■【書評】

『日本政治「失敗」の研究』坂野潤治著

          講談社学術文庫 定価1000円
                           山口 希望
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  坂野潤治による本書『日本政治「失敗」の研究』は、明治維新以来の日本の立
憲政治における「失敗」の研究である。初版は2001年に出されたのだが、出版社
の倒産により長く絶版となっており、今年3月に講談社学術文庫版として再版さ
れたものが本書である。その内容の先進性と普遍性は、2009年政権交代後の今こ
そ読まれるべきものである。

 いうまでもなく坂野氏は、日本近代政治史の泰斗である。近年では学術書ばか
りでなく、本書をはじめ、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま親書)や『明治デモ
クラシー』(岩波新書)などによって広く読者を獲得し、わが国におけるデモク
ラシーを明治以来140年の「伝統」としてとらえた「坂野史観」を広めておられ
る。
 
  過日、本誌『オルタ』代表の加藤宣幸氏から、書評の依頼をいただいたのだが、
たまたま原著を購読していた評者は、その時宜に適った再版を知ったのである。

 わが国の議会制民主主義は、長くゆがめられたものだった。明治憲法下では、
総理の指名も元老による奏請によるものであったし、野党や無産運動に対しては
選挙干渉や弾圧もあった。戦後においてさえ、CIAから自民党や民社党への資金
提供があったことは、ティム・ワイナー記者などの取材で明らかになっている。
社会党にも、各派閥において友好貿易と称してソ連や中国からの資金が流れてい
たことは否めない。

 ところが、こうしたアンフェアな政治土壌が解消されたと思われる原著出版時
(2001年)においてさえ、なお自民党の一党優位体制が続いていたのである。著
者は、「総選挙の結果、野党が過半数を獲得して政権につくという情景には、死
ぬまでお目にかかれないのであろうか」(26頁)と慨嘆していた。
 
しかし、ついに2009年8月30日に行われた第45回総選挙では、日本で初めて民
意による政権交代が実現したのである。民主党は絶対安定多数の308議席を獲得
し、第1党の座についた。過半数を超える政党が入れ替わったのは戦後初のこと
である。かつて、初の非自民政権であった93年の細川護煕連立政権は、小沢一郎
主導による自民党の分裂によってもたらされたものだった。

 すなわち、第1党と第2党の逆転という、ナショナル・スウィングによるもの
ではなかった。このため、昨年の政権交代は、55年体制成立以来、初めての本格
的な政権交代であり、2009年体制の成立といってもよいものであろう。
 
  昨年の総選挙では、55年体制成立以降、一貫して第一党であり、細川・羽田政
権を除く全期間において政権与党だった自由民主党が下野し、野党民主党に第一
党の座を譲った。民主党と自民党の議席占有率は実に89%であり、二大政党制も
定着したかにみえる。

 「死ぬまでにお目にかかれない」と歎いていた坂野氏は、思いもかけず「総選
挙の結果、野党が過半数を獲得して政権につくという情景」を目のあたりにして
満足しただろうか。結論を先取りしていえば、答えはノーというべきであろう。
 
  坂野氏は、自民党と民主党による二大政党制は、「保守党」(自民党)と「自
由党」(民主党)であると捉えている(自由党とは、イギリスでは1920年代に労
働党に二大政党の一角を譲ったホイッグ党のことである)。しかし、坂野氏が期
待するのは、イギリス型の二大政党制、すなわち「保守党」対「労働党」であっ
て、民主党は「労働党」と見られていないのだ。つまり、昨年の総選挙の結果は、
筆者の「日本では何故に社会民主主義政党が育たないのであろうか」という疑
問への答えになっていないということになる。
  坂野氏は、以下のように述べている。

 「社民党」的要素を加えた民主党が「保守党」の自民党と二大政党制を形成し
て、初めて「政治改革」の名に値する変化が生じる(26頁)。

 すなわち、「民主党が「社民的要素」を吸収して二大政党制を実現する以外に、
国民の政治的関心を高める道はない」(43頁)のである。にもかかわらず二度
目の非自民政権である鳩山政権は、細川政権よりもわずか3日多いだけの266日で
退陣に追い込まれ、菅直人政権に道を譲った。連立の一角であり、一蓮托生であ
るはずの社民党が、普天間基地問題で鳩山首相の決断を支持しなかったのである
(社民党の「離脱癖」には苦言を呈したい)。

 鳩山連立政権から社民党が離脱した現在(社民党が実際に社民主義的かどうか
はここでは問わない)、坂野氏が目指していた「労働党」政権は一歩後退したこ
とになる。しかし、「実は戦前日本では社会民主主義は結構育っていた」(26頁
)ことを「敗者の栄光」として分析する本書の有効性はいささかも失われていな
いのだ。
 
  本書が対象とする期間は、「英国流の議院内閣」論の元祖である1879年の福沢
諭吉『民情一新』を読み解くところから、1937年の日中戦争勃発による政党政治
の終焉までが描かれている。天皇制の下での民主主義を追求した吉野作造の「民
本主義」や戦前の無産政党の動き、ロンドン海軍軍縮条約における浜口内閣のリ
ーダーシップにみられる政党内閣の成熟など、「正史」からは伺いえない「敗者
の栄光」がつぶさに描かれている。その筆致は他の追従を許さないものである。
 
  坂野氏は、天皇制を与件とした「民本主義」によって悪名高い吉野作造や、陸
軍と手を組んで資本主義改革を行おうとした戦前の社会大衆党が、戦後民主主義
の系譜の中では全く評価されてこなかったことに異議を唱えている。坂野氏は、
こうした通俗的な理解に対し、実際に吉野によって「書かれたもの」、社会大衆
党によって「なされたこと」を分析することによって、その社会民主主義の「伝
統」を立証する。「戦争とファシズムの時代」と一括りにされている戦間期の日
本においても、その歴史は平板なものではなかったのである。
 
  本書を貫くもう一つのテーマは、「それぞれの時点で日本の民主化につとめた
人々が、自己に先行する民主主義者の努力にまったく関心を払わなかった」とす
る、「近代日本の思想家の通弊」を打破することである。
  それは、「平和」「民主主義」「社会民主主義」を戦後六〇年の根の浅い「伝
統」としてではなく、「明治維新以来一四〇年の「伝統」として位置づけ直そう
」(224頁)というものだ。
  しかしながら、日本では民主化の努力は常になされてきても、民主化そのもの
の伝統化の努力はなされてこなかった。坂野氏は次のように憂う。

 明治二〇年代の徳富蘇峰は一〇年前の福沢諭吉の思想から何も学ばず、大正三
年の吉野作造は明治二〇年代の徳富の二大政党論を全く知らずに徳富を批判し、
昭和三三年の信夫清三郎は吉野作造の「民本主義」を徹頭徹尾曲解して批判した
(43頁)。

 さらに平成の佐々木毅もこの非・連続線上に位置づけられる。しかし、浅薄を
承知でいえば、筆者が「英国流の議院内閣」論の元祖とする福沢もまた「脱亜入
欧」の人である。本誌77号【河上民雄20世紀の回想】「第5回 勝海舟の遺言」
で、河上民雄先生が福沢と勝海舟の違いを論じておられるので参照されたい。か
つて柄谷行人が指摘したように「日本の知識人は、彼方を規範とし、こちらを不
完全で彼方に到達しようとしてできない状態としてみる「不幸な意識」(これこ
そプラトニックな構図である)にあった」(『批評とポスト・モダン』)が、今
もあるのだ。
 
  しかしながら、著者が根の浅い戦後民主主義に対して、明治以来140年の社会
民主主義の伝統を対置したことは、非・連続を伝統として組み替えるだけでなく、
敗者を通じて未来を照射する画期的な作業なのである。
 
ところで、著者の理想とする「英国の議院内閣制」論は福沢諭吉に端を発し、吉
野作造の二大政党制論と社会民主主義に連なる。しかし、当時の選挙制度は中選
挙区制(単記非委譲式=SNTV)であり、この制度は比例代表制に準じた投票結果
が出ることが川人貞史によって明らかにされている。著者の評価する二大政党制
が実現した昭和初年の3回の総選挙は、護憲三派内閣における妥協の産物である
中選挙区制によってもたらされたものである。

それは、当然に多党化を伴うものであり、無産政党の躍進も選挙制度と無関係で
はない。そして、1936年と37年の総選挙結果は、社会大衆党の躍進とともに、第
一党の民政党が過半数を獲得できないというハング・パーラメントだったのであ
る。現在のイギリスの保守・自民連立政権がそうであるように、ハング・パーラ
メントでは少数党がキャスティング・ボートを握る。ところが、議院内閣制が確
立していなかった当時の日本では、その隙を突いたのは、少数政党ではなく、軍
部だったのだ。それが国土を灰燼に帰する悲劇を招来したことは万人周知の事実
である。
 
ひるがえって今日の日本では、日本国憲法の下、議院内閣制が保障されている。
しかも1996年以降は小選挙区比例代表並立制が導入され、選挙制度も二大政党制
が予定されることなった。坂野氏の理想とする「保守党」対「労働党」による二
大政党制の土壌は整備されたのである。

しかし、先に述べたように社民党が政権を離脱して発足した菅政権は、「労働党
」の要件を欠いているといえるかもしれない。民主党が社民党を吸収できれば、
「初めて「政治改革」の名に値する変化が生じる」ことになるだろう。このまま、
民主党が「自由党」として、保守二大政党の一角に甘んじるのならば、坂野氏
は日本人を「常情」の国民として歎くことになろう。

本書冒頭に引用されている、1890年に徳富蘇峰が記した、「歴史的にみて日本人
は、善事にも悪事にも「常情(コモン・センス)」の外に出たことがなく、出る
のを欲したこともなく、出ようとしても出られない国民である」(13頁)との古
びた予言から脱するべき時である。
 
自国の歴史に学ばない日本の民主主義に警鐘を鳴らしつつ、その失敗の歴史に学
ぼうという坂野史観は、「勝者の歴史」からは見出しえないものである。著者の
「敗者の栄光」を既成の歴史観に対置するならば、勝者の歴史とは過ぎ去った「
過去の栄光」であろう。「敗者の栄光」の分析こそが、未来と向き合う歴史を教
えてくれるのである。本書は、そのための最良の道標となるだろう。
 
  なお、坂野氏は、わが国における唯一の社会民主主義政権は片山哲内閣であっ
て、「村山富市政権を社会民主主義政権と呼ぶ者は当事者以外にはいないであろ
う」(30頁)と一刀両断している。評者は当時、社会党および社民党事務局にい
た、まさに「当事者」である。村山政権下で、社会民主主義的政策が「結構育っ
ていた」ことについて、「敗者」の立場から語らなければならないという、強い
義務感を感じる。
(筆者は法政大学大学院政策科学研究所・特任研究員)

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