■ 中国 上海だより            石井 行人

   『上海はブランド都市?』
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<Ⅰ>
  上海は今、中国一の経済発展都市、最低賃金が一番高い都市、物価が一番高い
都市、地下鉄総延長では世界一、日常治安の一番いい都市として知られています。
そして最新新たに付け加わったナンバーワン称号は、国内最悪の大気汚染指数で
す。
  ほとんど24時間絶えない中心部の騒音、粉塵を多量に含んだ大気、重金属を含
んだ水道水、産業廃棄物の土から造られた花壇、人々が作り出す街中の喧騒。し
かし、このような自然破壊状態が<経済発展>と呼ばれることを、日本人なら誰
でも知っているはずです。ネガティブな話は、脇に置きましょう。なにはともあ
れ、上海は間違いなく世界中の目を引く大都市です。<上海>という名称自体が
強烈なブランド力を持っています。
  この世界ブランド都市は、南京条約(1842年)以降の租界の歴史過程で、次第
に<魔都><東洋のパリ>などの異称で呼ばれる国際都市として成長し始めまし
た。開港当時は、何もなかった低湿地の上海に移り住んできたのは、ほとんどが
隣接の江蘇省や浙江省などからの住民だそうです。その縁なのか、不動産投資を
する人の多くは、やはり蘇州人や寧波人だと耳にしました。
  絵葉書や映画の中に存在する、古い幻影の上海は消滅しかかっています。上海
の長屋とも言える横丁(弄堂)は、ほとんど姿を消し、上海は新造の摩天楼が林
立する高層ビル症候群の街に変貌しました。この都市の高層ビル数は、日本全体
のそれを超え七千棟以上に達します。市地下鉄の総延長でも世界一になり、郊外
には西洋風なゴージャスな別荘群が展開し始めました。現在、7万人以上の日本
人が常在し、その数がニューヨークを抜き世界一で、今年4月には世界初の日本
人学校高等部が開学しました。当地ゆかりの横光利一、谷崎潤一郎、堀田善衛な
どの日本人作家たちは、昨今の上海をどう見るのでしょうか。

<Ⅱ>
  <日本は資本主義>、<上海は拝金主義>と説明してくれた上海人がいました。
昨今の中国に蔓延する「金銭だけがすべてさ」という社会風潮を、日本人向けに
親切にまとめてくれたことばです。文革で苦労した父親なのに、その本人が精神
的な痛みも褪めないうちに金儲けに走り、「投機で裸一貫になってしまった」と、
こぼした上海人がいました。金銭欲の誘惑強しと言いたいのでしょう。ある教師
は、学生の相談を受けながら、時々コンピューター画面を株式市場に切り替え、
「ちらり」と見ているそうです。確かに、私の狭い交際範囲からみても、不動産
投資や株に熱を上げている人は多いかも知れません。「昨年は20万元も儲かった!
」と吹聴してくれる人もいました。「なぜ株をやらないの?」と、怪訝がられた
こともあります。このように<いけいけ精神>は、まだまだ上海人の胸を熱くし
ているようです。衛星写真で見ると長江下流域の一角に過ぎない上海なのですが、
怪気炎は観測衛星まで届きそうな勢いです。

<Ⅲ>
  上記のように、<上海>という都市は、燦然と輝く有名ブランド(名牌)です。
そして上海市民もまた、選ばれた名牌と言えます。ご存知のように、都市戸籍を
保有する者には、さまざまな優遇が伴います。試しに、ウィキペディアの「上海
市」の項を見てみると「親が上海戸籍を持つ者なら、子供が生まれたとき区の社
会保険局から15万円から数十万円までの援助金を得ることができる。戸籍を持つ
子供は優先的に幼稚園、小学校、中学校に進学できる。一方上海戸籍を持たない
者は上海の大学受験に参加できない」など、農村戸籍保有者との愕然とした格差
が存在します。また、台湾への個人旅行が今年6月から解禁されますが、報道に
よれば、これもやはり北京、上海、アモイの3都市の住民に限定されます。この
ような特典が得られる点こそ、まさに上海市民が<名牌>と呼ばれる理由の一つ
ではないでしょうか。上海で職場を持ち、家庭を持ちながら上海市民として認め
られない人々が多数存在するというのは、日本の実情からはどうしても理解でき
ないことの一つです。
  農民工の額に汗する都市生活に比べれば、上海市民は一般的に恵まれた生活を
送っていることは否定しようもありません。しかし、次々に建設されるマンショ
ン群に暮らすホワイトカラー(白領)の生活も苦しいと、しばしば報道されてい
ます。特に住宅の取得は日本と同じく、一生をかけた大事業です。そのため、日
本の「住宅ローン地獄」に相当する表現が出現しました。<房奴>と、ずばりそ
のものです。この<奴>シリーズは他に、<車奴>(必要もないのに見栄で買っ
た車のローンで苦しむ人)、<節奴>(春節などの時、人前で気前よく散財した
ものの、後で苦しむ人)、<壟奴>(独占企業の臨時工・契約工)などがあり、
ぐっと身につまされる上海人も多いようです。

<Ⅳ>
  ブランド都市の市民という立場を洒脱に表現した流行語が、二年ほど前に現れ
ました。<鳳凰男と孔雀女>が、それです。<孔雀女>とは、一人っ子ゆえ親に
溺愛され、荒波も経験することなく育った大都市の女性。それに対して、<鳳凰
男>とは、地方出身だが、都市部で大学を卒業し、引き続き都市で働き一定の経
済力を得ている男性を指し、人生の荒波にも揉まれ精神的な強さがある男性を指
します。この対語は、私になんとなく明治時代の「東京の深窓のお嬢さま」と、
「青雲の志高い田舎青年」のエピソードを連想させてくれます。孔雀女と鳳凰男
とは、ブランド女子力と実質的な経済力を持つ男子を暗示するのでしょう。実際、
鳳凰男子が上海の孔雀女子にプロポーズしても、「住宅も用意できない甲斐性な
しの男に、娘はやれない。裸婚は許さない」と言われる確率が非常に高いと言わ
れています。

<Ⅴ>
  日本語教師をしている友人が、<手がたい妻><やさしい夫>という対句表現
を教えてくれました。学期の初めに、「私の家族」というタイトルで作文を書い
てもらうと、学生のかなりの部分が自分の両親を、このように形容するそうです。
学生の「私の父はやさしいです。帰宅して掃除や洗濯をし、料理も作ってくれま
す。母の料理よりおいしいです」と言う文章をみて、この常識的な日本男子は
「例外だろう」と、最初は思ったそうです。
  しかし、何年か経ってこの対句表現は、上海の夫婦像の集約だと確信するよう
になったといいます。そして、さらに驚いたことには、職業生活や財産形成に労
力を注ぎ込んで「家事をしない・ほとんどしない」妻もかなり存在するという事
実です。もちろん、100%一般化はできませんが、そのような分業?傾向が存在す
るのは、日本との大きな差異です。
  上海では柔和な性格の男性が多く、女性を立てる<フェミニズム>の傾向が特
に強いそうです。1930年代の西洋文化の影響がその発端で、次に男女平等という
共産主義思想の浸透と共稼ぎの一般化が拍車をかけたと言います。ある人が「日
本人には信じられないでしょうが、シャワーが一般化する前は、帰宅した妻の足
を、よく夫が洗ってあげたりしたんですよ」と教えてくれました。驚きです。こ
れでは、平均的な日本男子はすべて<マッチョ>に分類されてしまいます。いま
だに<社奴>の傾向が抜けきらない、帰宅の遅い日本人男性ホワイトカラーと、
<孔雀名牌の働く女性>が結婚したら、上海での日常生活はいったいどうなるの
でしょう?                               
  以上
      
              (筆者は在上海・企業研究所研究員)

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