あらためて今、「ヘイトスピーチとは何か」を考える

                       明戸 隆浩


1.「ヘイトスピーチとは何か」再び
 筆者が訳者の一人としてエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ――表現の自由はどこまで認められるか』(明戸隆浩・池田和弘・河村賢・小宮友根・鶴見太郎・山本武秀訳、明石書店)を刊行したのは、今年2月のことだ。それから、およそ9カ月が過ぎたことになる。一般的な学術書の感覚では9カ月前というのは「ちょっと前」という感じになるわけだけれども、今回の翻訳について言えば、むしろずいぶん前のことのような気がする。そう思うのは、やはりこの間の「ヘイトスピーチ」をめぐる動きが、とても激しいものだったからだろう。
 
『ヘイトスピーチ』の「あとがき」にも書いたことだが、そもそもこの本を訳すにあたっては、2013年2月に始まった在特会などの排外主義団体に対する「カウンター」の動きに触発された部分が大きかった(実際筆者が翻訳を思い立ったのは、同じ2013年2月のことである)。その後間もなくして、マスメディアが在特会などの排外主義団体を報じる際に「ヘイトスピーチ」という言葉を頻繁に使うようになる。

また2013年10月には、在特会の行為を人種差別とした上で賠償金約1200万円などを求める判決が京都地裁で出された(2009年に在特会が起こした京都朝鮮学校襲撃事件に関する民事訴訟に対する判決で、今年7月に大阪高裁で出された二審でもほぼ同様の判決)。さらに今年7月には国連自由権規約委員会から、翌8月には国連人種差別撤廃委員会からそれぞれ日本に対して勧告があったが、そこではいずれもヘイトスピーチへの対処が求められた。こうした中でヘイトスピーチの問題に法的に対応しようという考え方も少しずつ広がり、現在は国会でも超党派の議員連盟によって人種差別撤廃基本法案の提出の準備が進められている。
 
筆者が『ヘイトスピーチ』の翻訳を思い立ったとき、もちろんここまでの展開を予測していたわけではない。けれども、今後ヘイトスピーチへの法的な対応をめぐって議論がなされるようになった際に、その土台となるような本を世の中に出しておきたかった、という気持ちだけは当初から明確にあったように思う。実際『ヘイトスピーチ』は、「ヘイトスピーチにかかわる主要国の法制度が一冊でざっくりわかる本」という形で、この間学術書としては比較的多くの読者に恵まれることになった。そしてそうしたニーズを満たすことは、これからもこの本の重要な役割であり続けるだろう。
 
しかしその一方で、今あらためてこの本の役割を考えるとき、「ヘイトスピーチにかかわる主要国の法制度が一冊でざっくりわかる本」とはまた違ったものを考えたいという気持ちが筆者にはある。それは一言で言うなら、「ヘイトスピーチとは何か」という問いに、もう少し厳密に、そしてある程度の多様性をもった形で答える際に、その手引きとなるという役割だ。『ヘイトスピーチ』の訳者解説にも書いたように、ヘイトスピーチは大まかに言えば「人種、民族、国籍、宗教、性別、性的指向など、個人では変更困難な属性に基づいて侮辱や中傷、扇動、脅迫などを行うこと」を指す。しかしこれはあくまでも最大公約数的な定義であって、実際のヘイトスピーチの定義はそれを作成する国や国際機関によって少しずつ違う。そうした違いを意識することは議論の初期の段階では必須ではないが、ある程度議論が進んだ段階では、むしろ重要な視点を提供するものになりうる。
 
こうしたことをふまえてここでは、「ヘイトスピーチとは何か」という問いをめぐって、国連の文書および主要国の法律を素材に、必ずしもそれに一言では答えない形で書いてみたい。初めてここでヘイトスピーチに関する議論に触れる読者はさまざまなヘイトスピーチの定義の共通性に、すでにある程度ヘイトスピーチについて知っている読者はむしろその間にある違いに、それぞれ注目して読んでいただければいいのではと思う。なお基本的にはここで扱っている議論は『ヘイトスピーチ』の内容に即したものなので、この文章だけでは物足りないという方は、ぜひ本自体を手に取ってもらえれば幸いだ。

2.ヘイトスピーチの定義(1)どのような理由に基づいて――国連の場合
 多くのヘイトスピーチの定義は、大まかに2つの部分、すなわち(1)どのような理由に基づいて、(2)どのようなことを行うのか、という形で整理できる。たとえば先ほど示した定義なら、「人種、民族、国籍、宗教、性別、性的指向など、個人では変更困難な属性に基づいて」が(1)、「侮辱や中傷、扇動、脅迫などを行うこと」が(2)に対応することになる。なおここで注意しなければならないのは、多くの文書や法律ではこのうち(1)の部分が「人種差別」の定義をふまえる形で示されているということだ。日本では「ヘイトスピーチ」という言葉が既存の用語系の中でまだきちんと位置づけられていない部分があるが、ヘイトスピーチというのは基本的に「(人種)差別」から派生した概念である。このことをふまえて、ここでは「人種差別」の定義とヘイトスピーチの定義の(1)の部分を併せて見ていくことにしたい。
 
最初に取り上げたいのは、国連の文書である。ヘイトスピーチにかかわる国連の文書は複数あるが、その中心となるのはやはり1965年に採択された国連人種差別撤廃条約だ(冒頭で触れた今年8月の国連人種差別撤廃委員会の勧告も、これに基づいて出されている)。

この条約の第1条では、人種差別は「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先」(外務省訳)と定義されている。つまりここでは、「人種(race)」「皮膚の色(colour)」「世系(descent)」「民族的出身(national origin)」「種族的出身(ethnic origin)」に基づいた差別が、人種差別だとされているわけだ。
 
ここで訳語について少し補っておくと、「人種(race)」「皮膚の色(colour)」の2つはいいとして、おそらく「世系(descent)」という言葉にまず引っかかるのではないかと思う。これはおもに血縁関係によって規定されるような集団を指す言葉で、一般的な言葉としては「血統」のほうがわかりやすいように思うのだが、公的な文書ではなぜかこの「世系」という言葉が使われることが多い。また「民族的出身(national origin)」と「種族的出身(ethnic origin)」はセットで登場することが多い言葉で、前者はおもに出身国の違い、後者は国内のエスニックな出自の違いを指す(ちなみにethnicを「種族」と訳すのは古い慣習で、今はカタカナでそのまま示すことが多い)。いずれにしてもここで重要なのは、国連人種差別撤廃条約における「人種」の概念が、「血統(descent)」「出身国(national origin)」「エスニックな出自(ethnic origin)」などの違いを含む、かなり幅広いものだということだ(日本で「人種」と言ったときにおもに想定される「皮膚の色」は、そのうちの1つの要素でしかない)。
 
その上でヘイトスピーチの定義のうち(1)の部分だが、国連人種差別撤廃条約では、ヘイトスピーチにあたるものは第4条で次のように規定されている(なおそこではヘイトスピーチという言葉は直接的には用いられておらず、第4条が一般的にそのようにみなされるという形になっている。この点については後ほどあらためて触れる)。

「ある人種の優越性、あるいはある皮膚の色ないしエスニックな出自をもつ人々の集団の優越性を説く思想や理論に基づいて、いかなる形であれ人種的憎悪あるいは差別を助長したり正当化したりしようとするあらゆる…プロパガンダ」(『ヘイトスピーチ』P42。外務省訳を元に訳語を変更)。つまりここでは、先ほどの人種差別の際にも言及されていた「人種」「皮膚の色」「エスニックな出自」に基づく「差別の助長」が、ヘイトスピーチとして位置づけられている。細かく見れば違いもあるが(これについては後述)、基本的にはここでのヘイトスピーチの定義が先に見た人種差別の定義を踏襲したものだということが確認できるはずだ。

3.ヘイトスピーチの定義(1)どのような理由に基づいて――アメリカ・イギリス・フランスの場合
 次に、国連人種差別撤廃条約とほぼ同時期につくられた、アメリカとイギリスの法律について見てみよう。まずアメリカだが、アメリカは国連人種差別撤廃条約の採択の前年に、有名な1964年公民権法を成立させている。この法律の成立はアメリカ現代史的にあまりにも大きな出来事だったこともあって感覚的に他の法律と並列に扱いづらいところがあるが、実際には60年代の世界的な反人種差別の動きの一角をなすものだ。

この公民権法では第2編で公共の場での人種差別、第7編で雇用における人種差別が禁じられているが、たとえば第2編では人種差別が「人種、皮膚の色、宗教(religion)、出身国に基づく差別や隔離」と定義されており、これは国連人種差別撤廃条約とほぼ同じ定義である(なお第7編では「性(sex)」が加わる)。アメリカの人種差別というと黒人差別が想起されがちだし、実際1964年公民権法を動かしたのは圧倒的に黒人問題だったのだが、しかし少なくとも定義上は、ここでもかなり広い意味で人種差別が位置づけられている。
 
またイギリスでは、人種差別撤廃条約採択と同じ1965年にやはり人種差別禁止法として人種関係法がつくられている。その第1条では「皮膚の色、人種、エスニックな出自あるいは出身国に基づいた」差別を禁じているが、これも国連人種差別撤廃条約とほぼ同じ定義だ。さらにフランスでも少し遅れて1972年に人種差別禁止法ができるが(当時の司法大臣の名をとって「プレヴァン法」と呼ばれる)、そこでも「その出身(origine)またはそのエトニ(ethnie)、民族(nation)、人種もしくは特定の宗教への所属もしくは非所属を理由に」取引や雇用において差別を行うことが禁じられている(林瑞枝「フランスの反人種差別法」『法律時報』51巻2号P98)。いずれの国でも国連の場合と同様、狭義の人種や皮膚の色だけでなく、出身国やエスニックな出自、あるいは宗教を含めたかなり広い意味で「人種差別」という言葉が使われていることが確認できる。
 
その上でヘイトスピーチの定義のうち(1)の部分だが、イギリスの1965年人種関係法およびフランスの1972年人種差別禁止法では、人種差別とヘイトスピーチの定義の(1)の部分をまったく同じ文言で規定している。つまりイギリス人種関係法であれば「皮膚の色」「人種」「エスニックな出自」「出身国」、フランス人種差別禁止法であれば「出身(origine)」「エトニ(ethnie)」「民族(nation)」「人種」「宗教」を理由にしたものがヘイトスピーチとされているわけだ(ただし国連同様ここでも「ヘイトスピーチ」という言葉は直接的には用いられていない。これについては後述)。
 
なおよく知られているように、アメリカにはヘイトスピーチにあたるものを直接規制する法律はないが、「ヘイトクライム法」という形で人種差別に基づいた物理的暴力に対応する法律が制定されている。初めて連邦レベルでヘイトクライム法が制定されたのは1994年のことだが、そこではヘイトクライムが「被告人が、(実際のあるいは認識上の)人種、皮膚の色、宗教、出身国、エスニシティ(ethnicity)、性(gender)、障害(disability)、性的指向(sexual orientation)を理由として、意図的に被害者を(窃盗犯の場合は窃盗の対象を)選ぶような犯罪」と定義されている(なおこの定義は2009年のヘイトクライム法でも踏襲された)。公民権法第2編で言及されているのは「人種」「皮膚の色」「宗教」「出身国」だったが、これをもとに「エスニシティ」「性」「障害」「性的指向」が追加された形だ。

4.補論――「国籍」を理由とするヘイトスピーチをめぐって
 さてここで、一つ重要な補足をしておきたい。それは「国籍」の違いによる差別やヘイトスピーチについてだ。国籍の有無、言い換えれば「外国人」であることを理由とした差別やヘイトスピーチは日本でこうした問題を考える際にはとりわけ重要な問題となるが、実はこの点をめぐる国連および各国の対応はやや複雑である。

このことはたとえば、先に見た国連人種差別撤廃条約の定義の中で、「人種差別」の定義では登場していた「出身国national origin」という言葉が、ヘイトスピーチにかかわる第4条では消えていたということからも確認できる。またより明確な部分としては、同条約の第1条2項に「この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない」とあるが(ここでは「市民citizen」は国籍保持者という意味で用いられている)、これは外国人であることを理由とした差別は条約の対象外であるかのようにさえ読める箇所だ。
 
とはいえ実際には、この条項は「国籍による差別やヘイトスピーチは許される」ということを意味しているわけではもちろんない。それが示しているのは、あくまでも「国籍による差別」がこの条約でいう人種差別とまったく同じように扱われるわけではないということにすぎない。実際2004年に国連人種差別撤廃委員会が出した「市民でない者に対する差別に関する一般的勧告」では、国籍による差別のうち実際に許容されるのは政治参加など一部に限られるとした上で、それ以外の多くの点については人種差別と同様に扱われるべきことが示されている。その中にはヘイトスピーチにあたるものに関する項目もあり、そこではヘイトスピーチは「市民でない者に対する外国人排斥的態度および行動、とくに憎悪唱道および人種的暴力」という形で、先に見た「人種差別の助長」と同様に扱われている。したがって少なくとも2004年以降については、国籍に基づく差別やヘイトスピーチもまた、国連人種差別撤廃条約の対象に実質的に含まれることになる。
 
なおこうした傾向については、すでに言及した各国の状況を見ることでも確認できる。一番明確なのはフランスで、フランス人種差別禁止法では「民族(nation)」という要素によって外国人に対する差別やヘイトスピーチを当初から組み込んでいる。訳語が「民族」なので日本語だとややわかりにくいが、nationという言葉は基本的に「国」の違いを示す言葉であり、実際この法律の導入にあたっては明示的に外国人に対する差別やヘイトスピーチへの対処が意図されていたことが指摘されている(林瑞枝「フランスの反人種差別法」『法律時報』51巻2号P96)。

またイギリスの場合は、ヘイトスピーチに関する規定を人種関係法から1986年公共秩序法に移行した際に、第17条で「人種的憎悪」を「皮膚の色、人種、国籍(市民権の有無を含む)、エスニックな出自あるいは出身国によって定義された集団に対する憎悪」とし、「国籍(nationality)」および「市民権(citizenship)」にかかわる人種的憎悪も定義に含めている。これもまた、外国人に対するヘイトスピーチを明示的に法律の対象に含めることを意図した改定だと言える。

5.ヘイトスピーチの定義(2)どのようなことを行うのか
 以上見てきたように、人種差別およびそこから派生したヘイトスピーチの概念には、狭義の「人種」や「皮膚の色」だけでなく、「出身国」や「エスニックな出自」、さらには「宗教」や「国籍」までの幅広い要素が含まれる。

その上で最後に確認したいのは、そうした理由に基づいて(2)どのようなことを行うのがヘイトスピーチなのか、ということである。ここでまず確認しておかなければならないことは、(すでに何度か触れたように)「ヘイトスピーチ(hate speech)」という言葉それ自体は、文書や法律の中にほとんど登場しないということである。実際には、ヘイトスピーチにあたるものは人種差別の「扇動」や「助長」という形で規定されることが多い。「2」の冒頭でヘイトスピーチは基本的に「(人種)差別」から派生した概念だと書いたが、それはヘイトスピーチが理由となる要素を人種差別と共有しているからだけでなく、「(人種)差別の扇動や助長」が一般にヘイトスピーチと呼ばれるからでもある。この点を念頭に置いた上で、具体的な文書や法律を見ていこう。
 
まず国連人種差別撤廃条約だが、ヘイトスピーチの定義に該当するのはすでに引用した第4条の「ある人種の優越性、あるいはある皮膚の色ないしエスニックな出自をもつ人々の集団の優越性を説く思想や理論に基づいて、いかなる形であれ人種的憎悪あるいは差別を助長したり正当化したりしようとするあらゆる…プロパガンダ」という部分である。先ほどは前半部分に注目して議論したが、ここでポイントになるのは後半の「人種的憎悪あるいは差別を助長したり正当化したりしようとするあらゆる…プロパガンダ」というところだ。ここで焦点となっているのは、憎悪や差別を「助長する(promote)」こと、あるいは憎悪や差別を「正当化する(justify)」ことである。またヘイトスピーチに対して具体的な法規制を求める第4条a項では、「人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布(dissemination)」あるいは「人種差別の扇動(incitement)」という形で、同様のことが記述されている。
 
また国連人種差別撤廃条約から1年遅れの1966年に採択された国際人権B規約(自由権規約)にも、その第20条2項で「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道」という形で、やはり「扇動」あるいは「唱道(advocacy)」という言葉を用いた規定がある。

この条文もまたヘイトスピーチについて規定した部分だとされているが、いずれの場合も差別や憎悪の「助長」「正当化」「扇動」「唱道」といった形で、「人種差別を世の中に広めること」への対処の必要性が示されていることが重要だ(なおヘイトスピーチを「憎悪表現」と訳すとたんなる罵詈雑言などもヘイトスピーチだと誤解されるからよくないという見方があり、基本的には筆者も賛成だが、それはあくまでもヘイトスピーチを「憎悪の表明」ととらえることによる誤解であり、本来の趣旨に沿って「憎悪の扇動」という形でとらえるなら、こうした誤解は生じにくいはずである)。
 
そして同様の規定は、これまで見てきた各国の法律でも確認できる。たとえばイギリスでは、1986年公共秩序法の第18条で「脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的言語または態度を用い、または、脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的な文書を示し、それによって人種的憎悪をかき立てようと意図し、または、あらゆる状況を考慮して、人種的憎悪がかき立てられる恐れがある場合」(師岡康子「イギリスにおける人種主義的ヘイト・スピーチ規制法」『神奈川大学法学研究所研究年報』30号P29)が犯罪とされている。

ここでは「かき立てる(stir up)」という言葉によって「助長」や「扇動」に当たる部分が示されているわけだが、基本的な発想は同じである。またフランスの場合も、1972年人種差別禁止法の第1条で「人または人の集団に関して、その出身またはそのエトニ、民族、人種もしくは特定の宗教への所属もしくは非所属を理由に…差別、憎悪または暴力を扇動した者」(林瑞枝「フランスの反人種差別法」『法律時報』51巻2号P97)を処罰するとしているが、ここで用いられているのも「扇動(provoqué)」という言葉だ。
 
なお主要国の中ではこれまで登場しなかったドイツだが、それはドイツでは伝統的に「(人種)差別」ということをふまえてヘイトスピーチにあたるものを法律で規制する、ということが行われてこなかったからである(なお2006年以降は「一般平等待遇法」という差別全般を禁じた法律の中に「人種」も含まれる形になっている)。ただヘイトスピーチ規制について見るなら、時系列的にはむしろドイツは他の主要国に先駆けてそうした条項を成立させている。1960年に成立した刑法130条、いわゆる「民衆扇動罪」がそれだ。この条項は1994年に改定されて現在に至っているが、そこでは「公共の平穏を乱すのに適した態様で、(1)住民の一部に対する憎悪をかきたて若しくはこれに対する暴力的ないし恣意的な措置を誘発する者、又は(2)住民の一部を罵倒し、悪意で軽蔑し若しくは中傷することにより、他人の人間の尊厳を攻撃する者」(櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服』P128)が処罰されるとしている。他国のケースと違って人種差別と連動させた定義ではないので「どのような理由に基づいて」の部分はかなり異なるが、「どのようなことを行うのか」についてはこれまで見てきたものと基本的に共通している。

6.ヘイトスピーチにかかわる「知識の厚み」のために
 以上、ここで書いてきたことは、次の2点に集約される。ヘイトスピーチの定義のうち「(1)どのような理由に基づいて」の部分については、人種差別の定義のそれと基本的に共通している。ただしそこで言う人種差別は、狭義の人種だけでなく、国籍や民族、あるいは宗教も含んだ、広い意味での人種差別だ。また「(2)どのようなことを行うのか」についてだが、その核心にあるのは「差別の扇動」である。ヘイトスピーチは(人種)差別の扇動である、というのはそれ自体はごく簡単なテーゼだが、その背後には、ここで見てきたような膨大な法的文書の積み重ねがある。
 
そうした意味では、この文章を通してこの最後のエッセンスだけ理解するということ、これもまた読み方の一つである。ただあえて付け加えておきたいのは、ある対象を深く知る際には、その歴史的な厚みも含めて知る必要がある、ということだ。そうした意味では、もしこの文章から何か触発を受けたり、あるいは逆に疑問を感じたりした場合は、ぜひ「原典」を参照してみてほしい。

少し前までは情報アクセスの格差の問題もあったが、少なくともここで言及した国連や各国の法律については、現在そのほとんどをインターネット経由で入手することができる。なお筆者は現在ヘイトスピーチについて考えるために必要な文献やリンクをまとめたウェブサイトを準備しているが、そうしたサイトを利用すれば、より簡単にそうした情報にアクセスすることができるはずだ。
 
ヘイトスピーチという言葉が普及し、それに対する法的な対策の可能性も現実味を持ち始めた今、必要なのはそうした個々人の情報収集の積み重ねによって生まれる、社会全体の「知識の厚み」なのだと思う。どんな制度も、それを支える人々の知識の厚みなしには、本来の役割を適切に果たすことはできない。そしてヘイトスピーチにかかわる法制度についても、もちろんその例外ではない。
       (筆者は関東学院大学ほか非常勤講師/社会学・多文化社会論)
注;参考書籍
   エリック・ブライシュ著・明戸隆浩他訳 明石書店刊
   『ヘイトスピーチ表現の自由はどこまで認められるのか』
   明戸隆浩著
『「NOヘイト」出版の製造者責任を考える』明戸隆浩ほか著  


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