【コラム】
1960年に青春だった!(21)
あなたが話さないならわたしも黙って待つ
有名な「To be or not to be, that is the question.」の話ですが、『明治翻訳文学全集』の第1巻にこんな見事な訳文例が載っているそうです。
「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」
文学史上もっとも有名なこのフレーズ、今日は「生か、死か、それが問題だ」の直訳から意訳の極みのような苦心の作まで数10の和訳が出揃っています。
ボクは10代のころ教科書で出会い頭に覚えたノが好きですね。
「長らうべきか、死すべきか、それは疑問だ」
気どった文語調ナガローベキカと喋り言葉のようなギモンダとのギャップが可笑しくて、頭中で転がしているにうちに馴染んでしまいました。
しかし程なくして、このハムレット式のロジックそのものが馴染めなくなりました。学級会のような場で物事をみんなに諮って決めるとき、「AかBか」とか「賛成か反対か」とか二者択一の設問は乱暴じゃないか。
ちょっと待ってよ、他にないのか。そう言うと周りのみんなは、なら例えば? とせっついてきます。待てないんですね。
両方であるという道はないのか、どちらでもないという策はないのか、と言うとみんなはキョトンとする。この期におよんでしょうもないこと言うヤツだな、と眉間にしわをよせる。しばし待って別案を見つけようという辛抱ができないんですね。
Aはこういう不具合もありうるぞ、Bにはこれこれのリスクも想定されるぞ。第3の道を考えようよと提案すると、話をネガティブに考えるヤツだとか、コイツがいると事がスムースに進まないとか。みんなの耳元で効率主義という悪魔が囁くんですね。
ボクはAよりもBよりももっといいCの創造を待とうという建設派なのに。
「待つ」ということは、民主主義がそうだといわれるように時間と手間がかかることなんですね。全体主義のように割り切れば順調に事がすむと勘違いする。
夜中に路上飲みで騒ぐ若者の中に「我慢の限界」と解説する訳知り顔がいます。「我慢の限界」だ?
「我慢の限界」てぇのは、何日も重症病患者用ベットで人工呼吸器くわえてる人が、それでも吐き出すのをぐっと堪えて呑みこむ言葉のはずだ。
とまれ。
実体験を伴わない観念的な言葉のお遊戯はいつの時代も若者の流行り歌。ボクも文学青年だったころ「限界状況」などという言葉を平気で口にしていました。
戦後の第一の新人と呼ばれていた世代の、大岡昇平、野間宏、武田泰淳、椎名麟三などを読んで「限界状況」における人間は…などと飛沫を飛ばしていた。
でも、この作家たちのように戦地体験や獄中体験がないことに真摯にコンプレックスを抱き、おれたちには語る資格無しだと自ら烙印押して抑制したあたりは、路上飲みのお兄ちゃんたちより3.03センチはましだった。
ジードのつもりで入った仏文科は、当時サルトル・カミユ論争の真っ只中でした。
幸か不幸か性根からボクはAかBか人間ではなく、Cはないのかと思うグスグズ人間でしたから、敢然と選択して政治参加に走るサルトル陣営の主張は、どうも力ずくの考え方のようで怖くて寄っていけませんでした。
クラスの中、卒論テーマは、サルトル、マルセル、マルロー、ボーヴォワールを選ぶ学生が多勢、カミユの側は作家はカミユだけ、学生はボクだけという無勢でした。
そして就職試験には片っ端から落っこち、知りあいに勧められるままに広告制作という典型的な効率主義の世界に迷い込みました。でも皮肉ですね、AかBか人間ではなく、Cはないのかのモタモタ人間であることがクリエイティブの世界では独創的だと言われて、トントントンと。うまくいったらしくて半世紀。
才覚のないぶんは徹夜作戦で凌ぎ、生きていてなによりのヘトヘト老人になりました。自分から何かとりに行く気力も知恵もなく、ただただ「待つ」人間。ハイ、いまは最後尾のほうでやっと予約のとれた接種日を日めくりめくって「待つ」高齢者。
閑話休題。
カミユの晩年に短編集『追放と王国』が出ました。
追放とはわれわれが置かれたこの不条理の現実のこと。王国とはその先に見出したい世界のこと。
しかしそれがいかなる世界かはわからない。人間にわかるはずがない。人間の分際でわかったなどとほざいた瞬間から追放の身になるかもしれない。それが実存だと言う。
いやはやどーにもこーにもよくわからない、八方塞がり。
短編集の中に『ヨナ』という画家の話があります。画商によって売れっ子になり、暮らしが変わり、家族、友人、弟子に恵まれ賑わしくなり、挙句いまでいう鬱になり、絵が描けなくなり、売れなくなる。
ヨナは屋根裏部屋にこもりきりになり、痩せこけて倒れる。カンヴァスは白いままだが、真ん中に「solitaire」か「solidaire」か小さくて判読しづらい1語があった。「孤独」か「連帯」かという1文字違いのフランス語の地口です。
よく布置構築された『客』という作品があります。乾いた辺境の丘にある学校に一人ぼっちで赴任している教師ダリュ。登ってくる人影。老憲兵と殺人犯のアラビア人だ。
憲兵はダリュに囚人をここからタンギーの警察に引き渡す役目を告げて帰る。夜食を共にし、囚人が逃げ出す夢を見る。アラビア人を捕らえてここに送りつけた仲間たちを呪い、殺人を犯した男、その両方を呪いながら緊張の一夜を明かす。
ダリュは囚人を引き連れて数時間歩き、地平には空しかない丘に立つ。遠くを指差して「2時間行くとタンギーの警察がお前を待っている」と言い、それから別なほうを指差し「1日歩けば遊牧民がいてお前をかくまってくれる」と言い、振り向かずに帰っていく。
ダリュが教室に戻ると黒板に下手くそな文字で「お前は俺の兄弟を引き渡した。報いがあるぞ」と書いてあった。
「これほど愛していたこの広い国に、彼はひとりぼっちでいた」
『追放と王国』と同時期にカミユは『転落』という小説も書きました。
作中に中世の「苦難部屋」がしばしば出てきます。新しい別な翻訳では「拷問部屋」となっています。この話の仕掛けは、ヨナがキャンバスに判読しづらい1語を残した屋根裏部屋に通じます。
屋根裏部屋は暗いけれど、家族や友人たちのいる生活空間の高みにあります。また『客』の冒頭部と結末部に使われている丘、明るいけれど同じ「高み」という象徴的なシチュエーションです。
カミユの解説者でこのことを書いた人を知りませんが、ボクは思うのです。
カミユの主人公たちは、AともBとも決め難い選択の分岐点、AでもBでもない方向をグズグズと探しほうける意味深い立地点としての「高み」にいます。
ほんとはわからないはずなのに、わかったつもりになって、決断して「これで良し」と手を打っていく、これが務めだと思っている仕事人がいます。
為政者、事業者、経営者、裁判官、恐ろしい仕事人たちではありますね。彼ら彼女らのやっていることは信じられません。
史上最初の仕事人は神である、とそう聖書の冒頭に記されています。
暗黒の中、神は1日目に「光あれ」と言い、光と闇に分けて「良し」とされた。2日目に大空の上下に水を分けて「良し」とされた。つぎの日からは植物を造り、太陽と月と星を造り、動物たちを造り、6日目には自らを象って男と女を造り、祝福して「良し」とされ、7日目を「安息の日」と聖別されました。
男と女のそばに賢い蛇〈サタン〉がいました。これが神の「良し」のうちだったのか計算外だったのか、これが神の御業の〈通奏低音〉。
ボクたち人間にはそれがどうにもわからない。神にはわかっているのか、神にもわからないのか。沈黙をきめこんでおられるので、わからない。
神は高みにおられる方だからわかるはずなのだけれども、いや、高みにいるからこそ見えるものが見えてしまってわからないのかもしれません。
しもじもの者はそう思って、沈黙につきあって彷徨うしかない。
こういう話をすると、70年来の師友は、仏門のお人なのですが「訳わかんないこと考えておられる。いま流行りの鬱病になってしまわれるよ。こっち来て仏におなりなさい。楽におなりなさい」と優しい眼差しをくれます。
はてさて。
(元コピーライター)
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