「中国人の日本観・日本人観(前編)」    

                            佐藤 美和子

  この数号、中国や深センの話題を自分の見たまま感じたまま、好き勝手に書き
連ねておりましたが、前号の投稿「オルタのこだま」にて、元日青協本部役員の
今井正敏さんより評価を頂き、とても恐縮しております。私一人、毛色の違った
のが紛れ込んだ格好で、ホントにいいのかなー?と思っていたんですよね。(笑)
 その今井さんより、「現在、日本語教師をされておられるとのことなので、佐
藤さんが教えておられる中国の人たちは、どんな「日本観、日本人観」を持って
いるのか、ぜひ教えていただければ」との課題を頂きました。

 実は今、わたくし求職中の身であります。深センのとある政府機関より、職員
向けの日本語教室をやらないかとの話を頂き、再就職予定だったのに……なんと
も中国らしい話というか、教室スタート直前になって、その話の依頼主である機
関のトップの人物がなんと収賄罪で逮捕!トップが転ぶと下にも何かと影響があ
るのでしょう、暢気に日本語を勉強している場合ではなくなったとの事で、私の
再就職は立ち消えとなってしまったのでした。とほほほほ~

 私はこれまで、中国の友人や生徒たちに彼らの「日本観・日本人観」をストレ
ートに尋ねたことがありません。というのは、逆に私自身が、初対面の中国人に
必ず「中国はどうだ?中国と日本、どっちがいいと思う?」という質問を受けて
困惑するからです。どっちがいいとかいう問題じゃあないですよね~。こういう
質問をされても、率直に中国の欠点を述べれば途端に機嫌が悪くなっちゃうし、
かといって中国を誉めたり日本の欠点の述べたりすると、「そうだろう、そうだ
ろう。経済面では負けているとはいえ、やはり歴史があり兄貴分である中国のほ
うがいいに決まっている」という、なぜか私の意図とは違った解釈をされてしま
うことが多いんですね(笑)。こういう中国人の反応?も、それはそれで面白いん
ですが……。しかしながらこの手の質問、的確な答えが得られずあまり意味がな
いと思うので、私自身は人にしないことにしています。

 そのため、これまでさまざまな時・場所・状況で彼らの口から聞いた何気ない
会話や体験の一部分を、年代順に2回に分けてご紹介します。その中から「中国
人の日本観・日本人観」の変遷を、垣間見ていただければと思います。

〔80年代半ば・北京〕

 これは、日本人の中国個人旅行が解禁されて間もない頃に女性二人旅をしたと
いう、私より中国歴の長い友人の経験談です。
 首都北京をカタコトの中国語とあまり正確ではない地図を手に観光中、道に迷
って通りすがりの人に道を尋ねたところ……誰に声をかけても、みな慌てて逃げ
てゆくのだそうです。誰も相手にしてくれないので仕方なく当てずっぽうに歩き
かけたその時、建物の影から手招きしている女性を発見!不審に思いながらも近
づくと、
 「さっきは無視してごめんね。外国人、特に資本主義国の人とおおっぴらに話
している所を見られると、いろいろ疑われてまずい事になるのよ。あなた方がさ
っき尋ねていた場所は、あっちのほうへ歩いていけばいいから、じゃあ!」
と声をひそめて教えてくれ、そそくさと離れていったそうです。当時はまだまだ
文革の後遺症を抱える時代、きっと一般市民には、「日本観」など考える余裕も
なかったのではと思われます。

〔91年・北京〕

 街中にクリーニング店がなかった当時、留学中の私は衣類を時折高級ホテルの
クリーニングサービスに持ち込んでいました。用を済ませて近道のホテル裏口か
ら出た所で、20歳そこそこといった若いボーイさん二人に声を掛けられました。
外国人との交流に色々と制限のあった時代ですので、残念ながらナンパではござ
いません。二人でモジモジしながら
「あなたは日本人か?自分たちは乾電池を買いたいのだが、最近は色々な日本メ
ーカー品が出回っている。一体どのメーカーの品質が一番よいのか、教えて欲し
い」

 乾電池1つを買うのに品質まで考えたことのなかった私は大変困り、音響や白
物家電ならそれぞれメーカーによって得意分野があるが、日本では乾電池はどの
メーカーも大差ないと思う。しいて言えば、ナショナルや東芝製品が一般的かな
ぁ?などと曖昧な答えをしたのにも関わらず、二人はとても喜んで何度もお礼を
言って仕事へと戻っていきました。
 若い世代の人からは、こういった日本製家電製品に関する質問(さすがに乾電
池について聞かれたのはこの時だけ、大抵カメラかウォークマン)以外にも、
Made in Japan に対する憧れをよく聞きました。今では年配者より若い世代のほ
うに、まるで見てきたかのように日本を非難する人が多いのですが、当時の若い
人からはぜんぜん反日感情など感じたことはありませんでした。色々言われるの
ではないかと身構えて訪中したこちらの方が、かえって拍子抜けしましたね~。

〔91~92年・中国各地〕

 留学中の長期休暇はいつも中国各地へ列車や長距離バスで貧乏旅行をしていた
のですが、必ず周りの中国人乗客たちは、まず私が持ち歩いていたガイドブック
に興味を示しました。中国にはカラー写真が掲載された書籍やガイドブックとい
うものが殆どなかった当時、観光名所の開閉館時間やホテル料金、名物料理レス
トラン案内まで事細かに載っているのに驚き、便利なものがあるものだと感心さ
れたものです(今は『地球の歩き方』のパクリとしか思えないソックリな本がた
くさん出回っています)。私のガイドブックは次々と同じ車両の人々の手に渡っ
てゆき、こうなると数時間、私の手元には帰ってきません。でも紛失したことは
一度もなく、自分の出身地の案内が載っていたと嬉しそうに報告してくれる人が
いたり、私の目的地を聞いてどこのホテルがいいかと尋ねてもいないのに議論し
てくれたり……。親しくなると、明らかに円やドルを持っている私より貧しいは
ずの彼らが食堂車でご馳走してくれたり、今では考えれないほどの人情路線でし
た。

 質問攻めにもよく遭いましたね~。山口百恵が好きだよ、ところで彼女のデビ
ューは何年だったかな?旦那の名前は何だっけ?(後から中国人に教えられて知
ったのですが、彼女のデビューは私の生まれた年でした。知るかい、んなもん~!
笑)、引退後の結婚生活は幸せなのか?(知り合いじゃないから、何とも……)
などなど、山口百恵シリーズの質問は定番でした。今では逆に、あまりにも最新
すぎる日本芸能界の話題を振られることがあり、それはそれで長らく日本を離れ
ている私には難しい質問ですなんですよね……。
 あとは着物の帯のお太鼓はなんの意味があるのか?(日本には着付け学校とい
うものがあるが、私は習ったことがないので自分で着る事ができないというと、
自分の民族衣装なのに?!と毎回仰天された)、または親の収入はどれくらいか?
生活費は月にいくらかかるのか?学費は?といった物価金銭関係も必須でした。

 ある時あまりに会う人会う人、金銭面の質問をするのでうんざりしてしまい、
「悪いんだけど、日本人にとって金銭の話題というのはマナー違反なんだよね。
だから親の収入なんて聞かれても私も知らないし、答えたくないよ」と少々邪険
に返事をすると、相手の二人の中年男性、
「ふーん、タブーなのかぁ。中国はそういう話題、ぜんぜんOKだよなぁ?やっぱ
俺たち中国のほうが開けてるんだなぁ~♪」
 そ、そういうことになるのかな???(笑)

 一つだけ、私にとって嫌な思い出なのですが……ある旅行先の町中でバス待ち
をしていたとき、10人近くの子供の浮浪者に取り囲まれてしまったことがありま
す。随分してからやっとそばにいた中年男性が、私の服のポケットやリュックに
手を突っ込もうとしている子供たちを追いやって、助けてくれました。ホッとし
てお礼を言おうと振り向くや否や、
「あんた日本人なんだろう?外国人ならたくさんお金を持っているはずだ、少し
ぐらい可哀想な子供たちにやったっていいじゃないか!」
とその男性に詰られてしまいました。

 その時はビックリして何も言えなかったのですが、後から悔しさがこみ上げて
きました。中国は人民みな平等の、社会主義国なんでしょ?ああいう子供たちが
いること自体、ひどく矛盾していることなのに、なぜその尻拭いを外国人に求め
るの?私はまだ学生で、親に養ってもらっている身。どうして私の両親が、一生
懸命働いて得たお金を強要されて、中国の子供にばら撒かなければならないの?
―――子供に囲まれたことではなく、理不尽な難詰を受けたことに恐怖を感じ、
それ以来、そこは私にとって二度と訪れたくないトラウマの街となっていました。

 ただ、昨年の反日デモの嵐を経験してみると、今のおかしくなった中国でなら、
「日本人は中国に対して賠償責任があるんだから、我々に金を出せ!」などと訳
のわからない理屈をこねかねない人もいます。でもあの時の男性は、「日本人だ
から」ではなく、「外国人=お金持ち」という認識で、ああ言ったのでしょう。
それに気づいた今、あのトラウマがほんの少し、薄らいだ気がします。反日デモ
によって気づかされたというのも、皮肉な話ですが。

 でもその経験以外では、国の変なところは見せられないとおおむね外国人を特
別扱いするところがあり、日本やアメリカなど外国の悪口は聞きませんでしたし、
日中関係の話題を振っても「いや、政治方面は不案内でね」と急に顔がこわばっ
て必ず話題を変えられ、つっこんだ話はまったくできない時代でした。
 この頃は、単に日本人というより、「外国人としての」日本人に興味津々とい
う雰囲気でした。とにかく海外のことに興味はあっても、限られた情報しかなか
ったんですね。好き嫌いを判断するほど、まだ十分な日本の情報を持ち合わせて
いないという感じで、明確な彼らの日本観、日本人観を感じたことはありません
でした。

 次回は96~97年、そしてこの数年の対日感情についてお話します。

                 (筆者は在中国・深せん)