中国・深セン便り 

『春節・張家界旅行記 その3』    佐藤 美和子

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 2013年2月初旬の春節休暇に訪れた、湖南省張家界旅行記の最終編です。

 久々の旅行だったので、張家界では少し贅沢をして、5つ星ホテルを利用しま
した。バスタブもあって湯量もたっぷり、部屋も広々と清潔で、なかなか快適に
過ごせました。

 その快適なホテルでトラブルが勃発したのは、宿泊3日目の朝でした。
 20年ほども前ならば、中国でもホテルに限らず高級な場に出入りする人は、相
応の振る舞いができる人か、もしくは周りの状況を見てとれる人ばかりだったよ
うに思います。ところが今は、あまりに急激にお金持ちになりすぎて、マナー方
面はどこかに丸ごと置き忘れてきたような人々も、大挙して現れてしまいます。
社会常識や公共ルールはまるで無視、平気でその場にそぐわない行動を取っちゃ
うんです……。

 その朝も朝食をとろうと朝食ブッフェ会場におりて行くと、人だかりが会場レ
ストランの入り口を塞いでいました。来場者の宿泊部屋番号をチェックし、テー
ブルへ案内する係りの二人のスタッフを、7~8人の宿泊客が取り囲んでかわるが
わるに怒鳴りつけていたのです。

 スタッフは一体どんなことをやらかしたのかと見ていると、前日から急に宿泊
客が増えたため、朝食会場が二つのレストラン会場に増やされていたことが原因
のようでした。その日の朝からは大きな会場はツアー客用にあてがわれ、我々の
ような個人客は、小さなほうの会場に振り分けられていました。

 ところがツアー客の彼らによると、その大きなほうの会場でも座席が足りず、
テーブルが空くまで待たされるのが不満だ、とのこと。小会場のほうは空きがあ
るのだから、自分たちをそちらで食べさせろ、と騒いでいるのでした。

 ホテルスタッフは、申し訳ないが、ツアー客用と個人客用では朝食内容が違っ
ており、一部のツアー客だけを優遇するわけにはいかないので……と丁寧に断り
ました。しかしツアー客はこれを聞いて、差別だとこれまた大騒ぎ。スタッフが、
ツアー客の支払う料金には実は朝食代は含まれておらず、ホテル側からのサービ
スとして提供しているものだ、個人客が自ら料金を負担している料理をツアー客
にタダでは提供できないのは仕方の無いことで、決して差別しているわけではな
いと内情を暴露しても、彼らは激昂していくばかりです。とうとう、頭に血が上
りすぎた一人が、女性スタッフの顔を殴ってしまいました。

 何を置いても自分が得することしか考えない。自分の要求が通らないことに我
慢できない。威圧的な態度で相手を押さえ込もうとする。激昂しているように見
えて、実は手を出すときは男性スタッフではなく弱い女性スタッフをしっかり選
んで暴力を振るう。先月号に書いた、我先に突進する人々といい、本当にどうす
ればいいんでしょうね。

 当の中国人たちは、教育でモラルが改善するとか、日本人だって戦前は野蛮で
道徳観念に欠けた人々だったのだから、中国も日本と同じように経済がもっと発
展すればモラルもあがっていくはずだ、と言うんですが……。いずれにせよ、朝
に弱くて薄らぼんやりな私には羨ましいことに、中国人は朝っぱらからケンカが
できるほど精力的で元気です(笑)。

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 張家界では、私たちは初日に食べた『農家楽』風レストランの食事が気に入り、
毎日あちらこちらの『農家楽』レストランを渡り歩きました。『農家楽』とは、
中国が豊かになってしばらくした頃に出現した、懐かしい故郷を連想させる中国
式田舎風リゾートやレストランのことです。

 都会では日々時間に追われてあくせくし、また日ごろ出来合いの加工食品を多
用した食事をしていると、『昔ながらの』、『伝統的な手法の』、『ホームメイ
ド』などといった言葉に魅力を感じるものです。そこで、都市部の喧騒を離れた
郊外や自然豊かな地方観光都市では、観光客向けの『農家楽』風の宿やレストラ
ン、体験型アトラクションがたくさん作られるようになりました。

 張家界市でもっとも人口の割合を占めるのは、土家(トゥージャー)族という
少数民族です。そのため張家界の農家楽レストランの料理は、土家族風が多いの
だそうです。

 どこの農家楽レストランも、農家の家屋風に建ててあり、木製テーブルの下に
は土家族独特の炭火の掘りごたつが作られていました。掘りごたつといっても日
本とは違ってコタツ布団がなく、屋内でも土足生活で椅子に座るので、ゴロンと
横になってくつろいだりは出来ません。でも、じんわり温かい炭火と炭の焼ける
香りが、ほっと心を落ち着かせてくれます。日本にまで影響を及ぼしているPM
2.5や大気汚染のことを考えれば、これから将来、この伝統的な炭火コタツも無
くなっていくのかも知れません。

 農家楽のメニューは、野菜料理が豊富でした。ただし都会のレストランとは違
い、知らない野菜名が入った料理をためしに注文しようとすると、それはシーズ
ンじゃないから出来ない、これは一日に限られた量しか作られずもう売切れてし
まった、というのが多々ありました。つまりその時期にその土地で出来る野菜や
山菜のみを使った、地産地消料理なのです。

 例えば豆腐は自家製で、その日の朝に大豆を石臼で轢くところから手間をかけ
て作っているため、売切れても簡単には追加が出来ません。そんな風にありつけ
なかった料理がたくさんありましたが、却ってまた別のシーズンに再訪しなくて
は!と思わせられるものがありました。

 肉類は、ほとんどが『〓(月+昔)腸(ラーチャン)』や『〓(月+昔)肉
(ラーロウ)』と呼ばれる、中華風のサラミやスモークベーコン、もしくは土鶏
(地鶏のこと)を使った料理がほとんどで、季節の野菜とあわせて炒めたり鍋に
したりします。〓腸や〓肉は広東省でもよく食べられており、特に〓腸サラミは
東莞産が有名です。

 広東省のそれらは砂糖をたっぷり入れて作られた甘みの強いサラミやベーコン
なのですが、さすがに激辛料理で有名な湖南省・張家界のものは甘くありません。
また、天日に干して作られる広東省のものと違い、張家界のものは屋内の炭火コ
タツの上に吊るし、炭火でじっくり燻して作られるのでスモークがよく効いてお
り、私が普段食べ慣れている広東省のものとは一風違った深い味わいでした。

 私はこのスモークベーコンが気に入って毎回注文していたのですが、地元出身
の店員さんによると、こんな肉料理が日々食べられるようになったのはこの10年
あまりのことなのだそうです。彼女らが子供の頃は、肉料理が口に入るのはわず
かに年一回、春節のご馳走のみ。張家界が観光地として整備されるまではとにか
く貧しく、少量のお肉を大事に少しずつ食べるにはスモークして長持ちさせるし
かなかった、だからここの料理にはサラミやスモークベーコンが多用されている
のだ、とのことでした。

 またとある農家楽レストランでは、なんとメニューがありませんでした。テー
ブルに着く前に、店員さんに厨房脇の棚に連れて行かれます。棚に並んだかごに
入った野菜や豆腐、地鶏卵をお客が選び、調理法や味付けもお客が決めて注文す
るというスタイルなのです。田舎のレストランや海辺の海鮮料理レストランにこ
のスタイルのお店がちょくちょくあるのですが、こういう注文方法は、外国人の
我々には難易度が高すぎますよね~(笑)。

 最終日には、『窯鶏(ヤオジー)』を食べに行きました。その場でつぶした地
鶏にネギなどの詰め物をし、トリ皮にしっかり調味料を揉みこんだものを、土窯
で蒸し焼きにするワイルドな料理です。いわば、中国式タンドリーチキンです。

 ただし悪徳店も多く、庭を歩き回っている地鶏をお客に選ばせておきながら、
実際には冷凍庫から病死した鶏を出してきて調理するような店もあります。なの
でこれを注文するときは、どんなに嫌がられても調理場や調理人から離れてはな
らないのです。信頼がない社会って、色々と面倒臭いです。

 私たちが行った店の調理法は、よく熱した土窯の中にさらに焼いた石をゴロゴ
ロとたくさん放り込み、そこに下ごしらえしてアルミホイルでくるんだ丸鶏を入
れ、じっくり蒸し焼きにするというものです。蒸すだけで、小一時間もかかりま
す。

 しかし出来てきた『窯鶏』、お腹をすかせて待った甲斐は十二分にありました!
 鶏用の飼料は与えず、庭の雑草やミミズや人間の残飯を食べて育った地鶏なの
で、ブロイラーに比べ随分細身で小柄です。身がとてもしっかりしているのに、
不思議と肉質は固くありません。そして口中でじわっと染み出てくる油や肉汁の
甘いことと言ったら! 今まで食べたチキンの中でも、これはダントツの美味し
さでした。

 そのお店で地鶏やあれこれ食材を選んでいるとき、こんなこともありました。
私にはニワトリの見極めや注文方法は難しいので、厨房を出て、前庭で門のほう
をじっと見つめている泥だらけの子犬を眺めていました。すると私の視線に気づ
いた調理人が、声をかけてきました。

 「あぁそうそう、あんた達が来るほんの10分ほど前のことなんだけどね。番犬
だったその子犬の母犬、ウチのすぐ前で車に轢かれて死んじゃったんだよ。もう
さばいてあるから、犬肉の炒め物もできるけど、どうだい?」

 20年前、私は北京の朝鮮料理レストランで友人らに騙されて、犬肉料理は既に
食べたことがあります。あまり美味しいとは感じませんでしたし、イタズラで騙
されたことに文句は言いましたが、それは他国の食文化なので、牛豚鶏といった
家畜以外の肉を食べることに私はさほど嫌悪感も抵抗感もありません。

 私にとってそれが何の肉かが問題なのではなく、あの門の外をじっと見つめて
悲しそうにしている子犬を見て思い出したように、その母親を食べないかとさら
っと声をかけられたことに、心底仰天しました。轢いた車はさっさと逃げちゃっ
て、弁償させることも出来なくてさぁ~とぼやく調理人にも驚いたし、すぐに回
収してさばいたという話にもたまげたし、ましてそれを客に勧めちゃうことにも
ビックリでした。ほんとうに食文化って、果てしなく深遠なのですね……。

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 さて春節6日目の朝、張家界を出発し、また高速道路を飛ばして一路深センを
目指しました。帰路は予想通り、往路よりだいぶ混雑していました。広東省に近
づくにつれ、渋滞が何度も発生するようになり……とうとう広東省に入った辺り
で『事故のため 約2キロにわたって道路封鎖中』という案内板が出てまもなく、
車は完全にストップしてしまいました。

 状況がわからず、道路交通局にも電話してみたのですが、どうしてもつながり
ません。回りの車も完全に停車しており、みな車を降りて手足を伸ばしたり、少
し歩いて先のインターチェンジへトイレ休憩に行ったりしています。そこにすか
さず!天秤棒を担いだおばさんたちが、どやどやっとガードレールを乗り越えて
高速道路に入り込んできました。

 彼女らはそれっと散らばり、天秤棒に担いできたカップラーメンやスナック菓
子を売り歩き始めました。なんとタイムリーで見事なチームプレイ! きっとテ
レビかラジオで道路封鎖のニュースを聞きつけ、急いで商売にやってきたのでし
ょう。

 私達は十分な食料を準備していたのですが、おばさんたちから食べ物を買って
いる人たちもたくさん居ます。身動き取れない状態だし退屈だしそろそろ夕飯時
だし、きっとあのカップラーメンものすごく吹っかけられるよね、スーパーで3
元くらいだけど20元は取るんじゃない?と予測して、一人の売り子さんに尋ねて
みました。

 ところが彼女らはそこまで阿漕ではなかったようで、7元とのことでした。確
かに6倍も吹っかけられたら買うのをためらっても、倍くらいなら買っちゃう人
は大勢いるでしょう、なかなか上手い値段設定です。天秤棒の反対側には、ちゃ
んとお湯の入ったポットも吊り下げていて、カップラーメンを買えば無料で入れ
てくれるとのことでした。「カップラーメンは安めにしておいて、実はお湯の値
段がすごい高いんじゃない?」なーんて疑った私達一行、相当腹黒い商売人たち
に毒されていたみたいです(笑)。

 道路封鎖は1時間ほどでなんとか解除され、前方の車が少しずつ動き始めまし
た。やれやれと私達の車もエンジンを入れてスタートしようとした途端、前方か
らぶわっと強風と共に大量のレジ袋や菓子類の包み紙、カップラーメンの調味料
袋などがこちらに飛んできて、びっくりしました。止まっていた車列が一斉に動
き出したことで風が巻き起こり、道路に大量に打ち捨てられたゴミが一緒に巻き
上げられたのでした。

 一瞬視界を遮られるほどの、大量のゴミ……。中国人が公共の場所を立ち去っ
たあとの惨状はテレビなどでよく見ていましたが、実際にこの目で見てみるとも
のすごい迫力でした。私達は車内にゴミ袋をいくつも用意していましたが、一般
的な中国人は、長距離運転するのにもそういう準備の必要性は感じないようです。

 中国人が言うように、中国経済が日本に追いつきさえすれば、本当にこの状態
は改善されるんでしょうか。経済面で追いつき追い越されるのはそんなに遠い話
ではないように思うのですが、道徳やマナーのほうが追いついくのは、なんだか
夢物語なんじゃないだろうか……と、最後に改めてガッカリした旅となってしま
いました。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語講師)
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