【コラム】酔生夢死

ある対日工作黒幕の死

岡田 充

 「橋本龍太郎・前首相をメンバーにし、お歳暮として1万米ドル(150万円)の商品券」「秋山昌広元防衛事務次官の米ハーバード大留学費用として10万ドル(1500万円を支援」。

 これは台湾の李登輝元総統が1994年から2000年にかけ、台湾の国際的地位向上に向け日本、米国、台湾の三者連携を強化するための諜報機関「明徳小組」の行った対日工作の一端。
 その機関の責任者だった台湾運輸機械公司の彭栄次理事長が2023年10月11日、88歳で息を引き取った。訛りのない完璧な日本語を操る彼は、台湾大学経済系を卒業後、金融機関勤務を経て台湾運輸機械公司に入った。2009年には日台民間交流窓口の亜東関係協会会長に就任したが、それは表の顔だ。

 台湾内政から対日米関係に至るまで「李登輝側近」として裏工作に当たった「政商」である。彼が手腕を振るった諜報工作の内容は2002年3月、台湾週刊誌『壱週刊』(3月21日号)と「中国時報」(3月20日)がすっぱ抜いた。
 それによると、小組の秘密資金は35億台湾元(約1638億円)に上る。彭が担った日本各界の包摂の対象は政界、官界にとどまらない。台湾研究で知られる元東大教授や全国紙幹部など学界、言論界にも及ぶ。

 かくいう筆者も、1998年9月に共同通信台北支局に初代支局長として赴任して以来、彼とは定期的に会って取材し、2002年に帰任後も緊密に連絡を取り合った。食事はごちそうになったが、商品券や現金をもらったことはない。

 彼の対日工作パイプは、日本外務省から語学研修で台湾大学に留学し彭と知り合った人物で、後に駐中国大使を務めた大物外交官だ。一方、米側パイプはカート・キャンベル国務副長官に、アーミテージ元国務副長官、ウルフォウィッツ元国防副長官ら、米歴代政権の対日政策に影響を与える「ジャパンハンドラー」だった。
 彼の工作はどんな成果を挙げたのか。幾つか挙げると①1995年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合に、李登輝総統の出席を強力に働きかけ②橋本首相に対し、米国に密使を送り、台湾防衛を要請するよう促した。橋本は実際に密使を米国に送った③湯曜明・元国防部長が2002年3月、国防部長の肩書で初訪米-など。

 少し長い射程で見れば、「台湾有事」シナリオを支える今の「日米台安保協力」の基礎を作ったのが最大の成果だろう。1972年の日台断交以来、「受け身」に徹してきた日本の台湾政策を「主体的関与」に転換させた現状をみれば、彭も思い残すことはないと思う。
 各種世論調査では、日本人の台湾への好感度は75.9%に上る一方、対中好感度は17・5%に過ぎない。台湾への好感度の理由は、台湾の民主的統治など共通価値観や災害での相互支援など「ソフトパワー」によるだけではない。

 西側は李登輝を「ミスターデモクラシー」と呼ぶが、札束を使ったダーティ工作こそ、効果を発揮したことがよくわかる。(了)

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亜東関係協会提供

(2023.11.20)
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