絶望的な祈りの声で、悲劇の幕がしづかに閉じられる。事故処理のために召集れた彼女の夫たちは、作業中も、将校や兵卒たちが持っていた線量計も与えられず働いた。帰ってきたのち仲間たちは次々死んでゆく。頑健だった彼女の夫も最後に死んだ。かれの最期をみとった看護人たちは、ウオッカを飲みたいといい、云った「おれたちはなんでも見てきた。大けがをしたのも、傷だらけのも、火事で死んだ子どものの死体も。だがこんなのは初めてだ。チェルノブイリの被災者はいちばんひどい死に方をするよ」残された幼い息子は精神病院にいれられ、いつも「パパはいつ来てくれるの」と尋ねつづけている。

 はじまりの序章としめくくりの終章の二人の妻たちの声は、それぞれ「孤独な人間の声」という表題がつけられ、作者自身の「見落とされた歴史について」という口上は、序章に次いで置かれていて、いわば本題に入るまえがきである。
 この構成は、ただのドキュメンタリーというより、あたかも古代ギリシャ悲劇における、またヨーロッパの演劇の形で組み立てられているように思われる。恐ろしいドラマが演じられる前に立会人であり観客である人々の前で述べられる作者の前口上というべきものがあり、各章の後の人々の合唱は、ギリシャ悲劇につきもののコロスの役割を担っている、と思われ、この作品に籠めた作者アレクシエービッチの、この人類未踏の悲劇に籠めた祈りをよみとることができるのである。これは人類自身の手による人類最悪の恐ろしい極限の真実の運命悲劇であり、鎮魂の祈り、そのもの、といえるであろう。

 さて、まず「見落とされた歴史について」彼女はこう語りかける「10年が過ぎました。チェルノブイリはすでに隠喩(メタファー)になり、シンボルになり、歴史にすらなりました。・・あたりまえのことですが、人々は忘れたがっています、もう過去のことだと自分を納得させて。・・・この本は何についてですか? なぜあなたはこの本を書いたのですか。

 ― この本はチェルノブイリについての本ではありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。私の関心をひいたのは事故そのものじゃありません。あの夜、原発でなにが起き、だれが悪くて、どんな決定がくだされ、悪魔の穴のうえに、石棺を築くために何トンの砂とコンクリートが必要だったかということじゃない。この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、なにを感じていたかということです。・・・3年間あちこちまわり、いろいろ話を聞きました。原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、強制疎開の対象となった村に自分の一存で帰ってきて住んでいる人、職業も運命も世代も気質も様々です。神を信じている人、いない人、農民、インテリ、チェルノブイリは彼らの世界の重要なテーマです。内も外もチェルノブイリの悪影響を被っている。大地と水だけじゃない。彼らの時代すべてが。
 訪れては、語り合い、記録しました。この人々は最初に経験したのです。・・・みんなにとってはまだまだ謎のことを。でもそのことは彼ら自身が語ってくれます ―

 書き写された証言者の言葉はどれをとってもずしりと重く、一つ一つが衝撃に充ちている。どの章の誰の言葉を読んでも、胸を抉られる。どうか、ぜひ実際に読んでみてほしいと言うしかない内容である。まず、すべてのひとに実際にぜひ一読してもらいたい書物であると思う。

 昨年11月、たまたまこの著者のスベトラーナ・アレクシエービッチが来日し、朝日新聞のインタビューに応じて語った言葉が12月16日付の朝刊に掲載された。
 今回の来日にあたって朝日新聞の求めに応じて語った言葉も、常に極限の真実を凝視し続けてきた証人にふさわしいものであった。

 まず彼女は最初に「必要なのは哲学者や作家たちが議論し、協議し、模索することです」と言い「政府に対し『課題設定』を求めることです」と発言していることが私の心を強くとらえた。国情はかなり異なっているとはいえ、明治以来、日本の近代化にあたっても、つねに知識人の展望が最も切実に望まれるべきことであるにもかかわらず、政府の要人たちは常にそれをかたくなに無視し、時には不当に弾圧し続けてきたと感じずにいられないからである。
 彼女は「一人のひとが解決を知っているというのは単なる幻想」ときめつけ、日本の原発事故に触れて「どの国の権力者も混乱を恐れ、『事態はコントロールできている』と言いますが、フランスやスウェーデンでは国への提訴が幾つも起きました。するべきは抵抗です」といい、その後福島を訪れ、東電福島原発事故の被災者とも対話した感想として「『チェルノブイリの祈り』に書いたことすべてを見ました」と答え、「荒廃しきった集落。人々は住んでいた家を捨てる道を選んだが、補償金では再び大きな家を建てるのは不可能であり、国は人命に対しては責任を負わず、できる範囲で暮らしてください、というだけ」と厳しく批判。
 さらに「日本では抵抗の文化がないのだと思う」と、暗に被害者ばかりでなく、国民すべての意識の底に根強く潜む体制に対する弱腰の体質を鋭く指摘し、「国は軍事ではなく代替エネルギーを見つけることに投資すべきだ」と云う彼女独自の意見を述べた。さらに「必要なのは哲学者や作家が議論し、協議し模索することです」という持論を繰り返したが、これは私自身も常々感じてきたことなので共感せずにいられない。

 しかし現政府は最近大学における人文系学部のさらなる弱体化さえもくろんでおり、為政者は哲学その他の精神文化に対する関心も要望も持ち合わせていず、次代の教育の重要な課題として真剣に考えているとは到底思えない。
 いずれにしても、作家アレクシエービッチの労作は人類にとって貴重な証言であり、その発言は被爆国である我が国にたいして無視できない鋭い指摘であると思う。しかし、これもまた、結局たいして注目されずに闇に葬られるだけとしたら、まことに虚しくやりきれない思いである。今年は、はからずもわが国で、東海村に最初の原子力発電所が置かれて丁度60年目に当たる。時の首相は岸信介であった。

 インタビュー記事の2日後の18日、朝日新聞に今度は同じ作家の「セカンドハンドの時代」(松本妙子氏の訳)という本について柄谷行人の書評も掲載された。
 この作品は、ソ連崩壊後に生きる多くの人々の話を録音して編集したものである。多くの人々の話であるから多声的なはずが、実は一人一人の発話がそもそも多声的だといい、それが、すべての意見がセカンドハンドだから、という著者の主張をくみ取り、柄谷行人は、これらの聞き取りの構成にあたって著者がそれぞれの発話をあえて虚構として整備せず、人々の言葉が文學となる瞬間を見逃さずにとらえて見事な作品に仕上げたとして、その意図と能力を高く評価している。

 彼女はこの著書のほかに彼女の祖国である小国べラルーシを巻き込んだ大祖国戦争(1941-1945)の時、兵士として戦った女性たちの聞き書きをまとめた「戦争は女の顔をしていない」を出版し、それが処女作だったが、それは長い間発売を停止されていた、という経歴の持ち主でもある。べラルーシではこの戦争でドイツ軍によって619の村々が住民とともに焼き払われ、国民の4人に1人が死亡したという。
 彼女はこの『チェルノブイリの祈り』をはじめ一連のドキュメント作品によって、2015年ノーベル文学賞を受賞している。

 (東京都在住・エッセイスト)


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