【編集事務局便り】219

■今月は、栗原氏から「1930年代」論と野党戦線」をいただきました。
2月24日に始まった「プーチン」によるロシア軍のウクライナ侵攻については、平良氏の「沖縄の地鳴り」、岡田氏の「海峡両岸論」「酔生夢死」、大原氏の「大原雄の『流儀』」、大賀氏の【アフリカ大湖地域の雑草たち】でご考察いただいています。また毎月の様々なご寄稿をありがとうございます。

■ウクライナ侵攻は、3月20日現在、停戦されることもなく、どのように収まるのか、その収束の方向も見えないまま、何の罪もない、一般市民の犠牲者が増えるばかりで心が痛みます。なんとか早く収束してほしいという願うばかりです。

■遠い国ウクライナですが、2016年にたまたま訪問をしたことがあります。

オーストリアで働き、仕事で東京へきたウクライナの若い女性ユーリアが、鎌倉を訪問して、鎌倉のように静かで美しい古都がウクライナにもあるからぜひ来てほしい、といわれ、その言葉に誘われて、2016年春のウクライナの首都キエフと世界遺産都市リビウを訪問しました。

5月初旬に訪問したキエフは、市の木であるセイヨウトチノキの大木が花を咲かせていました。ちょうど東方教会の復活祭を祝う、色とりどり、様々なデザインの大きな卵が教会前に飾られて華やかな街を、春の陽気に誘われた人々が散策している時期です。

古都リビウは、キエフの西500㎞、ポーランド国境まで70㎞に位置する。アルメニア人やユダヤ人の教会もあり、オーストリアハンガリー帝国の支配下に入ったり、ポーランド領下に入ったと思えばドイツが攻め、ロシアに解放され、そして独立する、さまざまな民族の行き交じる場所で、1500年あまりに入れ替わった文化と流された血が、500m四方の街の中心に積み重なり凝縮し、その断層が見えかくれするようでした。

オペラ座はヨーロッパで三番目に出来た劇場で、ヨーロッパで初めてガス灯を作ったウクライナ人(の像)は窓から乗り出し、ウインナー珈琲も、元々はウクライナ人が紹介したなど、ある時期繁栄しヨーロッパの中心的な都市であったのかもしれないと感じました。シアター通りには、いくつもの劇場があったが、それは政治的に利用を禁じた教会を建替て、あるいは利用方法を変えて、劇場として使っているためという。民族・文明の交差する土地の知恵なのでしょう。文化は平和を支えています。

古い歴史的遺物を生かし、新しい感覚で自由に発想した居心地のよい広場やカフェもたくさんあり、うまく歴史と現代をミックスして魅力的な都市になっていると感心しました。多くの若いツーリストが訪れているのが印象的でした。

今、あの緑豊かな都市キエフは、ロシア軍に囲まれ、歴史の街リビウは、ウクライナからポーランドへの避難民たちの通過点となっています。
いつの時代も、近隣諸国や民族の動向に大きな影響を受けてきた地域であるだけに、人々はたくましいと思います。でも、平和で穏やかな生活が早く戻るように、祈り続けるばかりです。

画像の説明
左から。リビウの復活祭の卵、バレー劇場前のテント、「ドア」のたくさんある喫茶店

■寒かった今年の冬も終り、そろそろ東京の桜も開花日を迎えます。また、明日21日には各地に出されていた「まん延防止」も解除となるようです。心置きなく、春の暖かさと桜を楽しめます。同時に感染対策もお忘れなく。来月にはウクライナの情勢も落ち着いていることを願います。

(2022.3.20)
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