【書評】

『国家と秘密 隠される公文書』

久保 亨・瀬畑 源/著  集英社新書(2014) 定価720円

藤生 健


 昨年12月に特定秘密保護法が施行されて半年になる。さらに今年3月には、政府の特定秘密の指定や解除が適切かをチェックする国会の監視機関「情報監視審査会」が発足したが、その会長は衆参ともに自民党であり、実効性は疑わしい。沖縄では、米軍普天間基地の辺野古移設に伴い緊迫した状況が続いているが、例えば市民が行った県道70号の共同使用の合意文書の公開請求について、県が開示を決めたのに対して、国が開示は違法として決定の取り消しを求める訴訟を那覇地裁に起こしている。「秘密保護」の名の下に秘密の範囲が際限なく拡大してゆく恐れがあることを示している。

 2013年に特定秘密保護法案が審議された折、反対運動の中で「知る権利が侵される」「戦前に逆戻り」という声が聞かれたが、既存の情報公開や公文書管理の制度は十分なものと言えるのだろうか。戦後日米外交史の研究は、その資料の多くを米国公文書館に依存しているが、それは日本側で公開されていない資料が米国で続々と公開されているためだ。日本で情報公開法が施行されたのは2001年のことで、公文書管理法が施行されたのは2011年のことだったが、それからわずか3年で秘密保護法が施行されるところとなった。

 本書は日本における情報公開と公文書管理体制の実態を解説するものだが、類書が殆ど存在しないという点で非常に貴重な一冊となっている。このことは、日本において公文書あるいは公文書管理という視点が極めてレアなものであることを示している。本書は新書という点でやや物足りないところはあるものの、情報公開と公文書管理の歴史と関係性を端的に説明した上で、特定秘密保護法がどのように影響するのかについても問題提起しており、入門書としては他に代えがたい一冊である。

 2011年に公文書管理法が施行されたものの、保存されるべき文書は選別されておらず、公文書館に移管されていないため、過去の政府の意思決定過程を検証するためには、文書を持っている各省庁に問い合わせるしかない。だが、現実には文書の一部が省庁や官僚個人の手元に保管されている以外、その大半が棄却されてきた。

 1980年代から90年代にかけて問題になった薬害エイズ事件では、民事裁判の過程で厚生省の倉庫から関連ファイルが発見、公開されるに及び、国の行政責任が明らかにされた。仮に一連の文書が整理されて、市民に公開されていたら、はるかに早く解決していた可能性が高い。当時、国会では山本孝史議員が厚生省調査チームの中間報告を読んで、そこに挙げられていた参考資料の数点を閲覧請求したところ、省側は言を左右にして許可せず、議員が「委員会で質問する」と言うに及んで急に態度を変えたという。その後、さらに未公表の資料が「発見」されている。なお、いわゆる「郡司ファイル」は事件当時の生物製剤課長の手書きメモで、当時の定義では公文書には該当しない。

 適切な情報開示と公文書管理が伴わないと、行政の責任を問うことが出来ない。欧米の場合、公文書が公開され、日付や作成者が明記されているため、一人一人の官僚も責任感を持って政策判断せざるを得ない状況がある。

 近代日本の歴史は公文書廃棄と情報隠蔽の歴史でもあった。1945年8月の敗戦に伴い、軍だけでなく外務省、文部省、内務省などが機密書類の焼却を命じ、戦争責任追及のための証拠の隠滅が図られた。実際に巨大な文書が焼却され、例えば学徒出陣した学生の正確な数すら分からなくなっている。

 また、東京裁判は証拠文書の不在から容疑者や関係者の証言に依拠せざるを得なくなり、日本側の意図が大きく反映されるところとなった。日本では公文書が公的財産や国民の共有財産のように考えられず、官僚や政治家が私物化する傾向があり、恣意的な扱いがまかり通っている。慰安婦問題や満州におけるアヘンの密造・密売問題に象徴されるように、「文書が存在しない」ことを理由に歴史の捏造が図られ、それが文書廃棄のインセンティブになってしまっている。

 実際には証拠隠滅だけでなく、「物資再利用」「空襲被害軽減」などの観点から終戦前に文書廃棄が進められている。1944年2月25日に閣議決定された「決戦非常措置要綱」において、「保有物資ノ積極的活用」として明文化された。同27日の軍需省の通達には「永久保存文書ハ必要最小限ニ止メ、従来ノ保存期間ハ極力縮減スルコト」とあり、続く28日の次官会議では「官庁ノ文書ニ徹底的ニ再検討ヲ加ヘ真ニ必要ナルモノ以外ハ総テ之ヲ廃棄スルコト」を始めとする徹底的な文書廃棄が決められ、地方行政機関に通達、これを受けて県や市町村でもさらに大々的な廃棄処分が進められた。

 さらに44年も終盤になると、米軍機による本土空襲が始まり、45年に入ると疎開が始まり、さらに人員が枯渇して「可燃物は徹底的に整理」といった方針が定められた。愛知県の場合、終戦前の7月にも9500冊からの公文書を古紙再生業者に売却している。また、大分では同7月16日に県庁が米軍機の空襲による直撃弾を受けて半壊している。愛知県の場合、それまでにすでに県が保有する公文書の大半を処分していたが、8月18日からさらに残っていたわずかな文書の廃棄・売却が進められた。今日、愛知県公文書館が所蔵する明治以降の戦前期の県関係公文書は、権利関係を証明するものわずか350冊に過ぎないという。

 現代にあっても、情報公開法施行の前年に当たる2000年に、前後年と比較して著しく大量の公文書が廃棄されていたことが後日判明、不都合な文書の一斉廃棄がなされたものと考えられる。NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の調査によれば、外務省が廃棄した文書は1997年度には約200トンだったものが、2000年度には約1280トンも廃棄されている。また、同法施行後にあっても、防衛秘密の廃棄は続いており、その数は2007〜11年の5年間で計約3万4300件に上ることが判明している。自衛隊に関する防衛秘密のうち、秘密指定の解除後に国立公文書館に移され保管されている文書は一件もないことを示している。

 イラク戦争時における航空自衛隊による輸送活動は「国連の人道支援協力」という名目でなされていた。そこで市民団体が輸送物の内容について情報公開請求を行ったところ、黒一色の文書が開示された。2009年に民主党政権が成立したことを受けて、再度開示を求めたところ、実は輸送物の69%が武装した米兵であったことが判明した。集団的自衛権と秘密保護法のコンビが恐ろしいのは、「中東における大量破壊兵器の存在は日本にとっても脅威だ」という筋書きが政府によってつくられ、「大量破壊兵器は存在しない」という情報が隠蔽される一方、「大量破壊兵器がある」という情報のみが開示されて脅威が煽られ、自衛権の発動が正当化されてゆく点にある。こうなると、市民として国家の施策を検証する術が失われてしまう。

 18世紀半ば、フレンチ・インディアン戦争で財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地からの砂糖に課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発してしまった。その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートしたのだ。

 政府の戦争遂行に対して、主権者あるいは納税者の立場から監視と統制を行い、正当な支出であるかどうかを検証するのが本来の議会の役割であり、その権限を強化してきたのが議会史の根幹だった。外交と戦争の情報が秘匿されるというのは、デモクラシーと議会制度に対する明らかなる逆行であり、行政府の暴走を許すことにしかならない。

 (筆者は政治評論家)