■【横丁茶話】                    西村 徹

~ ある握手etc ~

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●ある握手


  2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で、民主党があのような歴史的大
勝を収めるなどとは夢にも思えなかった初夏のこと。しかしなんとなく政権交代
に向ってひた走っているような気配もないではない梅雨空のある日のこと。

この地区の候補者はまだ公認ももらえていなかったが、この地の区役所近くの
街頭で演説をし、菅直人が応援にやってくることになった。菅直人は今みたいに
賞味期限切れのイメージではなくて、まだ十分鮮度を保っていた。そこそこ衆望
を担いうる求心力を持っていたといってよい。
 
  妻が候補者を支援していたので演説のサクラに動員されていたが、別な用向き
があって出かけられなかった。代わりというほどのことではないが、まあ散歩が
てら片道20分を歩いて出かけていってサクラになって演説を聴いた。

 なにを聴いたか忘れてしまったのだから聴いたというより見たというほうがよ
いかもしれない。麻生太郎の背広とか、川筋者とか言っていたのを覚えている。
小雨模様だった。それでもなかなかの盛況だった。
 
  演説も何もかもが終わって、どういう前後関係だったか忘れたが、菅直人が一
人でこちらに歩いてくるのとすれ違う羽目になった。小雨の中で他に人影もな
かった。いま思うと何故だか分らないが、思わず出会いがしらに私は右手を差し
出していた。かならず傘は左手で持つわけではないが、そのときは右手が空いて
いたからそういうことになっただけのような気がする。

 右手で傘を持っていたならそういうことにはならなかったような気がする。私
は政治家と握手をすることを好まない。しかし、やはりサクラとして来た以上は
無意識のうちに握手もサクラの義理のうちと考えたのであろうか。
 
  ところで菅直人の差し出したのは右手でなくて左手だった。左手が上から下向
きに被さるように肘から一ひねりして降りてきた。ああいう握手は八十年余の生
涯で初めてのことだった。上から目線は知っているが上から手線というのは知ら
なかった。後で何度も考えて横に開けば手をつなぐのと同じになるのだと知って
ようやく組み手のからくりが理解できた。

 なにせ経験したことのないことだから、先ず目が点になり、心象風景は一瞬網
掛けがほどこされたみたいに翳った。
 
  兵隊は負傷などで右手が使えないとき左を挙手して敬礼する。握手もそういう
ことはあるかもしれない。私はすこし左利きの傾きもあるので傘は右左きまらな
いが、完全右利きの人のばあい傘は右手ときまって動かしがたいのかもしれな
い。それにしても空いている方の手に持ち替えるぐらいはしてもよさそうに思
う。箸は難しかろうが傘や杖ならできるだろう。

 しかし、よどみなく左手を肘からひねって裏返した、まさに手捌きの鮮やかさ
は、相当に場数を踏んでいることを物語っているように推測される。市川房江の
選挙の手伝いをしていたころから身につけていたものなのかもしれない。
 
  右手と左手を組むのであっても横に並んで手をつなぐのと、相手がそのままぐ
るりと回って正面に立つのとでは関係性はまさに180度反転する。水平の連帯
であったものが上下の関係に一変する。自分は見下して相手には見上げることを
要求する形になる。並んで手をつなぐのであれば、たとえばクエーカーの人たち
が手をつないで無言の祈りを捧げるのに私は深い感動を覚える。

 決して手と手の皮膚の接触を、たとえ政治家とであっても厭うものではない。
とにかく左手をぶら下げての握手はやめたがいい。たった今気付いたのだが、ど
うしても左手を差し出したいなら下に肘を曲げないで上に曲げて左手を差し上げ
ればよい。
 
  4月21日菅直人が福島第一原発近く田村市の避難所を訪れたとき、とおり
いっぺんのパフォーマンスをこなして、そのままそそくさと立ち去ろうとした菅
直人にむかって、「もう帰るんですか」と避難民の一人が気色ばむ場面があっ
た。その映像をテレビで見たとき、意識の奥に沈んでいた、あの握手の記憶がよ
みがえった。
 
  総理大臣がときどきウソをつくのも必要があれば致し方ないだろうし、格別に
人格の高潔を求める気もさらさらない。多少の艶聞は愛嬌になることもある。少
なくとも週刊誌の記者にメシの種を提供するメリットはあるだろう。そんなこと
はたいしたことではない。ケンチャナヨだ。もちろん能力がないのは困るが、総
理大臣たるもの薄情だけはゼッタイにゼッタイいけないと思う。


●TPP.大芝居?


  野田という人が総理大臣になった。たしかこの人は、永田メール事件のときの
幹事長だったかと思う。前原という人が民主党代表選で「自分は母子家庭育ち
だ」といってお涙頂戴演説をしたのが効いて、それで僅差で菅直人を破り、まさ
かの代表になった。そしておなじマツシタ塾の仲間だというので幹事長になった
のだったと思う。そして前原といっしょに永田メールにゴーサインを出したの
だったと思う。ほったらかしにされて永田は自殺し野田は総理になった。よくよ
く運の強い人らしい。
 
  その野田総理は総理になってから国民には知らせないまま国の外で消費税をや
るとかTPPをやるとか言いまくっている。永田をほったらかしにしたのとおな
じように国民をほったらかしにするのが得意な人らしい。そこで今度はTPPで
大騒ぎになったというわけだが、どうも今度はひょっとするとこの騒ぎは、知っ
てか知らずか、つまり怪我の功名にすぎないかもしれないが、結果として野田の
打った大芝居ということになるのかもしれない。
 
  TPPを第三の開国といってはしゃいだのは野田ではない。菅直人がはしゃい
で、そしてほったらかしにしたことだ。野田は尻拭いをしているだけだ。とする
と、どうせオバマのところにTPPという土産を持っていくのなら、土産にはで
きるだけ付加価値をつけて高く売ったほうがいいに決まっている。

 交渉ごとは閣議の専決事項だとかいうことを耳にしたので、それならこの騒ぎ
は八百長の大芝居ではないかと思う次第。出来るだけ派手にやって「やってんだ
ぞ!」とオバマに見せておいた方がよいということになる。 国会で批准するし
ないを議論するときのためにもよいだろう。パンプキンフェースも、なかなかや
るじゃん!まるきり責任なく思うのである。(2011/11/14)

               (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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